多聞天
人の話は、語る者、聴く者によって成り立つ。
昨日のトランプ大統領の選挙演説は、恐怖をも思わせる、滑稽な茶番劇。
シェークスピアも真似できない深い暗示に満ちていた。多聞天という菩薩を思い出した。
彼は人が貧しく病になっても、子供が死に泣きわめく市井にふらりと現れるが、無言であった。
恵んでやらず、治してやらず、慰めもしない。
目をつむって、何時間でも、その人の話を聞いた。
もう語ることが無くなってしまうまで。そんな無言の者が、菩薩の格上にいる。「聞く」ということの難しさ、多く語ることの軽さ。
トランプの討論は、菩薩をも引き出した。
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