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商人の少年、荒廃の都をゆく──庶民目線で読み解く応仁の乱の謎
※歴史が苦手な中学生でも、これを読めば面白く応仁の乱の流れがわかるというものにしたい。という修正案を作って書き直させた小説。
プロンプト1:歴史が苦手な中学生でも、これを読めば面白く応仁の乱の流れがわかるというものにしたい。どうすれば良いですか?
プロンプト2:この修正案を入れて、本格的で中学生でも楽しく読めて、めちゃくちゃ面白いけど勉強にもなる長編の小説を書いてください。全部で10章あって、それぞれが6000文字以上。必ずー回の出力で全て出力してください。
第一章 揺れる都と少年の夢
京の町には、雅(みやび)と呼ばれる優美な文化が栄え、人々が行き交うその光景は絵巻物のようだ――そう聞かされて育った少年・藤吉(とうきち)は、15歳を迎えたばかり。彼の父・藤右衛門(とうえもん)は呉服を扱う店を営む町衆(まちしゅう)で、ひいきにしてくれる公家や武家の奥方のもとへ足を運び、反物(たんもの)や衣裳の仕立てを請け負っていた。藤吉もそんな父の背中を見て育ち、いずれは商いの道で名を成したいという密かな夢を抱いていた。
しかし、いまの京はただ華やかなだけではない。町の噂話を耳にすると、どうにも物騒な気配が漂っているらしい。将軍・足利義政(あしかが よしまさ)様のお後継ぎ問題や、有力大名のあいだで不穏な動きがあるのだとか。少年にはまだよくわからないが、父や商いの仲間たちは深刻な表情で「将軍家やお大名が争えば、京都がどうなるか」と案じている。
「ねえ父上、将軍様のお後継ぎ問題って何がそんなに大事なんだろう? 普通は息子さんが生まれたなら、それが跡取りになればいいんじゃないの?」
「うむ。だが義政公には、子がおられなかった時期が長かった。だから弟の義視(よしみ)様を養子に迎えたんだ。ところが後になって正室の日野富子(ひの とみこ)様との間にお子が生まれたから、跡目争いがこじれているらしい……」
「ふうん……弟を養子に迎えるなんて、なんだか複雑だね」
藤吉は首を傾げる。父の話を聞いても、まだしっくりとはこない。しかし、年頃になった彼は、町内の仲間たちとの井戸端会議で「畠山家や斯波(しば)家というお大名さんも後継ぎ争いをしている」などと聞き及び、なんとなく胸騒ぎを覚える。もし有力者同士の争いが大きくなったら、町衆の暮らしはどうなるのだろう――。
そんなある日、藤吉は偶然、役所帰りの父に連れられて二条大宮(にじょうおおみや)近くを通る。すると、甲冑をまとった武士の一群が、威圧的に行列を作っているのが目に入った。その一群の旗指物(はたさしもの)に書かれていたのは「細川」の文字。聞けば、細川勝元(ほそかわ かつもと)という有力守護大名が動員した兵らしい。周囲の人々が道端にひれ伏すように身を寄せ、兵たちを遠巻きに見ている様子から、ただならぬ緊張感が伝わってきた。
「父上、あの人たち……何をしようとしているの?」
「細川殿は将軍家の重臣にして管領(かんれい)経験者。室町幕府の中でも大きな権力を持っている。聞くところによれば、今は山名宗全(やまな そうぜん)様と対立しているのだとか……」
「山名宗全様?」
「うむ。かつては山名持豊(もちとよ)と名乗っていたが、出家して宗全という号を使っているそうだ。それもまた、幕府の重鎮でな……。」
「ふたりは、どうして仲が悪いの……?」
藤吉は素朴な疑問を口にする。父は唸りながら「政治のことは難しい」と言い、詳しい話をしてはくれなかった。ただ、宗全と勝元が親子の縁戚関係にあると聞き、ますます不思議に思った。義理の親子でありながら対立しているというのは、なんともややこしい。大人たちの世界には、表と裏があるようだ。
そんな折、町衆仲間の一人が囁く。「どうやら将軍家の後継者をめぐって、義視様を推すのが細川勝元側、実子の義尚(よしひさ)様を推すのが山名宗全側になりそうだ」。まるで直線で切り分けられたわけではないが、畠山家や斯波家もそれぞれ東軍・西軍に分かれて争う構えが見え隠れしているらしい。藤吉にはその複雑さがよくわからない。でも、父たちの険しい顔を見ると、これはただ事ではないと感じるのだった。
章末おさらいQ&A
A: 足利義政公にはなかなか子供が生まれず、将軍家の跡継ぎが不在で困っていたため、弟の義視様を「養子=跡取り候補」として迎えたからです。Q2: なぜ正室・日野富子様が注目されている?
A: 富子様が義政公との間に男児をもうけたことで、既に「養子」になっていた義視様との間で跡継ぎ争いが起きる可能性が高まったからです。Q3: 細川勝元と山名宗全はどういう人?
