【回想】実はユーミンが怖かった…
ポチッと、たまたまつけたテレビでユーミンを拝見したり、旦那様の正隆氏を拝見したりとユーミンに触れる機会がこの数日の間でありました。
そこで私の記憶を辿ってみました。
出逢いは奇妙
ユーミン。
ムーミンのように聴こえる愛称。
子供の頃、まだそんなくらいの認識。
当然、まだ意識的にユーミンの音源を聴くような年齢ではなかった。
1989年9月
毎週楽しみにしていた「とんねるずのみなさんのおかげです」
なかでも1番楽しみにしていたコーナーが、クラスでも人気で流行っていた「仮面ノリダー」
毎週登場する石橋貴明さん扮する〇〇男が楽しみだった。
ある時、元ネタの印象が個人的には、いつもとは異なる怪人が登場する。
それは、
ユーミン男
だった。
たまおさんという方が、画像をアップされていたので、引用させて頂く。
ユーミン男の体には「リフレインが叫んでいる」の歌詞の一部が記されている。
そしてユーミン男は、この曲のフレーズを口ずさんでいたのだった。
もちろん、バラエティ番組であり、面白く観ているのだけれど、なんだかユーミンが悪役のモチーフになる、その辺のニュアンスがまだわからない自分自身にはユーミンの存在が奇異に映ったのだった。
夏の日の1993
あの名曲classの「夏の日の1993」が流れていた頃…
私は『世にも奇妙な物語』でユーミンと再会する。
それは
1993年の真夏の特別編『隣の声』
でした。
本番組をこわいながらも観ていた私。
以下のブログにそのストーリーが記されていたので、引用させて戴きます。
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数学の教師をしているミサコは、
5年付き合っている彼とユーミンの曲をよく聴いていた。
ある日、ユーミンのコンサートのチケットが取れたとはしゃぐミサコ。
しかし、彼の口から出た言葉は
『好きな人ができたから別れてほしい』というものだった。
ミサコは帰宅すると、
よく二人で聴いていたユーミンの『翳りゆく部屋』のレコードをかけ、泣き崩れる。
来る日も来る日も、レコードをかけては彼との思い出に浸っていた。
そんなある日、隣の部屋から変な音が聞こえてきた。
そして、何かの衝撃で写真立てが倒れ、回していたレコードには傷がついてしまった。
試しにレコードを回してみるが、傷のついたところで音飛びし、
「戻らない」というフレーズが何度も流れる。
そのフレーズに耳をふさぐミサコ。
ミサコは怒りに任せて、隣の部屋に面する壁を、思いっきりたたいた。
翌朝、傷がついてしまったレコードをミサコは「さよなら」と捨てる。
しかしその夜、隣の部屋からゆがんだ音で『翳りゆく部屋』が聴こえてきた。
それは毎日のように続き、
ミサコはもう我慢できないとマンションを管理する不動産屋に電話をしたが、留守電。
『隣の部屋の206号室のことでお話がある』と、メッセージを入れた。
ある日、彼に会う機会があり、胸を躍らせてそこへ行ったミサコ。
しかし、彼には無視されてしまった。
無視されたのは、隣の部屋からの音のせいで眠れず、
くまが出来てしまったせいだと嘆き、落ち込んでいると、
またあの音が隣から聴こえてきた。
とうとうミサコは、隣の部屋のドアを叩いた。
すると、自分の部屋から電話のコール音が鳴った。
不動産屋だ。
「隣の部屋の人が嫌がらせしてきて、どうしようもなくて!」
「あなたの隣の部屋、206号室は先月から誰もいないの、空き部屋なんですよ」
「そんな、、、そんなはずないです!」
「それなら確かめてくださいよ」
ミサコは恐る恐る、206号室のドアノブに手をかけた。
206号室、そこは本当に空き部屋だった。
ミサコが入っていくと、また隣の部屋からあのゆがんだ音が聴こえてきた。
隣の部屋、、、つまりミサコの部屋からだ。
『私の部屋から?、、、そんな』
ミサコは急いで自分の部屋に戻る。
自分の部屋に戻ると、ゆがんだ音は隣から聴こえてくる。
『やっぱり隣、、、』
再び206号室へ行くミサコ。
しかし、206号室に行くと自分の部屋から音が聴こえてくる。
わけがわからなくなったミサコは恐怖を抱き、自分の部屋に戻ろうと廊下へ出た。
すると、女性の笑い声が聞こえてきた。
耳を澄ますミサコ。
その笑い声は、ミサコの部屋と206号室に挟まれた壁のひび割れから聞こえてきていた。
そのひび割れから、恐る恐る壁の中をのぞくミサコ。
『ねぇ、こっちへおいでよ』
はっきりとした声が聞こえてきた。
そこには女の人の姿があった。
『一緒にユーミン、聴こう?』
驚き、壁から体を離すミサコ。
しかし、壁のひび割れから手が伸びてきて、
ミサコは抵抗するものの、壁の中へと連れて行かれてしまう。
そして、ミサコの部屋だった205号室に入居を決めようとしている女性いた。
不動産屋は「やっぱり勧めないよ、この部屋は」と言う。
「この部屋に住んだ女性が二人立て続けに行方不明になっているんだ」
ストーリー書いていたら、長くなってしまいました。。。
伝わりますかね、この恐怖。。。
隣の部屋から、自分がよく聴いていた曲が、
ゆがんだ音で聞こえるだけでも怖いのに。。。
それが隣の部屋からかと思ったら、空部屋で、、、
怖い、、、
ミサコのように気持ちが立ち止まっちゃうことってありますよね。
前へ進むしかないことはわかっていても、
どうしても過去へと想いがいってしまう。
そういう気持ちへの警鐘的なストーリーなんでしょうか。
本当にそこから抜け出せなくなってしまったら、
暗い壁の中へ入っていくのと同じだという、、、。
どんなことがあっても、前を向いていたいですね。
たとえ過去をみてしまうことがあっても、
それはポジティブな意味での懐古であってほしいと思いました。
今もミサコは、あの壁の中にいるんでしょうか、、、?
