【書評】ソニー再生 変革を成し遂げた異端のリーダーシップ
ニデックの新社長、岸田光哉氏がソニー出身ということもあり、本書を手に取った。斜め読みながら、読了したのでレビューを書くことにする。率直な感想は、当時のソニーの深刻さが書き込まれておらず「平井一夫」という経営者の偉大さが、うまく伝わってこないな、という印象。いや、企業再建というのは本にしてしまえばどれもシンプルで味気ない。結果からみれば、やっていることはとても単純なのだ。しかし、再建中の企業はカオスであり、社員同士が反目しあい、責任を擦り付けあい、皆が好き勝手を言い、どちらに行くべきか合意が取れない。そんな混沌と不信、諦めが渦巻く空間なのだ。そんな中で、真の課題を見つけ出し、シンプルに考え、決断し、抵抗勢力にめげることなく、愚直に社員と話し、鼓舞し、説得し続けなければならない。それが会社を、社員を、心をまとめるということであり、それは物凄いエネルギーのいることだろうと思う。自分自身には会社経営の経験はないので想像するしかない。ともかく、企業再建とは文章にしてしまえばシンプルなのだ。「混沌とした絶望の中でシンプルな答えを出し、それを貫徹する」。それが経営再建の神髄だと思っている。カルロスゴーンにしても、永守経営にしても、そして今回のソニーにしても、バリエーションはあれど、それはすべてに共通している。ただ、それは現実には簡単なことではない。だからこそ彼らは偉大なのである。
傍流の人
平井氏の話に戻る。彼はソニーでは傍流の人で、Sony Music Entertainmentの前身のCBSソニーに入社した。その経歴ゆえに「異端」という部分が強調されがちだ。とくに、彼が音楽しかわからないこともあり、エレクトロニクスが本流のソニーの中で「エレキのわからない平井に何ができる」と散々の言われようだったようである。他企業でも、傍流の人が会社を再建する話は散見される。しかし、その本質は傍流ゆえに「会社のレガシーや常識に囚われない意思決定ができた」ということであろう。それは傍流の特権でもないし、そもそも傍流から抜擢されていく時点で優秀に決まっている。傍流の経営者は、結果である。と私は思う(もちろん傍流言えに常識に囚われにくいということは認めるが)。
彼の性格について言うと、本書からは平井氏が企業人以前から常識に囚われない意思決定をしてきた人であることが伺えるし、良い意味で意思を曲げない人であるという印象を受けた。組織が安定して周り出すと物足りなさを感じてしまうという気質のようで根っからの再建マンの素質を持っていると感じた。
彼が再建の中で意識してきたことの一つは人心掌握である。具体的には「知ったかぶりをしない」「周りが支えたいと思う社長になる」など人間として真面目で素朴な心掛けであり、参考になるところが多い。「IQよりもEQ」と彼は言っているが、企業再建とは社員の心を一つにまとめ、エネルギーのベクトルを合わせて製品に昇華していくことである。リーダーの役割はそのメンバーのエネルギーを開放し、火が弱っているのであれば風を送って鼓舞し、そしてその炎を一つにまとめ上げ、焚火にしていくことである。
社長の言葉を周りに信じさせることの大切さも説いている。前任のハワード・ストリンガー氏はSony Unitedという言葉を使って社内を一つにまとめようとしたがそれは浸透しなかった。平井氏もOne Sonyという言葉で同じことしているのだが、この点、平井氏は自分のメッセージを浸透させることに非常に腐心している。その一つがソニーの製品が好きだということを強調したし(実際に好きだったのだが)、それによって彼が傍流だろうと何だろうと、ソニーを愛していることが社員には伝わっただろう。この点については、カルロスゴーンも実際に日産の車を運転し、自分が車好きであることをアピールしていたことを思い出す。
具体的な判断ーテレビ、モバイル、パソコン
経営判断の面で面白かったのは事業撤退の判断である。テレビ、スマホは存続し、パソコン(VAIO)は撤退した。どれも赤字でメディアからはいつ売却するのかと迫られていた事業である。この判断の違いは非常に参考になるので、簡単に紹介したい。