A: ともに幕府を支える有力守護大名です。さらに義理の親子関係でありながら、政治上の対立が激化しているため、周囲の大名たちも二派に分かれつつあります。
第二章 花の御所に見た輝き
初夏の風が吹き抜けるある日、藤吉は父の使いで「花の御所」と呼ばれる将軍邸に納品に向かうことになった。いつもは父か番頭が行くところだが、急な呼び出しがあり、他の用事と重なったため、15歳の藤吉が初めて御所へ足を踏み入れることになる。呉服屋の丁稚(でっち)として、反物の入った箱を抱えて向かう道は、なんとも緊張の連続だ。
花の御所は、かつては華やかな行列や雅な宴が頻繁に行われたと聞く。だが、いまは門をくぐると、どこか殺伐とした空気が漂っていた。兵たちがあちこちに立ち、複数の来客が厳かに控えている。廊下を案内され、しばらく待っていると、年配の女官が現れて藤吉を奥へ通す。
「そなた、呉服屋の若い衆か」
「はい、京の町で商いをしております『大黒屋(だいこくや)』の者です。今日はこちらの御依頼の織物をお持ちしました」
藤吉は平伏しながら言葉を選ぶ。女官はさっと品定めをするように視線を送り、満足そうに頷くと、奥の部屋へと導いてくれた。そこに現れたのは、ややふくよかな体型をした上品な女性。優雅な衣をまとい、髪を結い上げているが、どこか鋭い眼光を持っている。日野富子――そう呼ばれる人物だと直感した。
「これが噂の反物かしら?」
「はい、上質な絹を使い、加賀の絹織と西陣の技法を組み合わせたものでございます。触っていただければ、その肌触りの違いを……」
丁寧に説明する藤吉に、富子は楽しげに手を伸ばす。その指先はまるで宝探しでもするように繊細に布地をなぞる。すると、不意に富子が微笑む。だが、微笑の裏には何か得体の知れぬ迫力があった。
「なるほど、いい織りね。さすがは京の老舗と聞いただけはあるわ」
「恐れ入ります……」
「それにしても、最近は物騒な世の中になったものねえ。商いも大変でしょう?」
「は、はい。細川様と山名様の争いの噂を耳にすると、やはり……」
藤吉は正直に言葉を選びながら答える。すると富子は表情を引き締めるようにして、藤吉を覗き込む。
「商いをする者たちにも、いずれ波は押し寄せるわよ。けれど、それをどう乗り越えるか……その知恵が大事なの」
「はい……」
富子が意味深に微笑むと、女官がそっと声をかけてきた。どうやら足利義政公がお部屋に戻られたらしい。富子は立ち上がり、「ご苦労だったわね。代金はあちらの者に渡してあるから、それを受け取って帰りなさい」と告げる。藤吉は深々と頭を下げて部屋を出た。
廊下を歩いていると、奥のほうからひそひそと話し声が聞こえる。
「……義尚様がもう少し大きくなられたら、義視殿との確執も……」
「でも、義視様にも引けない事情がおありだそうな……」
「それを言えば、畠山家だって斯波家だって、同じように揉めておる」
藤吉は息を飲み、立ち聞きはいけないと思いつつ、つい耳をそばだてた。将軍家内部での争いが、ここまで露わに囁かれているのか――。まだ少年には全貌がつかめないが、「これでは本当に、ただ事じゃない……」と感じるに十分だった。
花の御所を出ると、空は明るいのに心がずっしり重い。家に戻って父や番頭に報告すると、番頭の伊助(いすけ)がため息混じりに言う。
「うちの店も、いつまでこうして安泰でいられるかわからんのう。大名様が戦なんぞを起こしたら、物資の納品もままならんだろうし、ましてや京の町が荒らされるようなことになったら……」
藤吉は聞いているだけで胸が痛む。しかし、富子が放った「知恵が大事」という言葉も頭を離れない。あの人は、いったい何を見通しているのだろう? 京の町がこれからどうなるのか、少年の胸には大きな疑問が渦巻いていた。
章末おさらいQ&A
A: 足利義政公の正室で、義尚様の母。財力と政治的な手腕を持ち、将軍家内外から注目されている人物です。Q2: 花の御所はどんな所?
A: 将軍邸を指し、かつては雅な行事が盛んに行われた場所。しかし、今は警護の兵士が多く、物々しい空気が漂っています。Q3: なぜ富子が「知恵が大事」と言ったの?
