北朝鮮に日本はない#5 あなたの好きな食べ物を教えてください。
冷麺といえば平壌名物だが、玉流館派と高麗ホテル派に大別される。つまりどちらの名店の冷麺が美味しいか。この問いに対する答えはすなわち、自分のこれまでの生き方と北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国への立場を表明するものであって(そんなわけがない)、日本人はもちろん在日コリアンも時に入り乱れての激論になる。結論は出ない。「玉流館はアイスも美味しい」「高麗ホテルの方がスープにコクがある」と喧々諤々やっていると、たまに「実は玉流館で働いていた料理人が独立した名店が現地では人気らしい」と思わぬサードウェーブをぶっこんで来る在日コリアンがいるから油断ならない。すると議論は横に捨て置かれて「ぬわにぃ!その店の名前を教えろ!」という展開になる。なお、ぼくは高麗ホテル派です。
高麗ホテルの冷麺は量が多くても値段はいっしょという、ストロングつけ麺屋スタイルなので「男なら大盛りですよね北岡さん」「ここで男を見せましょうよ北岡さん」というぼくの普段から嫌悪するジェンダーリズム、マッチョリズムをいかんなく案内員たちは展開してくる。なお、ぼくの身長は167センチ、体重は48キロ。やせ型である。大盛りなど食えるわけがない。「じっくり1人前を、スープを含めて楽しむのが平壌冷麺へのマナーでしょうよ」というぼくの静かなるグルメ理論は「ブルジョア主義」と即座に打ち砕かれ、案内員からの厳しい非難ののち自己批判を求められるというのももちろんうそである。
各々が高麗ホテルで冷麺を存分に味わったところで案内員に聞かれた。「美味しかったですか」。「もちろん」。ぼくは大満足だった。さて、逆にぼくは案内員に質問することにした。
「もしこの先日本と朝鮮の関係が良くなって、案内員同志が日本に出張で来ることになったら必ず連絡をくださいね。そうしたらぼくが今度はごちそうします」。「それはいいですね」と案内員も笑う。「じゃ、ここで質問。日本に行ったら何を食べたいですか」。案内員は沈黙する。え?ここで沈黙?しょうがないので条件をつける。「すしでもラーメンでも焼き鳥でもなんでもいいですよ。なぁに金のことなんて心配しないでください。妻に言ってちゃんと家計から出させますから」。
案内員は頑なに答えない。「美味礼賛」のブリア=サヴァランのことば「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人か言い当ててみせよう」を想起し警戒したわけではあるまい。そこまでの洞察力はぼくにはないぞ。「さぁないか?ラーメンか?すしか?ええい、焼肉でもいいよ」。まるでぼくは、市場のせり人みたいに小気味よく、調子よくことばを重ねたが、案内員は困った顔をしている。
そのやりとりを横で聞いていた50代の案内員が「北岡先生、そばで頼みます」と言ってくれた。そばですか?ちょっと拍子抜けした。するとその案内員はある想い出を語ってくれた。
まだその案内員が若かったころ、何かの大会(このあたりしっかり記憶していないが、たぶん平和関係の大会だろう)で広島に出張したのだという。現在は北朝鮮からの入国は制限されているが、当時はそんなことはなかった。お昼になりお腹がすいた案内員は、ひとり広島の街を歩きそば屋に入った。案内員の語学力に全く不安はない。だがそば屋で相当緊張していたという。果たして自分の日本語は通じるのか。ちゃんと食べたいそばは出て来るのか。
もちろんちゃんとそばは出て来た。案内員はじっくり味わったという。「あの時のそばの味は今でも忘れられません」という。「よし!浅草の並木藪に行きましょう!もちろんおごりますよ」とぼくも答えた。
まぁこんな昼食後のくだらないやりとりなのだが、ここにも日朝関係の問題が詰まっている。他にも色々な案内員とぼくは行動を共にしたが、日本に来た経験がある案内員は「そばを食べたい」といった彼を含め数名しかいない。時に外交交渉で通訳を務める姿がニュースに映る40代半ばの案内員も、ぼくと同じ年齢の案内員も日本に来たことはない。もちろんそれよりも若い案内員も同様である。
「日本に行ったら食べたいもの」を問われても答えなかった案内員はみんな日本に来た機会はない。北朝鮮における日本のスペシャリストである案内員でさえ日本に来た機会がない。日本に来たことのないスペシャリストが日本について対応、分析する。それは奇矯でもあるし、また寂しいことでもある。
彼らがなぜ答えなかったのか。理由は色々考えられるが、ただただぼくは寂しかった。自分の国に来て食べたいものを言ってくれなかったことが。イメージ出来ないことが。口にしてくれないことが。日本には、東京には美味しいものいっぱいあるのに。平壌における冷麺に並ぶものを食べさせて案内員たちを唸らせ、感動させたいと思うのだ。純粋に。
■ 北のHow to その18
ぼくは玉流館でも高麗ホテルでも、あと安山閣という店でも食べたことがあるがいずれも北朝鮮国内の最高級店。町中華とまではいわないけど、案内員が普段行くような冷麺の店で食べ、語ることが出来たら、それだけで日本の冷麺界ではインスパイアな存在になれる(はずだ)。ぜひ極めて欲しい。
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