ミサコを壁の中へと連れ込んだ女の人と、ユーミンを聴きながら、、、
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いまあらためて読んでも怖いのですが。
おわりに
私にとっては、上記の2つのエピソードがあったことから、
ユーミン
には、まず少し怖い印象があったのです。
もちろん今は何も問題なく愛聴する歌手です。
冒頭の番組だったか、若者のユーミンの印象は、「ジブリの歌の人」、「教科書に載っている人」のようです。
私は思い起こすと、出逢いは「怖い印象」でした。
これは、私における「ユーミン像」を形成するのに、ハズすことのできないエピソード。
すなわち「#創作にドラマあり」です。
おまけ
経営学者の三宅 秀道さんが、ブログに以下のようなユーミンにまつわる文章をお書きになっており、非常に興味深かったので引用させて戴きます。
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私が住む東京都町田市の小田急町田駅の東口の広場には「絹の道」という石碑がある。それをゼミ生に見せてからJR横浜線の下り線に乗り、八王子に向かう。その車中で、なぜ八王子と町田を結ぶこの街道が絹の道と呼ばれるか、学生たちに説明する。
このあたりの多摩丘陵の地形地質が桑畑に向いていて、それが地域の養蚕業を盛んにしたこと。そうして絹製品の産業基盤がこのあたりにあったところに、幕末期に盛んになった生糸輸出で、山梨や長野、群馬の生糸がいったん八王子に集まり、そこから輸出港横浜まで運搬されるルートができたこと。その流通加工拠点であった八王子には富が蓄積されたし、横浜までは生糸を馬の背に乗せて運ぶにも一日では歩ききれないので、行商人たちがその中間地点の町田で一泊してお金を落としたこと。横浜で生糸を売り捌いて懐が暖まった行商人たちが、おそらく帰路についた一泊目の町田で羽根を伸ばしたので町田には町の規模の割りに大きな歓楽街があること。
そしてここからはさらに無謀な憶測だが、つい遊びすぎた商人は費用に窮して往路は生糸を背負わせてきた馬を売ったりしたのではないか。そのせいで町田の駅近くに老舗の馬肉料理屋があってそこの桜鍋も有名なのではないか、なんてことも話す。
列車が八王子駅に着くと北口から数分歩き、国道16号線に出る。中央線の駅前が発展するまではおそらくこの古い街道沿いが八王子の中心部だったはずで、その商店街を歩きながら、さらにゼミ生たちにエピソードを紹介する。
絹に関わる産業でこの町が繁栄して、ある呉服屋のお嬢さんが名門立教女学院に入り、そこから染色を志して多摩美術大学に進学したこと。ここまでは呉服屋のお嬢さんとしては自然なキャリアだが、少女時代に音楽に目覚めてしまったため、まだ小さいのに麻布あたりでミュージシャンと交流して刺激を受け、一気に才能が開花し、当時の自分の生活情景を描写して名曲を次々と創作したこと。
彼女が相模線にゆられて茅ヶ崎のゴッデスに行ったり、山手のドルフィンでソーダのグラスをかざして貨物船を見たり、当時のお洒落な若者が憧れるスポットを固有名詞のまま歌詞に使ったため、そのスポットに彼女のファンが押しかけて繁盛して、彼女自身が予約しようとしても断られるようになったとか、そんな逸話を話して、「誰のことだかわかる?」と聞いても平成生まれの学生たちにはにわかにわからない。
それでなおも、「そのお嬢さんが都心で遊んで夜遅くに彼氏の車で中央自動車道を送ってもらうとさ、調布のあたりだな、右手にビール工場、左に競馬場、っていう光景がフロントグラスを染めて広がっているわけだ。聴いたことあるんでないの?」「あ、ユーミンの中央フリーウェイですね!」「そう、それでそのユーミンの旧姓が荒井だよな。そんならこの呉服店の店名は?」と聞くタイミングくらいで、ちょうど荒井呉服店の前に着くわけである。この頃には喋るこちらも気分が盛り上がってしまって、歌詞を紹介するだけのつもりが節つきで歌ってしまうので、呉服店の中から店員さんが怪しげに三宅ゼミ一行を見ていたりする。
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ユーミンは、素晴らしいアーティストだとあらためて思う今日この頃です。
おしまい
最後までお読みいただきありがとうございます。 いただいたサポートは麦チョコ研究助成金として大切に使用させて戴きたいと思います。