A: 戦乱の気配が高まる中、商人や庶民も被害を受ける可能性があります。彼女はその状況でもしたたかに立ち回る必要性を示唆しているのです。
第三章 少年の葛藤と宿命の対立
やがて、噂はさらに具体性を帯びて広まっていく。将軍家の内紛だけでなく、有力守護大名の畠山家や斯波家の家督争いが決定的になり、「京都に兵が集結している」という話を、町のあちこちで聞くようになった。畠山義就(はたけやま よしひろ)と畠山政長(まさなが)、斯波義敏(よしとし)と斯波義廉(よしかど)といった名前が飛び交い、どれも藤吉には馴染みのない人名ばかりだが、その対立が深刻だということは肌で感じる。
「このままじゃ、京都が戦の舞台になるんじゃないかって、みんな心配してるよ」
町の仲間の佐吉(さきち)が真剣な顔で呟く。佐吉は魚商いの家の子で、日々いろんなお得意様を訪ね歩いているため、そうした噂には敏感だ。
「戦って、僕らどうなるのさ? 京の町で戦なんて、本当にあるの?」
藤吉も不安を隠せない。しかし、中にはこんなことを言う者もいる。
「戦になれば武具や兵糧が大量に必要になる。商売のチャンスじゃないか」
「馬鹿を言うな! 戦で町が焼けたら元も子もないだろう」
行き交う町衆の意見はまちまちだが、どれも落ち着かない雰囲気ばかりだった。
そんなある日の夕暮れ、藤吉は店先の片付けを終えてから、こっそり鴨川沿いを歩きに行く。川面を渡る風が心地よく、夕日に染まる空が美しい。だが、その美しさに反して、「もうすぐ戦が始まるかもしれない」という現実に心が騒ぐ。すると、川岸でなにやら一人、佇んでいる男が目に入った。
「……こんな時間に、どうした?」
低く響く声に、藤吉は思わず身を竦める。その男は立派な剣を腰に差し、武家の裃(かみしも)を着ているようにも見えた。髪は整えられているが、目つきが鋭い。
「す、すみません。何も……」
「ああ、怯えるな。俺はおまえに用があるわけじゃない。ただ、京の町の様子を見に来ただけだ」
その男は、つかつかと藤吉に近づく。よく見ると、かなり若い。二十代前半ほどに見えるが、ただ者ではない雰囲気を纏っている。藤吉はとっさに頭を下げる。
「では……失礼します……」
「待て。おまえはこの町に住んでいるのか? 最近の京の話を、少し教えてくれないか」
戸惑いながらも、藤吉は「町衆は皆、戦になるのではと怯えている。細川や山名といったお大名が睨み合い、畠山や斯波も後継ぎ争いを続けている」と、町で耳にした噂を伝える。すると男は興味深げに耳を傾け、「ふむ、やはりそうか」と呟いた。
「俺は足利義視(よしみ)に仕える者だ。義視様は本来なら将軍の座を継ぐはずだったお方。今は細川勝元殿と手を結んでいる……。まあ、子どものおまえには難しい話かもしれないが、覚えておけ。もし戦が始まったら、必ず逃げろ。ここは戦場になるかもしれん」
そう言って、男は踵(きびす)を返し、早足で去っていく。藤吉は名前さえ聞けなかったが、義視に仕える武士が直々に「逃げろ」と忠告するほど、情勢は切迫しているのだろうか――。息苦しさを覚えながら、藤吉は家路を急いだ。
数日後、ついに「山名宗全が大軍を率いて京都に入った」との知らせが町を駆け巡る。細川勝元も対抗して兵を集め、あちこちで武士たちが睨み合いを始める。京の主要な通りには、門や柵が築かれ、兵が警護に立つようになった。誰もが気づくほどに、町の空気は一変する。
ある夜、藤吉は雨戸の隙間から外を覗いていた。どこからか小競り合いのような音が聞こえる。鋭い叫び声に胸が凍る。こんなことは初めてだった。
「父上……あれは……」
「外には出るな。戦が始まったかもしれん……」
暗闇に射す火の光が、不気味に夜空を染めている。まさか、これが現実になるとは。町衆の不安が的中する形で、応仁元年(1467年)の戦乱が幕を開けたのだ。
章末おさらいQ&A
A: 将軍家だけでなく、多くの有力大名が「家督相続」で揉めていました。それらが一斉に火を噴いたことが、争いを拡大させています。Q2: 足利義視様ってどんな立場?
A: 本来は義政公の弟として、将軍の後継候補に擁立されていました。が、義政公に実子(義尚)が誕生したことで跡目が危うくなり、細川勝元の助力を得て対立を続けています。Q3: 「東軍」と「西軍」とは?
A: 一般には、細川勝元と足利義視(畠山政長・斯波義敏ら)を東軍、山名宗全と足利義尚(畠山義就・斯波義廉ら)を西軍と呼ぶ構図になっています。ただし、実際は複雑な勢力同士の争いです。
第四章 戦火の夜と庶民の叫び
応仁元年(1467年)5月、京の町は一気に修羅場と化した。とはいえ、最初から大規模な戦闘が街全体で起こったわけではなく、あちらこちらで小競り合いが頻発し、火の手が上がるという状態だ。東軍(細川・義視)と西軍(山名・義尚)の兵が、町の通りを封鎖し合いながら睨み合い、些細なきっかけで刀が抜かれ、弓矢が飛び交う。庶民にとっては恐怖そのものだった。
藤吉の家も例外ではなく、夜になれば戸を固く閉ざし、明かりを最小限にして身を潜める。外へ出るなど自殺行為に等しい。
「父上、物資の納品は……」
「こんな状態で無理だ。相手先の屋敷がどの軍に囲まれているかわからん。やみくもに出れば命の保証はない」
商売が一切成り立たない。店を開けてもお客は来ないどころか、兵に押し入られる恐れすらある。藤右衛門は頭を抱えつつも家族を守るため、手持ちの食料や金銭をかき集めて、万が一の避難に備えている。
ある夜更け、甲高い悲鳴と共に隣家の方から大きな火の手が上がる。藤吉の家族は息を飲んで家の奥に伏せるしかない。やがて火の粉が舞い込み、外は焼け焦げた匂いが充満する。兵の足音と怒号が混ざり合い、誰が敵で誰が味方なのかまるでわからない。
「た、助けて……」
かすかに聞こえた声に、藤吉は居ても立ってもいられず、戸口を少し開く。暗闇の中、血まみれの男がよろめいて倒れ込んだ。
「藤吉、出ちゃだめだ!」
父が慌てて止めるが、藤吉は咄嗟に男の腕を引っ張る。男は乱れた息のまま、「頼む、かくまってくれ……」と口走る。見ると武家の装いだが、鎧は脱げ、肩口に深い切り傷がある。
「誰だおまえ!」
藤右衛門は警戒しつつも、その男を家の中に引きずり込む。放っておけば死ぬだろうし、外で目立てば自分たちまで巻き添えになる可能性がある。母が取り出した薬草をあてがい、男の腕を布で結ぶ。すると男は震える声で言う。
