東京日朝焼肉大戦争血風録(5)
「ごちそうになってばかりで悪いので何か買って来ます!」と宣言し意を決し立つぼく。「そんなこと気にするな!」という異端児とその恩師を始めとする在日コリアンたち。緊張はまた増す。すると絶妙のタイミングで、笑顔で目を細めた男性がすっと立ち上がった。
「みなさん。せっかくですからここは日本の方に甘えちゃいましょう。”アレ”買ってきてもらいましょう。購買で」。
アレ?アレとは何か?「おお!”アレ”か!今日はアレがないな」と異端児。「フォッフォッフォ。忘れておったな。確かに今日は少し暑い」とは老人。
全員の同意を確認すると笑顔の男性はぼくの肩を、サッカーでピッチに途中出場する選手を誘導するように抱く。ホントにこの民族のディスタンスは近い。肩を抱き笑顔のまま男性はいう。「先生。あそこに校舎見えますやろ。あそこの角を左に曲がってな、次の角を右。そのまま道なりに行くと購買があるから”アレ”人数分買うてきて」。
「”アレ”って、なんですか」とぽかんとした顔でぼくが聞くと、笑顔の男は「しもた。日本の方やったの忘れてた」と一瞬真顔になり、メモ帳を胸ポケットから出すとさらさらと”アレ”の名前を書き折り畳み渡した。本当にメモが好きだな、この人たちは。
ぼくが開こうとすると「あかんあかん。先生それは購買着いてから開けて。ラブレターみたいでおもろいやろ?あ、でも朴ソンベ(선배=朝鮮語で先輩の意味)が普段扱うとる白い粉みたいな危険なものとちゃうから安心してな」。異端児はしっかり聞いていて「でたらめぬかすなしばくどおどれ!」と野太い声で叫ぶ。
男のいう通り歩いて行く。振り向くと笑顔の男はこちらを見守っていて、目が合うと「購買の場所わからんくなったら、人に聞くんやで!ほとんどここの卒業生やから安心して!」と笑顔の男は叫ぶ。ぼくも手を振り返す。はじめてのおつかいである。舞台では相変わらず子どもが歌っている。
ところで、朝鮮大学校に来る度に思索を巡らせるのは「多様性を認める社会」ということばについてである。日本人のぼくは、日本にいる限り多数派に属する。性的し好も含めほとんどの選択肢が多数派に属する。
だが朝鮮大学校ではこれが逆転する。日本人であるぼくは圧倒的な少数派となる。日本語は通じるとはいえ。聞こえて来る朝鮮語と日本語混じりの独特なことばを耳にしながら、自分の立つ場所が急速に硬度を失い、まるでクッションを踏みつけたように足場が頼りなくなる錯覚をいつも感じるのだ。心もとなさと深い不安感に包み込まれる。
今までこの朝鮮大学校はじめ、在日コリアンが多数派を占め、日本人が少数派になる場所に何度も赴いたが、ぼくは嫌な想いをしたことがない。みなさん温かい人ばかりだった。あるいは最後まで日本人と思われなかった。
もしここに誰か悪意ある在日コリアンがいて「何で日本人が朝鮮大学校にいるんだ?帰れ!」「ここに日本の公安のスパイがいるぞ!殺せ!」などといわれなきことを言われたらと考えるとぞっとする。ぼくの立つ場所はクッションから奈落となり、真っ逆さまに転落するしかない。
ヘイトスピーチの怖さはこれである。ただでさえ不安で、心もとない少数者に投げかけられる多数者からの悪意あることば。ただでさえ自分の立つ場所が不安定なところに、とどめとばかりにぶつけられる悪意。どこから飛んで来るかもわからない。
「多様性を認める社会」。最近市民権を得て来たことばの頭に付く主語は何かと考える。それは「みんな」なのだろうか。それとも「多数者であるぼくら」なのだろうか、何なのだろうかと。「多様性を認める社会」ということばに少数者である君たちを認めてやるよ、という不遜な響きが残っているのではと感じるのは、果たしてぼくが多数派に属しているからなのだろうか。あるいは少数者の中に身を置いたことがあるからだろうか。
そんなことを考えているうちに、校舎の角にぶつかった。左に曲がり、右。そして道なり。目的の建物はあっけなく見つかった。
ところで”アレ”とは何か?待て次号。
つづくのだ
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