ミポリンと三億円事件とわたしの母校4小
竹村校長は今頃聖子ちゃんのクリスマスディナーではしゃいでいるのだろうか?
ちょうど西国の「うなぎの平山」に集合がかかったので、
俺はミポリンの追悼と、三億円事件の現場検証を兼ねて、国分寺散策をしてきた。
3億円事件は、中山美穂が生まれる15ヶ月前、1968年12月10日に起きた。
1968年というと、ビートルズでいうとヘイジュード、ジミヘンでいうとエレクトリックレディランドの年だ。
イーグルスがホテルカリフォルニアで「1969年以降は、ここにはスピリッツは置いてないんだ。」と歌ったように、1969年はロック史においてモーストバリュアブルな年であった。
そんな年の前年の暮れである。
日本人のほとんどはツェッペリンなんか知らない。
彼らのファーストアルバムは1月後にでることになる。
彼ら以外にも、ブラインドフェイス、キングクリムゾン、CSNY、サンタナ、フリートウッドマック、オールマンブラザーズ、グレートフルデッド、プロコルハルム、など、毎週が歴史的名盤なんじゃないかぐらい有名なアルバムが出ている。ビートルズはホワイトアルバムの1位にはじまりアビーロードの1位で1969年をしめくくっている。
話がそれてしまった。要するに何か大きな時代変化がある前年って感じのクリスマスの日に3億円事件はおこった。
まず3億円が運び出された銀行は、いまサイゼリアになっていた。
そういえば「すかいらーく」には行ったなあと思い出したが、どこにあったかは思い出せない。国分寺駅北口は様変わりしてしまった。
マクドナルド、ゲーセン、長崎屋のたこ焼き、輪島の団子屋、どこにあったか、まるで思い出せない。
サイゼリアはとても混んでいた。なんだか、こころなしか3億円の匂いがした。もちろん嘘である。
南口に行くと、殿ヶ谷戸庭園がある。ここは岩崎家の別荘地だ。
そして、キャバクラのとなりに「うなぎの成瀬」を見つけた。
このあたりで、村上春樹がバーをやっていたそうだが、どのビルなのかはわかならい。三菱財閥と文芸作家とうなぎ。すごい土地である。
3億円になったつもりで、国分寺街道を歩いてみる。
まっすぐいくと府中、そして大國魂神社がある。
途中で東八道路をまたぐ。
すき家の手前に右斜めに走る小道が、第三現場のオートバイが待機していたところだ。どこにその駐車場があったのかみる影もない。
3億円事件の強奪現場は府中刑務所のあたりだ。
そこからおそらく府中街道にはでなくて、武蔵国分寺跡の方にいく小道を曲がったのだろう。栗林の茂みでカローラに乗り換えて、今度は小金井の団地で乗り捨てて、そこからは不明となっている。
そこから坂道をあがると、白鳥幼稚園、国分寺市立4小がある。
前者は中山美穂の母校、後者は俺の母校というわけだ。
54歳の逝去とはあまりにも若すぎる。
スティーブ・ジョブズの享年56歳よりも若いのだから。
そういえば、宮益坂で起業したとき、246を渡る陸橋に人だかりができていた。尾崎豊の命日だったらしい。亡くなった場所でないはずだが、ファンはここに集まるらしい。ミポリンの場合はファンはどこに集まるだろうか?
少なくとも国分寺市民のミポリンファンは白鳥幼稚園に集まるのだろう。
その後は平山で牡蠣鍋を食べた。
これが12月6日のルーティンになるのかもしれない。