まず8期連続で赤字だったテレビ。テレビは量を追う戦略から、ソニーの技術力を生かせる高価格帯に絞って台数を縮小し、存続した。「量から質へ」は当たり前のように思うかもしれないが、実は当時量を追っていたのには理由があった。ソニーはテレビ以外の家電製品も多く取り扱っていたため、テレビの販売台数が減ると、販売店の置場面積が縮小され、他の製品群の置場も減らされてしまうのである。つまり、コモディティ化していたボリュームゾーンで韓国勢や中国勢と戦っていたのは、他の家電を守るためだったのである。この「テレビの販売台数に依存した流通モデル」は当時は常識として認められていたのだ。しかし平井氏はそれが本質的ではないことを見抜き、質から量への転換を断行した。この決断ができたのはKANDOというスローガンのもと、感動を与える製品を世に送り出すというソニーのアイデンティティに基づいた判断の結果だろう。このKANDOを軸にしたからこそ「販売台数で家電を守る」という倒錯した現状を終わらせることができたのである。
次に、モバイル。高機能のカメラなどを搭載したXperiaは一定の存在感はあったものの、なかなか差別化する軸を打ち出せなかった。私個人の体験としても精彩を欠く感があったし、当時のiphone、Samsung Galaxy の攻勢の前にはやはり霞んでいた印象がある。しかし、売却はせず存続を決めた。理由は二つある。一つは、モバイルは一度やめると再参入が難しいこと。もう一つは、長い視野でみると、今撤退すべきではないという判断だった。その根拠は「テレパシーが実現しない限り、コミニケーションはなくならない。これからコミニケーションがどう変わっていくかもわからないのに、今シェアが取れないからといって、モバイルから撤退すべきではないのではないか」という判断であった。このような大局観のもと、モバイルはハイエンドでシェアを追わず継続することになった。技術の継続、という観点からの判断である。
最後に、パソコンのVAIOである。VAIOについても、他と同様にプロ向けに絞ってやっていくのはどうかという意見は出た。しかし、OSと半導体というパソコンのスペックを決める主要な部品を外部から調達している以上、ソニーとして差別化は難しいと判断された。VAIOはソニーの代名詞であったし、メディアやOBからは散々批判されたようである。パソコン事業の売却に合わせて、バッテリー事業も村田製作所へ売却を決定した。リチウムイオン電池はソニーが初めて商品化したこともあり、これも技術のソニーを象徴するレガシーだったが、そのノスタルジーを振り切って撤退した。
興味深いことに、VAIOブランドはソニーを離れたあと売却先で黒字化している。ソニーでは花開かなかったが、ソニーの外でしっかりと生きているのだ。これは素晴らしいことだと感じる。ソニーの取捨選択が正しかったことの証でもあるように思う。
ニデックに受け継がれる、平井氏の経営手腕
ところで、本書を読むと、今ニデックで新社長として経営にあたっている岸田氏の発言と重なることが多い。就任後従業員との対話のなかでニデックの新たなビジョンを作り出そうとしていること、量を追わず質を追求すること。正直であること、異見を求めること。ソニーで役員まで務めた岸田氏は当然、平井氏の再建を実体験として見ている。彼の経営人生に影響を与えているのも自然なことだ。本書を読みながら、改めてそのことを感じたし、ぜひニデックの「第二創業」を軌道にのせ、10兆円への飛躍を実現してほしいと思う。経営もまた、思想であり、人を通じて受け継がれていくものである。ニデックという会社は、永守経営学とソニーの経営哲学を手にしたことになる。両社は共通点もあるし、異なる部分もある。その二つが融和し、化学反応を起こし、ニデックが情熱的な経営思想が生まれ続ける源流となることを願う。
追伸.
本書をベースに経営学者の入山先生がソニーの再生について解説しています。「傍流」の部分に焦点を当てすぎていて、本書の解説という意味では単純化されすぎたきらいがあるので、冒頭には紹介はしませんでした。この投稿を最後まで読んでくださった皆様には、シメとして見て頂ければと思います。
「ソニー再生」で読み解く会社を立て直す社長の条件【テレ東経済ニュースアカデミー】【完全版】 (youtube.com)