母の顔
今年で還暦を迎える母の顔がとても美しく見える。
小さい頃、母親が洗面台でお化粧をするのを側で羨ましくみていると、母は「ほら、綺麗なお母さんの出来上がり」とメイク終わりに茶目っ気たっぷりに言うのであった。
思えば、保育園や小学校低学年くらいの頃は
私の脳内に容貌の美醜の判断は、まだ存在していなかったように思う。
母親が、決して世間で言う美人ではないと気付いたのは、小学校高学年だった。
法事で母方の親戚が集まったとき「ほら、私綺麗だから」や「私細いから」と母が言って、
周りの叔母さんたちがどっと笑うのを見て、
最初こそムッとしたものの、
次第に母は美人ではないのだと認識するようになった。
そう思い始めると、自分で自分のことを「美人」だとか「綺麗」だとか言っておどけてみせる母が恥ずかしくなり、小学校から中学校まで、9年間の授業参観すべてに仕事の休みを調整して顔を出してくれた母に対して「来なくていいのに」なんて思ったりもした。
そんな母が、保護者会のくじ引きで高校のPTA会長を引き当ててしまった。
何かと行事があるたびに前に立って挨拶をする私の母を見て、ある友達は「お母さん、すごく声が綺麗だね」と褒めてくれた。
そう、母が褒められるのはいつも声だった。
「美人」や「綺麗」なんて言われることはなかった。
そんな母が、高校の卒業式で最後の登壇をした。
高校を卒業してそれぞれの道を歩む私たちへの餞として、母から贈られたのは「顔」の話だった。
「人は、生まれつきの顔というものがあります。
ご両親から受け継いだ顔です。人によっては、自分の顔が好きだったり嫌いだったりするでしょう。
けれど、顔は次第に変わっていきます。
高校を出てから、あなたたちの顔は変わっていきます。
ものの考え方や経験が、どんどん立ち現れてくるのです。これからの自分の顔を作るのは、遺伝ではなくあなた次第です。自分の顔に、責任を持って生きてください」
決して美人ではない母が「顔」の話をするなんて、「そう言うあんたの娘はどうなんだ」と他の生徒たちに思われやしないかと、穴があったら是非とも入りたい気持ちで聞いていたが、
今までの母の、自身の顔との葛藤は計り知れないものだったのだと悟った。
あとから「あの人の話が卒業式で1番面白かった。お母さんだったんだね」とクラスメイトから言われた時は、こそばゆい気持ちになった。
そんな母が、今年で還暦を迎える。
実家に帰るたびに年老いていく母を見るのは少し悲しい気もするが、見るたびに母は美しくなっている。顔の造形がどうとか、そういった記号的な美しさではないものが確かに立ち現れている。
それは、母が母自身の人生に誇りを持ち、愛して生きてきた証拠だと思うと、本当にこの上なく美しいと感じる。
私はまだ25歳だけれど、いざ還暦を迎えたとき、
母のように美しくなれるだろうか。
老いてますます美しさを増す母を見て、
このところ、容姿の美醜に拘っていた自分を省みる。
ひとまずは、眉間に寄っている皺をひゅっと緩めるところから始めなくちゃ。
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