北朝鮮に日本はない#6 案内員の憂鬱
「なぜ私は日本語を専攻したのだろう。そう思うこともあります」。「ロシア語や中国語を取った同級生たちは今、大活躍しています」「日本語を学ぶ後輩たちの才能を生かせる場所、職場を用意できない。先輩として口惜しいです」。かように現地で聞くため息混じりの案内員の嘆きのことばは深い。
90年代の金丸訪朝団以降、北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国でも日本語ブームが起きた。その当時、平壌外国語大学の日本語学科は履修者が激増し、日本語学部に昇格した。
当時日本語ブームの中で日本語を履修した人の多くは「日朝国交正常化明日にも!」という機運に乗って、いずれは日朝間を行き来するビジネスマン。あるいは外交交渉の最前線に立つ外交官。そんな輝かしいキャリアを夢見たはずだ。
唯一領導体系ということばが北朝鮮にある。在日コリアンの方に言わせると「簡単に言うなら金日成主席、金正日総書記、金正恩委員長以外はみんな横一線と言う意味。朝鮮においてナンバー2は存在しない」という意味だそうだ。
つまりすべては国のために。それが大原則である北朝鮮の人であっても、大きな仕事をしたい。職場でも社会的にもいい立場になりたい。いい給料をもらいたい。よりよい生活をしたい。日本とは少しニュアンスは違っても、ぼくたちと同じような欲求は持っていると信じたい。
立身出世のツールとして案内員たちは日本語を選んだ。ところが今や両国間の関係はすっかり冷え切って、外交交渉はもちろんビジネスもほぼゼロ。たまにやって来るぼくのような怪しい日本人のオタクをも先生様と呼び、敬語で話さなければならないのは不憫に過ぎる。外国人と接することが仕事である案内員はかの国では相当のエリート。その立場に上り詰めるまで、日本人とそん色ない日本語を話すまで、どれだけ艱難辛苦の努力を重ねただろう。いや、現在進行形でその努力を続けているのだ。
ある案内員が寂しそうな表情を浮かべた。「私には大学生の娘がいるのですが中国語をとってます」。お父さんは北朝鮮国内で10本の指に入るといってもいい日本語のエリートだというのに。
日朝首脳会談後に日本語を取り巻く環境は一変した。現地での日本語ブームは一気に冷え込み、日朝関係の低迷と動きを同じく平壌外国語大学の日本語学部は再び学科に戻り、今や履修者も少ないと聞く。
これが何を意味するか。日本人の訪朝者が減ってホテルなどから日本語の出来る接待員が消えたということだけを意味しない。日本と日本語を知る人材がいなくなるのだ。この問題は長期的に大きな溝を生む。今、この最悪にも近い日朝関係の下で高いモチベーションを保ち日本語と日本について学べるだろうか。近年、北朝鮮の最高学府である金日成総合大学にも日本語を学ぶ課程が出来たとは聞いたが果たしてどうだろう。
日本語を学び社会に出て、日本語を使う職場で働き始めても正直冷や飯を食う。つまり面白くない。テンションは上がらないのではないか。
日本から見るなら、北朝鮮の日本担当者は数も少ないことに加えてモチベーションも低いといえる。「日朝関係を押し進めろ」という金正恩委員長の号令一下、状況は一気に変わる可能性はあるが楽観視は出来ない。モチベーションが低い担当者との交渉で成果は出るだろうか。北朝鮮の政権中枢部への影響力は期待出来るだろうか。
逆に無聊をかこつ北朝鮮のジャパンスクールの人たち、つまり日本語ブームの中で日本語を学んだ人たちの心に再び火をつけることは出来ないかと考える。数年前から講演会の度に、今こそ日本政府は交渉局面に転じるべきと訴えているのだが、その主張の裏には北朝鮮の案内員たちの寂しそうな横顔がある。彼らはかつての青雲の志を忘れてはいないはずだ。いつか同級生と肩を並べてやる。肩で風を切り日朝交渉の最前線に立ちこの局面を変えてやる。そんな気概を持っているはずだ。彼らのそのやる気に火をつけることが出来たのなら、日朝交渉は驚くべき速度で進むと信じている。彼らは大きな仕事をしたい。国を動かしたい。日朝関係を動かしたいはずだ。
その最前線にいる顔なじみの案内員。彼らの生き生きとした仕事ぶりとその表情をぼくは見てみたいのだ。そして平壌ではもちろん、日本で再会することが出来たら嬉しい。でも、ぼくが「久しぶり!日本へようこそ」と声をかけても相手してくれるかな。無視されないといいのだけど。情の熱い、もとい厚い彼らに限ってそんなことはない。「ようやく日本に来ましたよ」と笑う案内員をぼくはそば屋に連れて行き、存分にそばを食べさせるつもりだ。それがぼくのささやかな夢だ。十重二十重とぼくたちの周りを、公安が囲んだとしても。
■ 北のHow to その19
接待員を含めて、外国人と接することが仕事である案内員は北朝鮮では相当のエリート。それを忘れず、彼らのプライドと自尊心は傷つけないように接するようにしたい。でも譲れない主張は譲らず。
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