「俺は……畠山家の者だ。西軍に属している……。だが同じ西軍の部隊に襲われた……。もはや誰が味方かわからん……」
なんという混沌。藤吉は驚きを隠せない。同じ西軍同士でも内紛が起きているのだろうか。もはや秩序などまるでない。男はそのまま息も絶え絶えに意識を失った。
翌朝、町のあちこちが焼け落ち、道には負傷者が倒れている姿が見える。武士たちだけでなく、巻き添えになった庶民の姿もあり、中には炎に呑まれた家族を失って呆然とする者もいる。藤吉の知り合いの佐吉の家は運よく無事だったが、商売道具の多くが焼けてしまったらしい。
「こんなのおかしいよ……。なんで俺たちが、将軍様の跡継ぎ争いやお大名の家督争いに巻き込まれないといけないんだ……」
佐吉は悔しさに声を震わせる。
だが、これが始まりに過ぎないと知るのは、まだ先のことだった。東軍と西軍は、互いに都の要所を押さえようとし、山名宗全と細川勝元は譲らず、足利義政や富子が必死に停戦を呼びかけても誰も従わない。京都の住民が悲鳴を上げても、戦は止まらなかった。
「藤吉、もしこのまま戦が続くようなら、いったん町を出ることも考えねばならん」
父の言葉に、藤吉はただ唇を噛むしかできなかった。商売どころか生活さえままならない状態――。少年の胸には、行き場のない憤りが渦巻く。
章末おさらいQ&A
A: 西軍・東軍が京都の通りや要所を奪い合い、お互いに牽制・攻撃を繰り返しているため、一つの大決戦ではなく「局所的な衝突」が頻発しています。Q2: 戦乱で庶民はどうなるの?
A: 家が焼け落ちたり、略奪に遭ったりして、生活基盤を失う人が続出。商売も大幅に制限され、難民化する者も多いです。Q3: なぜ同じ陣営内で裏切りが起きるの?
A: 長期化する混乱の中で、利害関係や人間関係が複雑になり、同じ西軍・東軍の内部でも対立や権力争いが生じているからです。
第五章 逃避行と光明の兆し
応仁の乱と呼ばれるこの戦が始まって数か月、京の町からは続々と人々が避難を始めていた。公家の中にも、かろうじて地方に領地を持つ者は都落ちを決め、下級武士や町衆も安全な親戚宅に身を寄せようと必死だ。藤吉の父も「このままここにいては、いつ家が焼けてもおかしくない」と頭を抱え、家財をまとめはじめた。
「藤吉、すまないが……いったん山科(やましな)のほうへ移ろうと思う。あちらに知り合いの商家があって、離れを貸してもらえそうだ」
「……ほんとうに、そんなことしないと駄目なの……?」
「ああ、商売の道具も大切だが、命あっての物種だからな」
藤吉は悔しかった。自分が生まれ育った家を捨てるなんて、思いもよらなかった。しかし、昨夜も近くで火の手が上がり、兵たちが略奪している姿を目撃してしまった以上、もう猶予はない。
家族総出で荷車に大切な荷を載せ、夜明け前にこっそり町を出る。日が昇る頃には市中を通るのは危険だからだ。裏道をたどり、山科への道を急ぐ。すると途中、同じように荷車や荷物を背負った町衆の列と合流し、さらに農民らしき一団ともすれ違う。誰もが怯え、疲れた面持ちだ。京都が壊滅する前に、何とか逃げたいという思いは皆同じなのだろう。
山科の外れに着く頃には、日はすっかり高くなっていた。なんとか無事に目的の商家に辿り着くと、離れの蔵を改造した部屋を貸してくれるという。そこで家族はホッと一息をついた。もっとも、空き部屋とは名ばかりで、ほとんど物置のような状態だが、それでも雨風を凌げるだけマシだった。
「落ち着いたら、また京の様子を見に戻ろう。もし店が残っていれば、商品を少しずつ運び出せるかもしれない」
父はそう言うが、藤吉は気が気でない。「戦が終わったらまたあの家で暮らせるのか?」という不安がどうしても頭をよぎる。彼にとって、京の町は思い出の詰まった故郷であり、商いの原点でもある。
ところが、滞在して数日もしないうちに、思わぬ訪問客があった。山科の田畑の管理を任されている地侍らしき者がやって来て、「おまえたちにはここを使う許可を与える。その代わり、うちの領主様に何かと協力してもらうこともあるぞ」と告げる。
「領主様……?」
「ああ、山科一帯をまとめているのは武田某(たけだ なにがし)殿の配下だ。守護とは別の筋だが、ここらを護っている。もしこっちに戦火が及んだら、おまえら町衆も防衛に協力しろってことだ」
どうやら、戦乱の最中、地方の地侍や国人たちが独自に領地を守ろうと動き出しているらしい。こうした「下克上」の芽生えを目の当たりにして、藤吉はますます時代の変化を感じるのだった。
そんな折、藤吉は離れの蔵で片付けをしている最中、父の荷物の中に紛れ込んでいた反物の切れ端を見つける。優美な絹地に糸で織り込まれた模様は、義政公の好みに合わせて仕立てられた特別なものだと聞いたことがある。思わず手に取って見惚れていると、日野富子の言葉が脳裏によみがえった。
「戦火に巻き込まれながらも、富子様は何を考えているのだろう……」
藤吉にとって富子は、ただの貴婦人ではない。不思議な存在感を放つ人物だった。あの人なら、この戦乱をどう切り抜けようとしているのか。もしかすると、何かしらの大きな“知恵”があるのでは――そんな思いが、少年の胸をざわつかせる。
山科へ避難したことで、家族はとりあえず命の危険からは逃れたが、先行きはまったく見えない。京がどうなっているのか、将軍家の争いは収まる気配があるのか。藤吉は、休む間もなく考え続ける。そんな中、父は「どこからか物資を仕入れて、それを必要とする人へ売る」ことで糊口をしのごうと動き出す。戦だからこそ需要がある品――たとえば軍服や筵(むしろ)、炊き出し用の米など――を扱えば、商機があるかもしれない。
「藤吉、おまえも少し、商いの力になってくれないか。若い力が欲しいんだ」
「うん、わかった。僕も、もう子どもじゃないし、役に立ちたいよ」
少年の胸には複雑な感情が渦巻いていた。戦が嫌なのは当然だが、逆境に立たされた今こそ、自分たち町衆の力を発揮すべき時かもしれない、と。
章末おさらいQ&A
A: 応仁の乱で市街戦が起き、家や店が焼ける恐れが高まったからです。身を守るために地方へ避難する人が急増しました。Q2: 地侍や国人とは?
