深夜、謎の珍入者
深夜に目覚め、子供を寝かしつけのまま寝落ちしていたことに気づく。
時刻を知ろうとスマホに手を伸ばし横になったまま、やり残していた作業を確認していると、頭髪に何かが触れた感触を感じた直後に寝室の壁面に何かが当たったような音がした。
上体を起こし、手で探ってみるが何も分からなかった。
少し気になりながらも再び横になる。
直後に再び顔に何かが触れる感触。
思わず「わっ」と僅かに声が出てしまった。
幸い子供が起きることはなかったが、ちょうど目覚めていたらしい家人を驚かせてしまったようだ。
しかし驚いているのはこちらである。
暗闇で何も見えないなか、2度も立て続けに『何かが』触れる気配を感じたのだから。
かといって部屋の照明をつけるわけにはいかない。
こういった時にスマホは実に便利だ。懐中電灯の機能がついている。
このライト機能をオンにして、私の枕元を照らしてみる。
何も不審なものは見つからなかった。
気のせいなのか…。
念のため周囲を確認しようと、枕元付近の寝室の壁へ光を照らしたところ、
いた。
そこに侵入者がいた。
その瞬間に全てが理解できた。
初めに頭髪に触れる感触、その僅か0.数秒後ほどに聴こえた壁に何かが当たった音。
その理由がわかった。
跳んだのだ。
私の頭部から壁へと『跳んだ』のだ。
そう、その珍入者は…
コレです。
『カネタタキ』
秋の夜を盛んに奏でる虫たちのなかの1人。
鳴き声はこちら。
非常に的確な名前がつけられていると思うが、実際に金属を叩いたような『チッ、チッ、チッ、チ…』という音がする。
以前の我が家で、この鳴き声が聴こえ、窓を開けているから外からの虫の声だろうと思いながら窓を閉めてもなお同じボリュームで聴こえる。
!
つまりは室内にいる。それがわかった瞬間に戦慄が走った。
音の主も当時は判然としなかった。
捕獲して静寂を手に入れたのは数日後であったと思う。声は聞こえどなかなか姿を現さず実に苦闘した。
そのカネタタキが再び目の前にいる。
そして、目の前で
跳んだ!
いや、千載一遇のチャンス。このまま見逃すわけにはいかない。
幸いまだ鳴いてはいなかったが、これから室内で鳴かれると困る。いくら名演奏家であってもオールナイトでのべつの演奏は困る。
いえ、承知致しております、破格のVIP待遇して下さっていることは。
独占ですもの。
数多あるご家庭のなかでこの度我が家をお選び頂けましたことには心より感謝申し上げます。
そんなやりとりなどお構いなしに、空想に耽る私の脳内が次の瞬間、現実に置換された。
騒動に完全に目を覚ましていた家人より手渡されたのは1枚のティッシュペーパーであった。
これを風呂敷の如くふわりと、その演奏家のカラダを包み込むように上空から覆い隠した。
袋状に包んだティッシュの中に、おそらく『稀代の天才』は入った。
周辺を隈なく照らし、跳ねて逃れてしまってはないかを丹念に調べる。
どうやらその可能性は低いようだ。
監禁した偉大なるソリストを傷つけないようにドアの隙間から解放しようと試みることにした。
ここが一番肝心なステップである。
逃した珍入者は往々にして、室内に舞い戻ってくる。明るさを好む虫であればなおのこと、照明のある方へと、つまり室内に舞い戻ってくる。
だが幸いに跳んで舞い戻ってくることはなく、外の床面にいらっしゃることを確認することが出来た。
しかしながらまだ安心出来ない。
逆に今の瞬間、別の珍入者を招き入れていないか。
どうやら幸いその可能性はなさそうだ。
ところでいつのまに、どこから侵入したのだろう?
ホッと胸を撫で下ろしつつも侵入経路が気になった。
それから静寂のなか、ただ聴こえるは秋の奏者たちの様々な鳴き声だけであった。その美声にしばし耳を澄ました。
そして大捕物を終え、興奮冷めやらぬ心待ちでしばらく寝付けない私の聴覚は確かに認識した。
時折聴こえるカネタタキの鳴き声。
先程、強制送還させていただいたあのカネタタキかしらん?
本来のステージにて、他の楽団員とセッションしているに違いない。
まだまだ夜は長い。
盛大に奏で給え、歓喜の歌声を。
おしまい