阪大人類学研究室で「Critical Makingとエネルギー人類学」という取り組みをやっている。ひのでやエコライフ研究所の山見さんをゲスト講師に、明日は測定器を作るためにせっせとはんだづけをする予定だ。つくりながら、日
常生活を構成する熱やエネルギーをみる。
エネルギー。個人的には、とにかくうさん臭い笑。それは「姿が見えない」ことと「資本や政治の香りがする」ことが大きい。自分が生まれてから、数十年この印象は変わらない。こんな存在、他にないんじゃないか?
そんな自分の興味は、エネルギーを「いかに創造的にとらえ、乗りこなす」かだ。10年前訪れた非電化工房のDIYコミュニティ。かたや去年訪れたデンマークの国を上げた再生エネルギー戦略。スケールや目的は違えど、どちらも違った生活を作り出そうという創造性があるし、怖れを前提に共存共栄するような姿勢がある。パウダースノーや波を乗りこなしていくイメージだ。
どうエネルギーが成り立っていて、どういう使い方ができるかを知り、アンプのボリュームを回すように、状況に合わせてカリカリッと調節できるようになりたいのだ。(地球へ優しく、という思いはあまりないが)
というさなか、出会ったのが 『Energy Futures:Anthropocene Challenges, Emerging Technologies and Everyday Life』という本だ。
世界的なパンデミックの中、Simone AbramやSara Pinkなど、世界中に散らばる24人の執筆陣がエネルギーの周縁について、執筆したものである。コロナ以降であること(2022.12.31リリース)、経験を重視する人類学の視点であること、もあって、夏前からチェックしていた本だ。この本の面白かったポイントをいくつか抜粋メモしとこう。
デザイン人類学は介入的なアプローチ
本書のスタンスは介入モードだ。とある文化を観察するのではなく、科学技術によって作り出された(もしくは作り出した)状況に関して、デザイン人類学によって、共に問題へ向き合う姿勢だ。
日常はダイナミクスに満ちあふれている
日常は、エネルギーの未来について研究するための最適な場だ。洗濯をするのも、お風呂にはいるのも、スマートフォンを充電するのも。その日常と、一般的に描かれるユートピアな未来の生活像とのギャップを追っている。
理にかなっているが、それは私には当てはまらない
日常におけるナラティブの複雑さが示される。未来予測で描かれるペルソナは固定的で理想的だが、Resource Man(Strengers 2013)やFlexibility Woman(Johnson 2020)、Techno Hedonist(Dahlgren 2021)は、それらに揺さぶりをかける。日常はそうシンプルではない。
疎外感との戦い
クリーンエネルギーという正義とローカルの産業保全という正義がぶつかりあう。構図は複雑で、正面同士の→←という衝突ではなく、→↑↑←のようにレイヤーをかえて衝突するのだ。その根源には「疎外されている」という人間くさい感情が原動力となっている。
既存の政治・社会構造が維持される限り、において
太陽光発電と農村のエンパワメントを組み合わせるプロジェクトが頓挫するケースもある。地球を救う、という道徳的に優先される目標と、いまの日常の習慣を剥奪される懸念や不安の間で揺れる。