A: それぞれの地方で独立性を持つ武士や有力者のこと。守護大名が弱体化する中、自分たちの領地を守るために自主的に動き、戦国大名への道を歩む者も出始めました。Q3: 下克上って何?
A: もともとは下の者が上の者を倒して成り上がる風潮のこと。応仁の乱をきっかけに、上位の支配層(守護大名など)の力が衰え、地方の地侍や国人が力を握る事例が増えてきました。
第六章 義政公の嘆きと銀閣の影
戦が始まってから年が変わり、応仁2年(1468年)となっても、京での争いはやむどころか続いていた。東軍・西軍ともに兵糧不足と疲弊は深刻なはずだが、互いに譲らず、血を流し続けている。山科に身を寄せる藤吉の耳にも、「あそこのお寺が焼けた」「あの貴族の屋敷が襲われた」という悲報が連日のように飛び込んでくる。
そんな折、父が珍しく浮かない顔で帰宅した。仕入れ先の商人から、奇妙な話を聞いたという。
「足利義政公は、すっかり政治への意欲を失い、美術や庭造りに没頭しておられるらしい……。この乱を何とかできるのは将軍様しかいないというのに、当の義政公が芸術三昧とか……どうなってしまうんだ」
藤吉は幼い頃に見た「華やかな将軍家の威光」を思い返す。義政公は優雅に和歌や絵を愛し、寺社の文化に関心を示していたと聞く。だが、それがこんな戦乱の最中でも変わらないとなれば、ますます周囲からは批判されるだろう。
「でも、どうして将軍様が芸術に逃げ込んでしまうんだろう……?」
「それは義政公のお人柄もあるだろうし、政治がうまくいかない苛立ちを紛らわせるためかもしれん。いずれにせよ、庶民にとっては困った話だ……」
藤吉は複雑な気持ちになる。仮にも天下の将軍が、人々が苦しむ戦乱を止められないどころか、半ば放置しているように見えてしまうからだ。それでも、義政公自身にも悩みや葛藤があるのだろう――そう思わずにはいられない。
数日後、藤吉はある商いの用事で、久々に京の町へ足を踏み入れることになった。同行するのは地侍の指南を受けた父の知人で、もし危険があっても対処できるようにとの配慮だ。町に近づくにつれ、焦げ臭い匂いと異様な静けさが広がり、かつての活気に溢れた京とは別世界のようだった。焼け野原になった区画もあり、瓦礫(がれき)が散乱する通りには、人影がまばらだ。
「なんてこった……。これがあの都か……」
藤吉は言葉を失う。すると通りの先で、大勢の兵に護衛された馬車がゆっくり進んでくるのが見えた。よく見ると、上品な轅(ながえ)の装飾が施され、御簾(みす)が下ろされている。近くを通りかかった人が小声で呟いた。
「あれは義政公が移動なさっておるんじゃ……? 何をしに出かけるのだろう……」
馬車の周囲は警戒の眼差しを向ける兵ばかり。藤吉は物陰に身を隠しながら、その行列を見送る。その姿はまるで、戦に疲れ果てながらも何かを探しているようにも見えた。噂によれば、義政公は「銀閣」を建てる計画を進めているらしい。金閣を築いた祖父・義満(よしみつ)に倣って、自分も美しい楼閣を残したいという思いがあるという。戦乱の最中にそんなことを……と首を傾げる者が多いが、本人は本気らしい。
(なんでこんな時に……)
藤吉の心にも疑念がわくが、それと同時に、もし義政公が何とかして世の混乱を鎮められない苦しみから芸術の世界に逃げているのだとしたら――という同情もわずかに芽生える。表向きは「優柔不断」と言われるが、きっと人知れず葛藤しているはずだ、と少年は感じたのだ。
荷の受け渡しを済ませ、山科に戻ると、父が安心した様子で迎えてくれた。だが、藤吉は帰り道にも荒廃した町の光景を目の当たりにしてしまい、心が沈む。
「こんな状態が、いつまで続くんだろう……」
「わからん。しかし、山名宗全と細川勝元の対立はまったく収まる気配がない。どちらかが降伏しない限り、ずっと続くかもしれんな」
だが、やがて両巨頭が相次いで病に倒れたという報せが流れてくるのは、もう少し先の話だ。戦乱が長引くにつれ、東軍・西軍の両陣営は疲弊し、内部での裏切りや寝返りが横行する。指導者たち自身も体力・気力を消耗し、死へと追いやられていく。藤吉たちがその事実を知る頃には、すでに応仁の乱は泥沼化の極みに達していた。
章末おさらいQ&A
A: もともと芸術・文化を愛する人物であり、政治的な混乱やストレスから逃避する意味合いもあったと考えられます。祖父・義満の金閣を意識して、自分も銀閣を築こうとしていたようです。Q2: なぜ両軍はすぐに決着がつかないの?
