「時間格差」はもっと認知されるべきだと思うのです
<時間は本当に平等?>
「時間だけは誰しも平等だ」と、世の中でよく言われています。
都会に住んでいようが田舎に住んでいようが、貧しかろうがお金持ちであろうが、頭が良かろうがそうでなかろうが、時間だけはきっちり平等であると。
確かに、タイムリープ能力で何度でも1日をやり直せるとかでない限り、1日は24時間だし、1年は365日しかありません。
物理的に「時間は平等」ということに対しては何ら違和感はありません。
けれど、これを資本主義社会で個人がどういう人生を送るか、という文脈に当てはめたとき「時間は平等なんだから、成功するかどうかは個人がどれだけ努力するか次第だ」とするのには違和感があります。
物理的な時間の話で「平等だよね」と片づけるのではなく、
「"活用できる時間"がどれくらいあるか」にピン止めして考えるべきです。
<時間には『格差』が存在する>
はっきり言って、
活用できる時間は平等ではありません。「時間格差」は存在します。
わかりやすいところだと、お金の問題です。
お金がある人はそうでない人に比べ、活用できる時間は明らかに長いです。
仕事や学校への通勤・通学時間などに関しても、立地がいいところに住居を構える財力がない人は、アクセスが悪い離れたところに住まざるを得ません。となるとアクセスがいい場所に住める人よりも時間がかかります。
目的地への移動でも、お金があればタクシーや新幹線などを躊躇なく使えますよね。
掃除や洗濯なんかも、お金があれば時短家電を買ったり家事代行サービスを使えちゃったりします。
食材や日用品のお買い物だって、お金があれば割高の宅配サービスを使ったりできますよね。
単にお金の問題でなくとも、環境面でもそうです。
田舎に住んでいれば、ちょっと必要なものを買いに行くにもスーパーやコンビニは遠かったりするし、なんなら県を跨がないと目的のものを売っているお店自体がそもそもない、みたいなことも珍しくありません。
こうしたものはごくごく一部に過ぎず、同じような例は枚挙に暇がありません。
<時間格差はその存在に気づきにくい>
社会に出る前の段階から、この時間格差は存在します。
私自身、大学生の頃は奨学金を借りてもなお、週5~6でバイトをしないと授業料や家賃が払えなかったので(田舎だと時給も安いですしね)、
バイトをしなくても生活できて、色んな学びや経験に使える時間がたくさんある人が羨ましくて仕方なかったです。
「そんなもんは工夫でなんとかなる。言い訳なんて見苦しい。」
この言い分もわかります。時には大事なマインドでもあると思います。
ただ、時間格差で割を食ってこなかった人たちほど、こういった強者の理論を振りかざしているような気がします。
もちろんそんな格差のハンディキャップを抱えてなお、死に物狂いで努力して結果を出してきた人たちも一定数いるとは思います。
そういった人たちが、「格差があるから仕方ないじゃん」と簡単に諦める人(少なくとも本人からはそう見える人)に対して不満や怒りが湧くのもわかります。
けど、事実としてそこには格差が存在しているんです。
お金があるから色んな経験やチャレンジができて、質の高い指導を受けれて、みたいなところの格差はわかりやすいからまだマシです。
ただ、これが「時間」の話になると、意外と見えにくくなるんですよね。
そして、見えにくいからこそ蔑ろにされがちになる。
こうしたことからも、
「『時間格差』は、もっとその存在を認知されるべき」だと思っています。
時間格差というものは、本当に色んな要因で発生します。
こうして他人からは見えずらいところも含めて、
様々な形で時間格差は発生するものです。
そしてこれらが認知されていないと、
「時間はみんな平等なんだから、言い訳するな。」みたいな言葉が発せられ、ぶつけようのない苦しみや怒りに苛まれる人を生んでしまいます。
時間格差があることを認知した上で、
そこから発生する問題をなるべく小さくする、
あるいはそもそもそれが問題とならないような仕組みを作る、
そのためにはどうすれば良いか?
こういった思考をする人が増えることで、
また一つ、世界は優しくなるのだと思います。