夢中になれるものって本当に必要ですか?
「夢中になれるもの」を見つけている人ってどれくらいいるのでしょう。
「夢中になれるもの」という定義が広いので答えにバラつきは出そうですが、とは言え「ある」と自信を持って回答できる人はほとんどいないはず。割合で言うと恐らく1%にも満たないくらいじゃないでしょうか。
その一方で、「夢中になれるものがなくて悩んでいる」という人はけっこうな数いると思います。「自分には夢中になれるものがない」「心からのめり込める好きなことがない」「何かに熱中してる人が羨ましい」こういった声は学生・社会人問わずよく耳にします。
そしてこうした悩みを解決するための企業やサービスもたくさんあって、それらを頼るのも幸せに生きるための一つの有効な手段だとは思います。
ですが、そもそも「夢中になれるものがあった方が絶対に幸せ」という価値観は本当に正しいのでしょうか。
こうした価値観が前提にあるが故に「自分には夢中になれるものがない」という人がそれを悩みとして抱えるわけで。
個人的には、夢中になれるものはあってもなくてもどっちでもいいと思ってます。そう思う理由は2つ。
①夢中になれるものが見つかるかどうかは『運ゲー』だから
②夢中になれるものがなくても幸せに生きることはできるから
<①夢中になれるものが見つかるかどうかは『運ゲー』>
そもそもの話ですが、夢中になれるものを見つけるには「経験」が必要です。机上で自分が夢中になれることを探ってみたところで、あくまで出てくる答えは仮説に過ぎません。結局のところ、最終的にはそれを経験してみるしかないわけです。
本気でそれに取り組んでみて、はじめて自分がそれに夢中になれるかどうかがわかります。なので「夢中になれるものがないからとりあえず現状維持だな」「熱中できるものが見つかったら思い切って動くぞ」と考えている人は、そもそもの順番が逆なんじゃないかと思うんです。
「夢中になれるものが見つかったら行動する」のではなく、
「行動していたらいつのまにか夢中になっていた」という順番です。
つまり「何かに夢中になっている」という状態は、何かに本気で取り組んだ先にある、単なる”結果”なわけですね。
としたときに「夢中になれるものを見つける」というのは、ある意味宝くじを買うのと一緒です。
本気で経験してみた結果として、それに夢中になれるかどうかがわかるわけですから、「経験というクジを一枚引いて結果を確かめ、外れたらまた別のクジを引いて結果を確かめる」という行為を、当たりを引くまでやり続けなきゃいけないわけです。
もちろん当たりの確率を上げることはできます。何も考えず行き当たりばったりでクジを引き続けるよりも、ちゃんと自分と向き合って考えて精度の高い仮説を持ってクジを引く方が当たりやすいのは間違いありません。
しかし、どこまでいっても必ず当たりが引けるという確証や保証はありません。そして簡単にクジを引くと言ってますが、自分が夢中になれるかどうかの判断がつくほど本気で何かに取り組もうとすると、犠牲にしなければならないものが出てきます。
お金や時間が犠牲になるのはもちろんのこと、時には今の仕事を辞めたり生活環境を変えることだって必要かもしれません。とにかく言うほど安易にクジは引けないのです。しかもリアルな話、人生で引けるクジの数にはどうしても限りがあります。
ここにもよく強者の理論が用いられます。
「とにかく若い頃はガンガン色んなことに挑戦して経験してみることだよ」とよく言われますが、それが正しいと、もっともだとわかっていても家庭環境などもあってその選択が取れない人だって大勢いるんです。
それでもクジを引かないことには当たりは引けないし、ハズレを引いても人生の糧になるから、若いうちに色んなことを経験しておくのが大事というのは理解できます。ただそれを、「とにかく当たるまでクジを引き続ければいいじゃん」と手放しで推奨することはできません。
そうした意味で人生を運ゲーに捧げるのが絶対の正解とはどうしても思えません。
<②夢中になれるものがなくても幸せに生きることはできる>
「人生は時間そのもの」です。80年生きるとしたら、時間に直すと70万時間ほどになります。この70万時間をどうデザインするかが人生の質に直結するわけです。
もしこれを読んでいる方が30歳だとすると、80歳までに残された時間は45万時間ほど。人生というのはこの時間をいかに充実させるかというシンプルな勝負です。
としたときに、「自分はどういう時間の使い方をしたいか」という問いをまず考える必要があって、その中で「スローライフを楽しむこと」、「家族との穏やかな時間を過ごすこと」、「映画やゲーム、読書など趣味に興じること」などなど本当に色んな時間の過ごし方がある中で「何かに夢中になっている時間を過ごしたい」という想いがあるのであれば、その時にはじめて「夢中になれるものを探すにはどうすれば良いか」を考えればいいと思います。
あなたにとって「夢中になれるものがある」ということが、人生のQOLを左右する重要項目でないのなら、そもそも「夢中になれるものが自分にはない」と悩む必要は全くありません。平凡な言葉でいうと色んな生き方があっていいはずです。
自分が大事にしたい人生の軸は何なのか、自分にとって満足度の高い時間の使い方はどんなものか、それを最大化するにはどうすればいいのか、
こうした問いにしっかり向き合うことが、夢中になれるものを探す前に通らなければならない道ではないでしょうか。
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