東京日朝焼肉大戦争血風録(4)
ホルモンの脂が滴り上がる炎越しに対峙する異端児とぼく。「焼肉は屋根の下で食うものか」という問い。緊迫感は極限に達した。
「バカもんっ!焼肉なんて美味ければそれでええんじゃ!」
突然話に割って入って来たのは横のテーブルに座る白髪の老人だった。戸惑う異端児。唖然とするぼく。異端児があっと驚きの顔になり「ごぶさたしております先生!」と平伏したのだった。
白髪の老人はぼくに向かいにっこりと笑い「すまないのぅ日本の方。この男、朴はわしの教え子なのじゃが、学生のころから理屈っぽくてしょうがない。そして見ての通りヤクザみたいな風貌をしておる。さぞ怖い思いをしたじゃろう。わしに免じてここは許してくれんか」というのである。
「許すも何も。先生のおっしゃる通り美味しい焼肉が一番です。ケンチャナヨですよ」と調子よくぼくがいうと、老人は水戸黄門の西村晃のように「かっかっか。確かに、美味しければケンチャナヨじゃな」と笑う。一瞬しょぼんとした異端児も愉快そうにハッハッハと笑う。その横に座る女性も、痩せた男も、老人の連れたちも「そうだそうだ」と笑っていた。
なし崩し的にテーブルはいっしょになり、久しぶりに席を同じくした異端児に酌をされてゴキゲンな老人は「日本の方。どんどん食べなさい」と焼肉を勧めて来た。
ここでひとつ解説を。ケンチャナヨとは韓国語で괜찮아요と書く。北ではイロプソヨ 일없어요と表現されることもある。「大丈夫です」「OKです」「まぁ気にしないで」と訳せばいいだろう。赦しの意味が少なからず加わる。あとはこれ以上事を荒立てない意志も。日常生活で多用される表現である。異端児とぼくの間の関係。老人と異端児の師弟関係。緊張していたふたつの関係はぼくの放ったケンチャナヨのひとことで、一気に弛緩させられたのである。
しかし、このことばは緊張関係を崩す万能の呪文ではない。屋根の下で食う焼肉と外で食う焼肉どっちが美味いかというのは些末、はっきり言ってしまえばどうでもいい問題。「竹島はどちらの領土か」という問いに「そんなのどっちでもいいじゃないですか~。ケンチャナヨ!」と日本側が答えたら、まさに血風録の始まりである。
間違ってはいけない。必ずしも「竹島は韓国(あるいは北朝鮮)領です」と認めなければならないわけではない。相容れることはなくとも、お互いに声枯れるまで、飽きるまで主張を戦わせばいいのである。事を荒立てない、場の空気を最優先する、みんな仲良しラブ&ピースでゴーを是とする日本人がやらかしがちなのが、向こうが真剣に問うているのに「まあまあ政治的な話はやめておきましょうよ。ケンチャナヨにしておきましょうよ」と言い放ってしまうこと。場は一気にヒートアップしてしまう。ケンチャナヨの誤謬である。
この辺りを理と気というキーワードで解いたのが京都大学の小倉紀蔵教授。「韓国は一個の哲学である」(講談社現代新書)は、20年以上前に発行された名著だが、今もみずみずしい。
ぼくのケンチャナヨで空気は一気に緩んだが、ケンチャナヨでは済まされない問題が生まれていた。今日はごちそうになってばかりで、ぼくは一度も財布を開いていない。
がばっと立ち上がり「あの!何か買ってきます!」というと老人は首を横に振り制した。「今日、この場所に日本の方が来てくれただけで十分なのじゃ。気にするでない」。
異端児も調子を取り戻し、分厚い財布をこれ見よがしに見せていう。「日本の記者さん。今日ここにいるのはほぼ在日や。日本人はおらん。余計なことは考えなくてもええ。ささ、座って食べてなはれ」。
老人がさらにいう。「日本では昔から『郷に入っては郷に従え』と言うじゃろう。悪いことは言わん。今日は在日のワシらのいうことを聞きなされ」。頷く一同。再び、うっすらと緊張した空気が漂う。相変わらずホルモンの脂で炎が立っている。熱いんだよ。そして、前髪ちょっと焼けたかも知れん。
つづく
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