俺はニートになりたくない。
俺は今、ニートになりそうである。就活は一応やったが、真面目に取り組むことはしなかった。言い訳っぽく聞こえるかもしれないが、よくよく考えれば、面接の前日に「推しの子」を鑑賞していた時点で、結果はわかっていたはずだ。でも、いま、後悔はしていない。
幸か不幸か、奨学金も借金も親からの期待もない。いや、少しは期待されているのだろうが、それを押し付けてこない時点で、俺は何をしても良さそうである。母子家庭であるのに、それを金銭的に手伝わない親不孝な次男に見えるが、金のために嫌々働くことが、もっとも俺の「不幸」である。
ここまできて俺は社会不適合者であるような錯覚を覚えるが、やはりそれは錯覚である。俺はマクドナルドで5年アルバイトし、マネージャーの地位に立っているではないか。社員からは社員への道をそれとなく提示されたが、俺の「不幸」である気がして、スルーした。俺は一般的な、怠惰で、どうしようもない、無気力なニートではなく、勤勉で、やる気に満ちた、向上心のあるニートになりそうだ。それはニートというより、フリーターに近いのではないかと思う。そっちの方がまだ見込みのあるような感じがする。しかし、フリーターと呼ばれるには、大きな夢や希望を胸に抱いて、ひたむきに努力している必要がありそうだ。芸能人が番組で語る「こんな貧しい過去があったけど、頑張って芸能の夢を叶えて、こんなに贅沢な暮らしができてます」といったような、過去の貧乏エピソードを堂々と語れるほど、俺は華やかな生活を夢見ているわけでも追っているわけでもない。どうしたものか。
おそらく、他人からすれば「カス」のように見えるが、心は「聖人」でありたいと思う。山に籠る仙人はホームレスだし、作中では立派に見えるスナフキンも浮浪者のひとりじゃないか。今のところ、定職につかず父親の家に居候するつもりだが、見方を変えれば、父親の介護をする孝行な次男である。
働く必要がなければ働かず、働く必要があれば働く。そう自分に言い聞かせていれば、たとえニートに見えたとしても、決して俺はニートではない。これを肝に銘じておけば、俺はニートにはならない。多分。