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神仏習合と奈良時代

飛鳥時代に聖徳太子に取り入れられた仏教。日本当時の大和朝廷は、大陸の大国隋に遅れをとっていました。
そのため、隋の先端文化を取り入れ、対等な地位を築くために、仏教も取り入れることになるのです。

時が流れて、奈良時代、都は平城京となり、天武天皇から命ぜられた古事記と日本書紀の編纂は完了した時代です。

日本の成り立ちは、多くの豪族が割拠する日本が、神武天皇率いる大和王権となる軍が、大きな戦をすることなく、交渉をすることで、一つの大和王権として、国と成っていくのです。
ということは、豪族は滅ぼされずに国の内部にいるということになります。
その中の有名人、大化の改新の中臣鎌足は、後に藤原姓を授かりました。その息子である藤原不比等は、持統天皇に用いられ、遂には自分の娘を文武天皇に嫁がせて、その息子は聖武天皇となり、藤原不比等は外祖父となるのです。

聖武天皇の時代は、混乱の時代でした。そんな時に仏教、東大寺の大仏が、民衆の心を一つにし、世界に律令国家日本のアピールの場に用いられたのです。

聖武天皇の時代は、藤原不比等が没すると、長屋王が政権を握るが、藤原不比等の四人の息子によって殺され、その藤原四子は天然痘で亡くなります。その後も政権が代わり、乱が起きるを繰り返し、政治はどんどん混乱した時代です。
この時代に聖武天皇は、大仏建立を命じました。
その事で、国の災いを避け、民衆の心を一つにしようと考え、世界へは先進国への一歩を示した事業となりました。
国の始まりからある神道だけでなく、仏教を使って国をまとめようとされてたことが伺えますね。
1400年前からの神仏習合、そりゃ、日本人は無宗教と思ってしまうほど、正月の初詣を神社に行くのも、お盆にお墓参りに行くのも両方、生活の一部になっちゃってますね。
どちらの教えも、生活に活かされ大切にされている、日本人、結構信心深いんですね。
そんなことも感じさせない、ごちそうさまでした。

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