見出し画像

ノーコード時代におけるプログラミングを学ぶ意義とは?

イセくんから「良い質問」を貰った。

エンジニアではない人には。ノーコード系ツールがあるんだから、もはやプログラミングを学ぶ必要はないんじゃないか?

うん。全くその通りだ。
それで十分とする人にトゥーマッチな提案をしても意味はない。
余計なお世話である。

それは、理系エンジニアが文系エンジニアに「数学」を押し付ける構図と変わらない。

ただ、本人がやりたいと言うことであれば、スクールは喜んでお手伝いをする。それが商売だ。とはいえ、「この商売も、いずれなくなっちゃうんじゃないの?」という懸念があがっているのかもしれない。

例えば、昨今、注目されているBubble(バブル)は、非エンジニアでもメルカリのようなサービスを作れるという。

「バブルが出てきちゃったから、うちらの商売あがったりだよ。」
なんて思うエンジニア、そしてスクールは、今のところ聞いたことがない。

これを聞いて、「そうだ!バブってみよう!」なんて思う人は、私たちのような非エンジニアの起業家の中にはいるのかもしれない。

世間の人々は我々の想像以上に、ITスキルが弱く、一般人はバブルを使いこなせない。ワードプレスですら怖くて触れない人がほとんどだ。

確かに、バブルを学習するか、プログラミングを学習するか、どちらが、やりたい事に対してコスパが高いかは、本人とやりたいこと次第である。

例えば、ワードプレス。

それだけで十分にSEOコンテンツは作れる。
現在、沿線別の自習室まとめ記事を作っており、これは数百の自習室コンテンツの振り分け・組み合わせなので、原稿を一気に吐き出したいと思ってGASを組んでいる。
さらにいえば、ワードプレス上で「見出し」や「リンク」などの整形には時間がかかるので、原稿を吐き出す際に、H2タグやhrefタグを自動で挿入している。
もちろん、こんなノーコード系ツールがあれば、それを使えばいいけど、無いから自分でやるしかない。

例えば、ランディングページ。

こちらも、ペライチだけで十分だ。
しかし、30校舎分のランディングページは作りたくない。
地域が判別できる検索ワードでユーザが入ってきた時、適宜、LPの該当部分を校舎コンテンツを自動的に切り替えて欲しいものだ。こういう対応も、自分でできたらいいなと思う。

上記2点は、「エンジニアの仕事なんだからエンジニアに依頼すべきだ」という考え方もあるが、私のように、自分でやりたくて仕方ない人もいるのである。

人から押し付けられた仕事は「嫌」な仕事になりがちだ。
エンジニアだって人の子。しょうもない依頼で疲弊したくはない。

さて今回、実は下記の視点を持って欲しいなと思って、この記事を書いている。

それは、「ノーコード系アプリケーションの開発会社」の営業目的から考えてみようということだ。

私たちはサービスを作るときに、想定ターゲットのペイン(痛み)に対するソリューション(解決策)をポイントにする。

つまり、こういうツール群は、商売ができる範囲のマスターゲットを狙うしかないわけだから、一人一人の細かい業務に寄り添えないというか、カバー仕切れないということである。

IT企業の多くの現場では、エンジニアが様々な非エンジニアの職種の人たちのために、業務ツールを作っている。

ノーコード系ツールがたくさん出てきても、それは変わらない。いやむしろ、一般的なツールだけしか使っていないと業務に支障がでる。

だから、今あるノーコード系ツールで十分というわけにはいかないのである。

私もまた、業務改善ツールを自作しながらも、やっぱり、細々としたところは、エンジニアに頼っている。

「エンジニアに迷惑かけないで自分でなんとかできるようにしよう」という気持ちよりも、「俺、ここまで自分でできたよ」とエンジニアの人に「頑張ったね!」とか「すごいね!」とか言って欲しい気持ちが、現在のプログラミング学習のモチベーションになっている。

私たちがリリースした「GASスタンド」もいわば、ノーコード系ツールの売買サイトだ。

これのおかげで「スクールの商売があがったりだ」とは誰も思わないだろう。

そろそろ、結論に移ろう。

ノーコード系サービスの隆盛については、私たちのビジョンである
「エンジニア職の独占スキルだったプログラミングをコモディティ化し万人がITを活用できる社会へ」ということと目的を同じくしている。

では、それがスクール業を圧迫するのかといえば、それも違う。

「プログラミング」は職業エンジニアになるとか、何かを作るとかだけが目的ではない。「プログラミング」そのものが目的となっても構わない。

色々な想いでプログラミングをやればいい。その色々な想いをサポートするのが私たちの役割だ。純粋に「プログラミングを楽しんでもらう」ただそれだけだったりする。

そのうち、趣味エンジニアと職業エンジニアの境がどんどん希薄になればいいと考えている。

「プログラミング学習」は、もはや「英会話学習」と同じ立ち位置になっている。「なんとなく良さそう」「かっこよさそう」だけでも、十分な動機であり、これは日本人の民度の高さの象徴であり、むしろ誇らしいことなのだ。

「父ちゃん、もうプロじゃないのに、まだ草サッカー続けているの?」なんて言う人はいないだろう。「プログラミング」もまた、音楽やスポーツと同様、下手でも、金が儲からなくても、誰にも干渉されないものである。

PS)「グーグル翻訳とか、ポケトークがあるから、もう英語の勉強は不要だよね。」というのと、本件は変わらないのかなと今思った。
ノーコード系ツールはツール(道具)であって、学習科目ではない。
最初に思いついていたら、この記事は書いてなかっただろう。


よろしければサポートお願いします。その際はご依頼に答えた執筆をいたします。サポートの際にご依頼文を添えていただけますと幸いです。