YOUは何しに北朝鮮へ #5 夜の首都を走れ
忌まわしきベットタウンを出てぼくのキャンパスライフが始まる。前途は洋々、人並みにぼくは期待していたのだが、その期待は見事に裏切られる。1995年3月20日に起こった地下鉄サリン事件によって。
日本の転機として1995年は必ず記録されるべき1年だろう。阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件。Windows95の登場とインターネットの本格的な普及。ここでぼくはまた間違いを起こす。キャンパスライフを自ら放棄した。オウム事件にぼくははまった。朝起きてオウム特番を見て、授業の合間にオウム特番を見て、授業が終われば帰ってオウム特番を見た。オウム幹部とジャーナリストたちが繰り返す、論争と呼ぶにはお粗末な衝突を毎晩シャワーのように浴びていた。
北朝鮮のことは一旦横に置いた。授業に出る以外の多くの時間、ぼくはオウム特番を見ていた。学科ではノートを貸し借りするような人間関係が出来つつあったが、今、首都で起こる危機を優先した。むしろ、なぜこの明らかな危機に対して学科の同級生たちは関心が薄いのかぼくには不明だった。日本転覆寸前についてのこの危機感のなさは何なのだろう。そんなことをオウム特番の間によく考えていた。麻原彰晃が逮捕され、事件が一段落するのは5月16日のこと。ようやくオウム熱が冷めたころには春学期は終わっていた。
夏休みと文化祭の日は名古屋地裁にいた。17歳の夏も散々だったが18歳の夏もまた散々だった。新聞に独自の選挙戦を展開すると書かれる泡沫候補のような夏休み。迷走は続く。読書と友人と会う以外にオウム幹部の裁判を傍聴していた。秋学期が終わり、春休みは大手新聞社の編集室で深夜のバイトをして、自宅までタクシーで帰る豪奢な毎日を過ごしていた。タクシーは夜の高速道路を走る。高速道路の窓の外と、上がる料金メーターを見ながら、ぼくは現在進行形で人並みの青春からどんどんかけ離れている気がした。そして2年生になった時、そういえば北朝鮮ってどうしてる?とぼくは懐かしい旧友を思い出すかのように、ようやくその存在に思い至ったのだった。
久しぶりに会った旧友。北朝鮮を取り巻く状況はまずくなっていた。北朝鮮早期崩壊論が広がり始め、きな臭いニュースがいくつも聞こえてきた。ぼくは韓国の大学への短期留学を決めた。人生を左右する恩師との出会いがきっかけだった。その大学には脱北した学生が在学していて、当時大学新聞の記者をやっていたのでインタビューを取りたいと恩師に伝えた。それは面白いね。やろう。君もぼくが引率する短期留学プログラムで韓国に来なよという話になったのだ。
1997年2月のソウル。漢江も凍るソウル。そこで事件が起こる。北朝鮮の幹部の韓国への突然の亡命。先に亡命していたロイヤルファミリーの殺害。ソウルは一気に緊張した。
その日以来ソウルの地下鉄の駅に明らかに目つきの違う男たちが立った。目を光らせるということばがあるが、本当に人の目は光るのだということをぼくは知った。鋭い視線に射抜かれる感触をぼくは何度も味わった。彼らは安企部(国家安全企画部。現・国家情報院)の職員だったのかも知れない。「あなたは安企部の人ですか」などと馴れ馴れしく確かめられる雰囲気は全くなかった。その横をびくつきながらぼくは歩いた。韓国語なんてろくに出来ないから捕まったらややこしいことになる。
昼も夜もなくソウルを走り情報を集めた。東京新聞の記者とCNNの記者が会ってくれた。CNNの記者とはつたない英語で話した。ぼくは学生新聞の記者です。今後北朝鮮はどうなるのですか。そう名乗り聞いたところ「Welcome!」と固く握手をしてくれたことを覚えている。回答は両方とも「北朝鮮がどうなるかって?わからないなぁ」というものだった。
さらに北朝鮮軍のトップ3である総参謀長と人民武力部第1副部長の死去のニュースが入った。いずれも軍の幹部だ。「いったい何が起こってるんだ。もう帰りたいよぅ」と恩師と話した覚えがある。
その後安企部は1999年に国家情報院と名前を改める。太陽政策を推し進め南北頂上会談を行った金大中政権でのもとで。後述するが、南北頂上会談は韓国における金正日総書記のイメージを大きく変える転機となった。そして現在の文在寅政権の融和政策。
ソウルでぼくが緊張した夜。視線に射抜かれた経験は今となっては既にかすかに残っていた残照に近いものだったのかも知れない。分断と休戦の相手と対峙する緊張は、板門店で極限に達するかと思ったがそうでもなかった。あの緊張に夜が圧倒的に勝る。
安企部の北朝鮮のスパイへの取り調べの苛烈さは韓流映画でもよく描かれるが、そのかすかな感触を確かに97年の冬にぼくは味わった。切れ味の悪い剃刀で顔を傷つけた時のような、ひりひりとした感触を今も覚えている。
■ 北のHow to その28
安企部の名称も国情院に変わり、以前に比べて組織として小さくなったとはいえ今も韓国では、スパイ申告番号として113番が今も残っています。韓国留学中の下宿には、兵役中にスパイを捕まえたという友人もいました。不用意な言動は大変な結果を招きます。韓国滞在中、気をつけましょう。
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