洋服のお話。
影響
歳の離れた兄の影響で、音楽やファッションに興味を持ったpyuta369少年は当時12〜3歳でした。小学校6年生〜中学生になりたての頃です。
ちなみに現在の兄は音楽どころか、着る洋服に対しても無頓着な只のおっさん以下になってしまい音信不通、いや、縁を切ってしまった状態です。
それはさておき、大学生の頃の兄は、それはそれはミーハーでありまして、聴く音楽といえば洋楽中心、といってもTV番組「ベストヒットUSA」などのチャートに上がってくる所謂「売れてる音楽」を貪り、洋服といえば初期DCブランドブームに乗っかり「山本耀司」や「コム・デ・ギャルソン」を買い漁るようなミーハー野郎だったのです。
そんな兄の影響下、pyuta369少年の洋服歴史が作られていくのでした。
とにかくダサい。
大阪のクソ田舎で育ったpyuta369少年の周りには「おしゃれな人」など皆無。同級生や先輩たちは、ほぼヤンキーファッションだったのです。
ブレイクダンスに興味を持ってしまい、とにかくダサいスウェットスーツで大阪梅田の街を歩いてしまったことはpyuta369少年にとって暗黒歴史なのです。
そんな暗黒歴史を封印し忘れて高校生になったpyuta369少年は兄が持っているような「おしゃれな洋服」を爆買いすることを夢に見てアルバイトをするのでした。もちろん、高額狙いの「ど短期バイト」です。
ハウスマヌカン
軍資金を手に入れたpyuta369少年は一大決心をするのでした。
それは「一人でフラッとお店に行って、サラッとお買い物をする」というものでした。
*おっさんになった今でも、洋服店や飲食店などへひとりで行くのが苦手なのであります。
高鳴る胸、変な汗をかきながら「COMME des GARÇONS HOMME」と書かれた店に足を踏み入れるのでした。そうここは、大阪の中心地、梅田は阪急百貨店です。今までなら、親としか来たことのない百貨店にひとりで、しかも憧れの「COMME des GARÇONS HOMME」でお買い物するなど・・・
緊張を悟られないように店内に侵入し、ぎこちない手つきで洋服を見ていると、ビシッと決まったマヌカンがこちらにやって来ます。
「今日は何を?」と笑顔(顔は見ていません)でマヌカン。
こちらはゲロと共に心臓が口から出て来そうなのです。とにかく、何が欲しかったのかなど、完全にリセットされてしまい、気がついた時にはフィッティングルームに通されていました。
真っ白
偶然、手に持っていた「濃紺のスラックス」と一緒にpyuta369少年はフィッティングルームの鏡の前にいたのです。緊張のあまり、頭が真っ白になってマヌカンが促すがままここへやって来たのでしょう。
裾の調整や、当時はガリガリでしたのでウエストの調整なども済ませ、お直しがあるので、当然、後日もう一度来ないといけないという憂鬱を噛み締めながらお会計も済ませたのでした。
「濃紺?スラックス?いつ履くの?」兄嫁に言われたこの言葉は忘れません。内心「履くタイミングなんてないよ」と思いつつ、「一本は持っててもいいかなぁって・・・」と強がって見せるのでした。
M山くん
10代そこそこの田舎育ちのクソガキが「ギャルソン」や「山本耀司」など似合うはずないのです。それを痛いほど学んだpyuta369少年、いや、それを教えてくれた人物がいたのです。
M山くん、彼との出会いによって、pyuta369少年のファッションや音楽が、現在のボクのものへと変化するのでありました。
そう、彼がpyuta369少年に「HYSTERIC GLAMOUR」と「PUNK」をもたらしたのです。
*「HYSTERIC GLAMOUR」の思い出話もあるのでまたの機会に書くことにします。
それからというもの、pyuta369少年は「HYSTERIC GLAMOUR」を入り口にして、「A STORE ROBOT」や「SEDITIONARIES(666)」などにも出会い身の丈に合ったパンクファッションの世界に入っていくのでした。
そんなこんなで、現在のボクは「中年パンクスのための洋服」を作っているということなのでしょう。知らんけど。
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