歌劇団への招待
もう2週間ほど前の話。過激団ではない。歌劇団である。金剛山歌劇団の東京公演にご招待され行ってきました。場所は北区にある北とぴあ。「きたとぴあ」と呼んでいたけど「ほくとぴあ」が正しい。
こんな集まりに呼んでいただくこともあるのです。
数年前、金剛山歌劇団の春香伝を見たけど、これはミュージカル仕立て。今回はライブ。日本語の字幕がついたり日本語の歌詞もあり、半分朝鮮語、半分日本語のライブなのですが、身体が明らかにライブを欲してました。満喫しました。
芸術関係に関して言うなら、朝鮮学校のレベルは高い。舞踊と音楽に関してはもはや部活のレベルを超えていて、親も混ざってステージママが跋扈する、まるでフィギアスケートと同じ世界だと聞く。日本各地に歌舞団があり、レベルは総じて高い。しかも今回の席は前から5列目。ほぼセンター。いい席過ぎる…。冷や汗だらだらでした。
コロナの影響もあり北朝鮮には行けないけれど、北朝鮮を感じるには充分すぎる公演でした。
さてこの公演なのだけど、在日社会、北朝鮮を感じるには実にいい教材といえる。在日社会の公演なのだが、必ずそこには「歴史の痛みや悲しみ」が混じる。今回のテーマ「솔」は松の意味。国樹である松は風雪に耐えて…、とナレーションが入るのだが、風雪とは例えば、本国の置かれた厳しい状態や、高校無償化や朝鮮学校への補助金打ち切りなど、日本社会の圧力を指す。
良識ある日本の方なら「ごめんなさぃぃぃ」なのだろうが、ぼくが感じるのは圧力や悲しみがより公演のレベルを上げているということ。北朝鮮を取り巻く一切合切の問題が解決され、さらに朝鮮半島が統一されたとしたら、さてこの歌劇団はどんな公演をするのだろうと毎回感じるのだ。
観客席は独特の空気感。日本語と朝鮮語のちゃんぽんが飛び交っている。顔見知りの朝鮮総連の偉い方が来たので挨拶をする。きょろきょろと公安がいないかチェックはしたけど、たぶん一定数紛れ込んでいるんだろうなぁ。
しかし、ここは日本。日本のライブと同様に考えていたが、毎回違和感を覚える。拍手のタイミングが実に難しい。特に舞踊。
え?ここってところで拍手が起こるのだ。このタイミングが実に難しい。外国人であるぼくは、遅れてあわあわと拍手をすることになる。
ご招待をいただいた在日コリアンの方にこのあたりを話すと「考えたこと無かった」と言われた。クラシックのコンサートで、時々楽章の途中で拍手しちゃう野暮な人がいるけどそこまで厳格ではない。むしろこの辺りいい加減で、地方など行くと踊りだすおばちゃん、おばあちゃんもいる。一度、在日コリアンのカラオケ大会を見たことがあるけど、あちこちでロックンフラワーのように老人が踊っていた。
これは遺伝子の違いですな。突き放すのではなく、異文化なのだ。
そしてフィナーレ。拍手はやまないがアンコールはない。ある瞬間から、みんなさっと立ち去って行く。そしてホールで再会の会話に浸るのだ。これは朝鮮大学校の管弦楽団のコンサートも同じ。アンコールはない。アンコールがないと知らないと、席を立つタイミングを逸して、いつまでも拍手を続ける羽目になる。
違和感を含めて異文化に身を置く時間は面白い。異文化に長く身を置くと、軽くホームシックになっちゃうけど、日本の中で感じる異文化は、コロナが未だ蔓延する中では、貴重な旅にも思えてそれはそれは愛おしいものなのだ。
■ 北のHow to その128
歌劇団の公演ではかけ声も時に飛びます。友人や家族が出ていることもざらで、彼らの名前を呼んでいるようです。
歌舞伎で「成田屋!」とかけ声をかけるのは時に粋ですが、在日コリアンの感覚は正直不明。静かにしているのがよさそうです。
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