A: お互いが一歩も譲らず、にらみ合いを続けながらも決定的な大合戦を避けているため、戦況が停滞し長期化しています。Q3: 戦乱中でも町にいる人はいるの?
A: すべての人が避難できるわけではなく、家や財産を守ろうと残る者、物資を調達する者など、危険を承知で留まる人もいます。
第七章 西軍・東軍、崩れゆく秩序
応仁3年(1469年)を迎えても、京の荒廃は進む一方だった。西軍と東軍は、もはや誰がどのあたりを支配しているのか明確にはわからないほど入り乱れ、小競り合いと放火が絶えない。町衆の間では「京には戻らず、地方で自活しよう」という動きが広がり、多くの家が空き家となった。藤吉の店も、友人の情報によれば外観こそ残っているものの、中の道具は略奪されている可能性が高いという。
藤吉は父とともに山科での商いを続けていたが、取引相手も限られ、余裕のある生活とは言い難い。それでもなんとか飢えをしのぎ、時折京へ行く危険を冒しつつ仕入れをする日々。そんな中、畠山家や斯波家の内部紛争の噂を聞き、藤吉は改めて「いったい何がどうなっているのか」と頭を抱える。
「西軍同士で対立しているとか、東軍側でも足並みが乱れているって聞くし……。もう敵味方がよくわからないよ」
「そうだな。山名宗全様の配下でも意見が割れたり、細川勝元様の陣営でも裏切りが出たり……。こうなりゃ、誰も信じられない状態だろうな」
父の嘆きにも活力はない。戦が長引くほど、幕府の威光も失墜し、義政公の命令など誰も聞かない。富子がいくら裏で動こうと、大名たちの思惑が交錯する中では焼け石に水というわけだ。
そんなある日、山科の宿に一人の青年武士がふらりと現れる。見ると、藤吉が鴨川で出会ったあの男――義視に仕えていると言っていた人物だった。
「おまえ……覚えているか? 鴨川で話した者だ」
「あ……あの時の……!」
藤吉は驚きつつも、男の姿がひどく憔悴していることに気づく。かつては鋭い目つきだったが、今は疲労で陰が差している。話を聞けば、義視自身も東軍内での立場が微妙らしく、山名宗全の攻勢だけでなく、細川側の内部抗争にも振り回されているという。
「義視様は、もともと将軍家の後継として迎えられたが、いまや時代が変わりつつある。義尚殿が将軍になる流れは避けられんし、義視様も引くに引けぬ状況だ……。まったく、こんな乱に巻き込まれずに済むなら、それに越したことはなかった……」
武士である男の弱音を初めて聞いた藤吉は、改めてこの乱の虚しさを痛感する。誰もが「仕方なく」戦っているだけで、喜んで争いを続けているわけではないのではないか――そんな思いが頭をよぎる。
だが、現実は容赦なく、戦乱はさらにこじれていく。京都が荒れ果てる一方、地方では戦国大名の前身となる「下剋上」の動きが顕在化し始めているという話も聞こえてくる。
「こんなに幕府が弱ったら、地方の武士が自分たちで力を持つようになるのも当然かもしれないね……」
藤吉の言葉に、父もうなずく。守護大名すら家中の反乱や下侍(げざむらい)の蜂起(ほうき)を抑えられず、実権が移りゆく様子は、まさしく時代の変わり目を象徴していた。
章末おさらいQ&A
A: お互いが決定的な大合戦を避け、都の奪い合いを小規模衝突で続けたこと。また、諸大名が後継問題や勢力拡大の思惑を持ち、簡単に妥協しなかったためです。Q2: 将軍家の後継は結局どうなるの?
A: 義政公の実子・義尚が9代将軍になる流れが強いですが、義視も完全には引かず、将軍家内の確執は続きます。Q3: なぜ地方の武士が台頭している?
