天皇が規範とする天皇
今日も変わらず中学 歴史。
5世紀(400年代)、前方後円墳が最も巨大化した時代、まだまだ古墳時代。最大の古墳が仁徳天皇陵、大阪府堺市にある。覚えてるのは、立ち入り禁止なこと、外から眺めても前方後円墳かどうかは見えない、それぐらいでかいから。
そんな仁徳天皇は第16代。
ある時仁徳天皇は、人家から煙が立ち上がっていないことを心配されて、民は困窮しているのだろう、地方ではさらに困窮しているに違いないと嘆き、3年間の課税と労役を停止して、民の苦しみを和らげよと命じたそうです。
3年後、人家の竃からの煙が出るのを確認された天皇は、やっと課役を命ずるようになりました。
その間、天皇の宮中では倹約が進められ、衣服、靴も擦り切れ、屋根も石垣も壊れても直さず、民と同じように苦楽を味わったとのことです。
その時、国民は自ら税を納めようとしたと聞きます。
天皇が国民を憂い、国民が天皇を敬う、課役を命ぜられた国民が誰も督促される訳でもなく、力を出し合い宮殿を新しくしたのです。
今上天皇も国民の安寧を祈っておられる、歴代の天皇も祈っておられた。そんな天皇が規範とされていたのが仁徳天皇。
聖帝と称えられる第16代天皇の話でした。