ワカタケル大王
今日も相変わらず、中学 歴史から。
ワカタケル大王は、雄略天皇のこと、中国からは倭王武と呼ばれていました。
そんな雄略天皇と中国との関係と、日本国内の勢力拡大についてです。
日本は紀元前1世紀(紀元前0-99年)の頃、100以上の小国があって、その内の一国が中国王朝に朝貢して、国王の称号を授かるように外交していたことが、前漢の漢書地理史に記されていた。
後漢の後漢書東夷伝で紀元57年に倭奴国王、金印で有名な王の名が記されました。
日本の小国の一つ奴国の王が朝貢に来たこと、1世紀後半に倭国大乱が起きたことが記されそうです。まだ、この時期にはヤマト王権で統一されていなかったのか、まだ日本国内で字が確立されてないこの時代。
周辺国の記録を頼るしかない、あと考古学で調査と照らし合わせて、証明されるのが期待されますね。
そんな中、日本の最古の書物、古事記、日本書記。その前に日本にも字が出現していたようです。
中国は宋の時代になり、宋書倭国伝には、第21代雄略天皇が倭王武と呼ばれ、朝貢を送り、478年に倭国として、そして朝鮮半島南部の軍政権が認められたそうです。
でも、宋はその後すぐに滅亡したので、日本は朝貢もしなくなりました。
倭王武、雄略天皇は、中国王朝の冊封体制からの独立する意思を持ちます。
それを示す資料が、埼玉県の稲荷山古墳出土鉄剣銘と、熊本県の江田船山古墳出土鉄刀銘で、そこには、辛亥と記されており、これが日本初めての文字。そして471年を示します。雄略天皇の在位は456-479年だからピタリと当てはまりますね。
その時記された王の名は、ワカタケル大王(獲加多支鹵大王)で、4世紀には統一王朝大和朝廷になっていましたが、これらの鉄剣や鉄刀の銘からも確認されたことになります。
しかも、埼玉県から熊本県まで治められ、東国の支配もこの時期にはなされていたことになります。
そんな中国王朝から独立し、日本を統一朝廷として治めた記録と日本書記の紀年が一致する初めての天皇。
それが第21代雄略天皇、倭王武、ワカタケル大王。456年で第21代だもんね。
今上天皇陛下が125代。
先は長いなあ。
まだまだ、日本には知らないことがいっぱいありそうだ。