A: 応仁の乱によって幕府や守護大名の権威が衰え、地侍や国人衆が自立して力を伸ばすようになった結果、後の戦国大名の前身が生まれ始めているのです。
第八章 悪女と呼ばれし日野富子
避難生活が半年を過ぎても戦火は衰えず、藤吉は疲れきっていた。そんな彼の前に、再び衝撃的な噂が飛び込んでくる。
「日野富子様が、両軍に資金を貸し付けているらしい……」
「え、両軍に? 西軍と東軍、どっちにもってこと?」
確かに富子は財力に長けた人物だと聞く。公家出身でありながら、実家筋の財を背景に幕府の経済を支え、ある時には高利貸しのような形で儲けているという。戦乱が長引くにつれ、どちらの軍も資金難に陥るのは当然。それを利用して富子が稼いでいるのだとしたら……。
「だから富子様は“悪女”なんて呼ばれるのさ。戦が長引いて困るのは庶民だけど、ああいう人は儲かるんだろうよ」
佐吉が苦々しげに呟く。藤吉は、花の御所で会ったときの富子の眼差しを思い出していた。確かに得体の知れない迫力はあったが、果たして本当に金儲けのことばかり考えているのだろうか。
そんな疑問を抱えたまま、あるとき藤吉が都へ仕入れに行った際、思わぬ形で富子の噂話を耳にする。山名方の元・家臣という男が路地裏でこっそり喋っていたのだ。
「富子様は自分の子(義尚様)を将軍に据えるためなら何でもする。それが両軍への金貸しだろうが、義視殿を翻弄することだろうが、お構いなしよ……」
「しかし、もし富子様がいなかったら、幕府の財政もとっくに破綻していたって話もあるぜ……」
良いか悪いか――そんな単純な話ではなく、富子は富子なりに“室町幕府を存続させる”ために動いているのかもしれない。結果として戦乱を長引かせている面は否めないが、同時に幕府と将軍家を支える最後の砦になっているという見方もあるのだ。
「どっちにしても、庶民には迷惑な話だがな……」
男たちはそう吐き捨てて立ち去る。藤吉もため息をつきながら、歴史の大きな渦に自分たちが巻き込まれていることを痛感する。
いまや富子の評判は真っ二つに分かれている。ある者は「富子様こそ悪女」と罵り、ある者は「これだけの乱世で、あれほど頭の切れる女性は他にいない」と称賛する。どちらにせよ、日野富子の名前を耳にしない日はないほど、彼女の存在感は圧倒的だ。藤吉は「もしまた直接会える機会があるなら、あの人の本心を聞いてみたい」とさえ思っていた。
章末おさらいQ&A
A: 幕府内の財源や実家の日野家の資産、人脈を利用し、高利貸しのような形で兵糧や資金を融通しています。Q2: それはなぜ“悪女”と言われる?
A: 戦乱に苦しむ庶民からすれば、戦を延長させてでも自分の利益や我が子の将軍就任を図っているように見えるからです。しかし、一方で幕府運営を支える存在とも言えます。Q3: 富子は本当に悪なの?
A: 評価は分かれます。富子にとっては「子である義尚の将軍就任」と「幕府存続」が第一で、そのために様々な手段を取っているのは事実です。
第九章 乱世の果てと下克上の夜明け
応仁5年、6年……と歳月が過ぎても戦乱は終わらない。藤吉が20歳を迎える頃には、京都の人口は激減し、商いもかつての賑わいからは程遠い状況だ。そんな中、山名宗全と細川勝元という二大巨頭が相次いで病に倒れ、没するという知らせが駆け巡る。これによって西軍・東軍それぞれの大きな柱が消え、乱は徐々に拡散していく形で終息に向かっていくことになる。
「宗全様も勝元様も亡くなられたとなれば、もう誰が戦を指揮するんだ……?」
「指揮する者がいなくなるから、かえって乱が収まるのかもしれん」
町衆の間ではそう囁かれる。実際、長引く戦で力を失った大名たちは本国へ引き上げ、京都を支配し続ける意義を見失いつつあった。義尚が将軍になることはほぼ決まりで、義視も半ば形骸化した状態で生き延びているらしいが、もはや庶民からすれば「どうぞご自由に」という心境だ。
藤吉は、父とともに再び京へ戻る準備を始める。家は焦土こそ免れたが、道具や商品は盗まれ、店内の荒れ果て方はひどい。とはいえ、零(ぜろ)からでもやり直せば、いつかまたかつてのように商いができるかもしれない――そう信じて、周囲の商人たちとも情報交換をしながら、少しずつ復興の糸口を探っていく。
「京も、これからは“戦国時代”になるんだろうか……」
友人の佐吉は、最近は近江(おうみ)の方へたびたび出向き、そちらで商売の足掛かりを作ろうとしているらしい。地方では有力大名が次々と自立し、守護大名と置き換わるようにして台頭しているという。下克上の風潮は強まり、力がある者が上に立つ時代――まさに戦国への序章が始まっていた。
「応仁の乱は結局、何だったんだろうね……」
藤吉が呟くと、佐吉は首を振る。
「誰も得をしなかったよ。町は焼け落ち、兵たちも疲弊し、庶民は大勢死に、幕府の力は地に落ちた。唯一、富子様が儲けたって噂はあるけど……」
「……確かに。あとは、各地の武士が自立して“戦国大名”になっていくんだろうな。都はさらに荒れ果てるかもしれない」
それでも人は生きていかなければならない。藤吉は、町衆としてどんな時代でも商いで糧を得て、家族を養う覚悟を新たにする。だが、その先にどのような未来が待っているのかは、誰にもわからない。もしかしたら、かつてないほどの大きな戦乱が日本全国を覆うかもしれない――。
章末おさらいQ&A
A: 両軍の主導者が相次いで亡くなったことで、戦意を保つ柱がなくなり、諸大名が引き上げていったからです。Q2: 結局、応仁の乱は何年続いたの?
