カウンター越しの彼女は#1 北の国の忘れ得ぬ人々 #1
北の国の忘れ得ぬ人の名前をひとり挙げよといわれたら、ぼくはまっさきに平壌ホテルのバーテンダー、チェ・ユンジュさんの名前を挙げたい。
2013年秋。平壌ホテルでぼくはユンジュさんに出会った。「この方、平壌でナンバーワンのバーテンダーなんですよ」。引率者の在日コリアンの方の紹介のことばを聞いて、ぼくは必死に失笑をこらえていた。
そもそも平壌にいくつバーがあるんですか?と。
具体的に県名出しちゃうけど、鳥取県や福井県の高校野球の予選じゃないんだから。2つか3つ勝ったら決勝戦、そのまま甲子園出れちゃうんじゃないの?と思ったわけだ。
朝鮮人にしてはちょっとぽっちゃりしたユンジュさん。彼女は失笑をこらえるぼくのそんな気持ちを知っていたかいなかったか。
平壌にいる時のぼくはちょっと、いや、かなり調子に乗っている。その時もそうだった。
「せっかくだからオリジナルのカクテル作ってください。テーマは『平壌の夜』で。あ、ぼくお酒飲めないのでノンアルコールでお願いします」。
無茶ぶりである。
「平壌の夜」のテーマは北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国の名曲「あけるな平壌の夜よ」からとった。こっちの仕掛けは充分。気分は在原業平だった。
彼女の眼がクリクリッと動いた。こちらの挑発に乗ってくれたようだ。笑みを浮かべて長いグラスを準備するとストロベリーシロップとオレンジジュースをベースにシェイクし、そしてカウンターを飛び出してひとつ赤い花の蕾を取るとグラスに沿わせた。それは彼女の職場、平壌ホテルを訪れる直前にぼくたちが行った主体思想塔の姿に見えた。ちゃんとこちらの話を聞いていたのだ。
調子に乗った結果、バッサリ斬られた。
爽快なる敗北感と共にカウンターでカクテルを飲んでいると、カウンター越しの彼女はいうのだ。「今度は春に平壌に来てください。イチゴの美味しいカクテルを作りましょう。もちろん、ノンアルコールで」。
さらにバッサリ。容赦ない。
もはや感嘆のため息しか出ないところでもうひと斬り。無慈悲だ。
「先生様はいいバーテンダーの条件って何かわかりますか」と下戸のぼくにユンジュさんは問うたのだ。
「うーん。ぼくお酒飲めないからわからないや」と答えると「100種類、1000種類のカクテルを作ることがいいバーテンダーの条件とは私は思いません。本を見ればカクテルの作り方は載っているのですから。それよりもその人と話して感じること。直観力といえばいいでしょうか。それが大事だと私は思うのです」。
カッコよ過ぎる。全てがカッコよ過ぎる。カウンター越しの彼女は凛としていた。
秋の夕日がバーに飛び込んできた。赤色をベースにしたカクテルが一瞬陽の光に溶けて見えなくなった。
そこに案内員が無粋に飛び込んで来た。「ここにいたのですか!何やってるんですか!さっさと夕飯食べに行きますよ!」その場にいた全員がその声を聞き、あわあわとぎこちなく動き出す。
「えっと、おいくらですか」。「いらないわ」。「いや、それはまずいですよ。払います」。「じゃ、6ドルで」。「あ、細かいドルがない…」。わたわたしてると案内員が叫ぶように「もう!支払いなんていいですから!行きますよ!」。半ば連行されるかのようにぼくらは連れて行かれた。
あろうことかぼくは北朝鮮にツケを残して帰ってきた。下戸のくせに。日本でバーなんてほとんど行かないのに。日本人の恥、ここに極まれりである。
せめてもの罪滅ぼしと、ぼくは帰国後朝鮮総聯の機関紙「朝鮮新報」にこの顛末を書いた。それが意外な結果を呼ぶ。今のことばでいうならバズったのである。彼女は平壌イチのバーテンダーどころではなかったのだった。
■ 北のHow to その34
平壌の接待員というとその美貌ばかりに目がいきがちですが、会話の妙をぜひ楽しんでほしいと思います。ユーモアに富んで粋。そして洒脱。ぼくはまだまだその魅力の深みの淵に立っただけという気がします。
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サポートいただけたら、また現地に行って面白い小ネタを拾ってこようと思います。よろしくお願いいたします。