25歳の誕生日
4月20日で、25歳になった。
今年は、いつもと違って、誰からも12時にお誕生日おめでとうの連絡がこなかった。これから来ることを祈って。
振り返ってみると、これまでの誕生日は、恵まれていて、本当に多くの人にお祝いされてきた。
大学生の時は、ゼミの後にみんながサプライズでケーキを持ってきて、ハッピーバースデーの歌を歌ってくれた。私が真ん中で、集合写真を撮った。バイト先では、マネージャーが飲みに行くぞって誘ってくださって、朝まで飲んだ。別の日は、先輩がケーキをお店にお願いして持ち込んで、どうだ~うれしいだろ~ってお祝いしてくれた。
高校生の時は、部活の同じ代の子たちが、お誕生日おめでとうってお菓子に書いてプレゼントしてくれた。あの時はこびとづかんが好きで、友達はこびとづかんの筆箱とか下敷きとかファイルとか、毎年くれた。家に帰るとお祝いの夜ご飯とケーキが楽しみだった。
中学生の時は、お母さんと買い物に行きたかったのに、何があったのか、お父さんとお姉ちゃんと弟と私の4人で買い物に行くことになって、お母さん一人が家にいた。お父さんは怖かったから、なにひとつあれが欲しいこれが欲しい、と言えなかった。お母さんは私が連れて行ってあげたかったのに、と後から言っていた。確かこの日から私は異常なホームシックになって、授業中も涙をこらえるのに必死で、歯を食いしばる日々が続いた。秋くらいに、やっとお母さんのことを考えず学校生活を送ることができるようになった。大学生のときに、心理学で、うつかなんかの一種だったってわかった。
今は、インスタで、
今日は誕生日でした!お祝いしてくれたみんな、ありがとう♡いい一年にします!
なんてポストしたり、フェイスブックに誕生日お知らせ機能がついていたりして、誕生日を覚える必要すらなくて、仲が良ければメッセージしておく
みたいな時代になっている。
でも私は、自分の誕生日を公開できる人気者になりたいとは、今は思えない。
24歳の誕生日の時、決意した。
「今年はいよいよ就職する年。秋まではゆっくり過ごそう。でも、秋に仕事が始まって、自分の目指す道ではなかった、仲間が見つからなかった、やめたい、逃げたい、そう思ったら、それはそれでいい。私にとって大切なことは、
大切な人を大切にできる自分でいること
だから、仕事なんてできなくてもいい、自分の道と決めて進むとき以外は、仕事ができることが、私の価値のすべてではない。」
今、決意したことを思い出してみる。
確かに、入社前に感じていた違和感は的中してしまった。
でも、入ったから進むしかない。少しずつ、自分の感覚を言葉にしながら、人生をかける仕事に向かって、歩み出している。
そういえば、留学中に付き合っていた彼氏が言っていた。
「自分が生きた世界と生きなかった世界に差をつけるんだよ」
自分がいてもいなくてもいいような生活の仕方の延長に、何人の人がお葬式に出てくれる?って。哲学好き×京大の彼には、もっと普通の話したいと言えずに終わったなぁ。
朝起きたら、親には、感謝の電話をしよう。
今年は、言われるよりも、一人でも多くの人に、お誕生日おめでとうを伝える一年にしよう。
25の一年は、もっと、もっと表現したい。
クリエイティブなことをしてみたい。
もっといろんなところに行きたい。
自分の大切な人を、大切にしたい。
だめなら、ペースを落とす勇気を持ちたい。
人に会えない今だからこそ、つながりの大切さや、直接の大切さ、照れくささ、温かさを大切にして、生きていきたい。
お母さん、産んでくれてありがとう。
お父さん、迷惑いっぱいかけてごめんね。
切なさ、悔しさ、寂しさ、うずまく感情を抱えきれない自分を認めながら。