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俺たちのユンジュ 北の国の忘れ得ぬ人々 #3

「ちょっといい?」。とえらい人に呼ばれて「いやっほぅ!」といい予感を覚えるおめでたい人なんているのだろうか。だいたいえらい人、上司や先輩や妻(ここ重要)「ちょっといい?」と呼ばれた時には、ほぼ間違いなく悪いことが待っている。40年以上生きてきて、ぼくが見つけた人生の法則だ。

 ある会席の時もそうだった。在日コリアンの地位の高そうな方にまじまじと「北岡さんだね?」と顔を確認された上で「ちょっといい?」と言われたのだ。心当たりがあり過ぎる。「任意ですか?それとも強制ですか?」と口にしそうになった。 

 心当たりは朝鮮総聯の機関紙「朝鮮新報」で書いたあんな記事やこんな記事。どの記事もオタク度120%。文体はニコチン1㎎のたばこよりもさらに軽くかなり暴走気味に書いたので「ニッポンの記者さんな。あんまりわしらの庭を荒すなや?な?」と怒られると思ったのだが違った。

 その方は言うのだ。「ユンジュのこと書いたでしょ。あの記事よかったよぅ」と大喜びなのだ。「制裁のせいでユンジュとなかなか会えないんだよ」というので「うちの政府がスミマセン」と思わず謝った。その方は平壌ホテルの人気バーテンダー、チェ・ユンジュさんの想い出話をしてくれた。

 ある時ひどく体調を崩し平壌ホテルでうんうん唸っていたという。するとノックの音がする。ふらふらとしながらドアを開けるとそこに立っていたのがユンジュさん。メニューにはないおかゆを作ってわざわざ部屋まで作って持って来てくれたという。

「こんなことをしてくれるのはユンジュだけ!」とはドヤ顔のその方。

 以来訪朝の度にその方に届け!と朝鮮新報にユンジュさんの記事を書いている。

 数年前に行われた味の素スタジアムでの女子サッカーの中国VS北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国戦。北朝鮮応援席で取材をしていた時のことである。在日コリアン男性数名の取材が終わり「ありがとうございました」と頭を下げると、さっきまでにこやかだった男性1名の表情が険しい。「あなたには前からひとつ言いたかったことがある」

 これまで抗議を受けたこともなくはないがここでか?確かに日本人なのに北朝鮮応援席に居座ったのは悪かった。謝る。でも事前のドレスコード通り赤いシャツ着てるじゃないか!広島カープのシャツだけどさ。男性は低い声で続ける。

「ユンジュは、オレのものッスから!」

 鼻息が荒い。ずっこけた。

 調査を進めたところユンジュさんの年齢は40代前半(77年生まれ?)、旦那さんは国際航路の船乗りで息子さんがいる。船乗り?やばいよやばいよ。ヤクザよりもめっぽうケンカが強いのが漁師だと愛読誌のアサヒ芸能で確か読んだ気がする。

 他にもエピソードはぞろぞろ出て来る。ある夜、在日コリアンの酔客に「わしは今、この瞬間に炙ったするめを食べたいんじゃがのぅ」とからまれたユンジュさん。知合いのいるホテルに電話をすると夜の平壌を自転車で疾走、カセットコンロを借りてきてするめを炙り酔客を大喜びさせたという(そしていい値段をふっかけたのだろう)。夜の平壌は街灯が少なく想像以上に真っ暗。車で走るとかなり怖い。あと「例えばチーズのような、なかなか平壌では出てこないつまみがひょいっと出て来る。どこかにコネがあるんだろうね」とは別の在日コリアンの方。

 在日コリアンのみなさんからは日本人の記者は警戒されるものだが、ユンジュさんネタはどんどん話してくれる。「俺たちのユンジュ」の話をみんなしたがっているのだ。

 平壌ホテルには2階と4階に小さなバーがある。ひとつをユンジュさんが、もうひとつでヘンボクさんという女性がバーテンダーを務めていたという。ヘンボクとは幸福の意味。在日コリアンの男性はユンジュ派とヘンボク派に真っ二つに割れたと聞く。

 フェミニストの方の憤懣ぶりがうかがえて書くのに躊躇するが、北朝鮮は女性の年齢に対して未だ厳しく結婚した時点で、あるいはある程度年齢を重ねた時点で接客業の第一線からサヨナラとなるらしい。でもユンジュさんは結婚しても、40代を越えても第一線にいた。

 真偽不明な噂は色々出て来た。「訪朝した在日コリアンの高校生に求婚された」「在日コリアンの子どもが公演のため訪朝すると、ワゴンにお菓子を積み彼らのいるフロアを車内販売よろしく売り歩いた」などなど。未だ在日コリアンのファンは多く、誰かの平壌出張が決まるとユンジュさんへのプレゼントが集まり、中にはセクシーな下着があったとかなかったとか…。

 在日コリアンの男性陣はもちろん、女性もユンジュさんにメロメロ、首ったけなのである。そんなユンジュさんにちょっかいをかけたのが日本人であるぼくで、その人気のおこぼれを貰ったわけだ。そういえば一度、取材中にある在日コリアンの女性の読者にこう忠告されたことがある。

「あなたね、ユンジュには気をつけなさいよ。あの娘はねあなたの手になんておえないから。はまっちゃダメよ」

 はっ!くれぐれも気をつけます!と頭を下げた次の瞬間、笑いがこみあげて来た。魅力あるユンジュさんをめぐり在日コリアンが忠告し、日本人記者が頭を下げるこの状況は、国外でも国内でも全くいい話がない日朝関係では今や実に、貴重な瞬間ではなかったか。

■ 北のHow to その36
 平壌ホテルは在日コリアンの方の定宿です。お勧めはバー!だけでなく、書店。品揃えが良く、働いている女性接待員が実に教養が深いのです。「こんな本ありますか?」と聞くと即座にその分野の本が出てきます。レファレンスの女神と呼んでいます。

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