A: 1467年からはじまり、長い小競り合いを経て、実質的には11年もの間(〜1477年ごろ)続いたと言われます。Q3: 幕府はどうなったの?
A: 幕府としては足利義尚が9代将軍になったものの、権威は大きく衰退し、地方の戦国大名が力を持つ時代へ移行していきます。
第十章 新しい時代の息吹
応仁11年(1477年)を迎える頃、戦乱は形だけの終結を迎える。大軍同士の大決戦はなく、いつの間にか「気づけば兵がいなくなった」という状況で、京都には荒れ果てた町並みと、疲れ果てた人々だけが残った。公式の和睦が結ばれたわけではなく、有耶無耶(うやむや)に解散していった形で、いわゆる“応仁の乱”は幕を下ろした。
藤吉は21歳。父や商い仲間とともに、再び京の町で再起を図っていた。かつての店は骨組みこそ残っていたが、内部は荒廃し、修繕には時間と金がかかる。だが、だからこそ今こそ“やりがい”があるとも言える。町衆は自分たちの力で再び京を盛り上げようと立ち上がり始めたのだ。
「藤吉、そっちはどうだ? 蔵の片付けは進んでるか?」
「うん、だいぶ瓦礫をどけたよ。まだ使えそうな道具もあったし……。商売、再開できそうだね」
「ああ。おまえも成長したな。あんな戦火の中を生き延びて……俺は誇りに思うぞ」
父の言葉に、藤吉は照れながらも嬉しさを感じる。あの凄惨な戦乱を乗り越えたのだという実感が、彼を一回り大きくしていた。
一方、かつて京に住んでいた多くの公家や商人、職人が戻ってくる気配はまだ薄い。下手をすれば二度と帰らない者もいるだろう。地方で新しい生活基盤を築いてしまった人も少なくない。では、この先の京はどうなるのか――誰も答えを持たなかった。
ある日、藤吉は仕入れの帰りにふと思い立って、足を伸ばして銀閣の建設地の近くを訪れてみる。既にある程度の形はできあがっており、山の麓に落ち着いた風情の楼閣が建っている。戦乱の終わりかけだというのに、こんな建物が建つのかと不思議に思うが、これこそ義政公の最後の“夢”なのだろう。
「……皮肉なものだな。都がこんなに荒れたというのに、この楼閣は美しい」
藤吉はつぶやき、そっと手を合わせる。義政公が何を思ってこの銀閣に生涯を注いだのか、正確にはわからない。しかし、この乱世で失ったものが大きいからこそ、わずかでも美を残したいと願ったのかもしれない。
「義政公も富子様も、心の底では平和を望んでいただろうに……」
すべてが“もしも”の連続だ。あのとき義視が将軍になっていたら、あのとき畠山や斯波の争いがなければ、あるいは富子の金貸しがなければ、戦は回避できたのか。答えは誰も知らない。ただ、結果として応仁の乱によって室町幕府は衰え、新たな戦国の時代が訪れようとしている――それだけは確かな事実だ。
「俺も商人として、新しい時代を生き抜いていく。京で店を再建するのが、俺にとっての戦だ」
藤吉はそう決意する。どんなに世が乱れても、人が生きる限り衣も食も必要になる。商いは人の暮らしを支える大事な仕事だ。義政公や富子、義視たちの思惑がどうあれ、自分は自分の道を歩む。それが町衆にできる精一杯の生き方なのだ。
こうして、少年から青年へと成長した藤吉の物語は一旦終わる。しかし、日本の歴史はここからが激動の幕開けとなる。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康――新たな人物たちがいずれ天下に名乗りを上げ、大名同士の血で血を洗う戦いが繰り広げられていくのだ。応仁の乱は、その“戦国時代”の引き金にすぎなかったと、後世の人々は振り返る。
まばゆいほどの銀閣が陽光を反射する中、荒廃した都のどこかで、町衆たちは新しい生活の息吹を感じ始めていた。あの長きにわたる乱は無駄だったのか、それとも何かを生み出す力となったのか――答えは歴史の先へ託される。
章末おさらいQ&A
A: 正式な和平協定が結ばれたわけではなく、主導者たちの死や諸大名の疲弊によって自然消滅的に終息しました。Q2: 戦後の京都はどうなった?
A: 大部分が焼失や荒廃で打撃を受け、多くの住民が離散。復興には長い年月を要しましたが、一部の町衆や公家が戻り、ゆっくりと再興していきます。Q3: 応仁の乱の結果、何が起きた?
A: 室町幕府の権威は著しく低下し、守護大名も衰退。代わりに地方の国人や地侍が台頭し、戦国大名として覇を競う時代へ突入しました。
最終まとめ
本作は、京の町に生きる商家の少年・藤吉の視点を中心に、「応仁の乱」がいかに町衆や庶民を巻き込み、都を荒廃させたかを描きました。歴史の教科書では年号や人物名が羅列されて終わってしまいがちなこの大乱ですが、
将軍家の跡継ぎ問題(義政・義視・義尚)
有力大名の家督争い(畠山家・斯波家など)
山名宗全と細川勝元という実力者の対立
それを取り巻く日野富子の存在感
こうした複数の要因が重なり、11年という長期間にわたり京を焼き尽くし、庶民の生活を根底から揺るがしました。しかし、その混乱が引き金となって戦国大名の台頭や経済の分散化が進み、やがて「戦国時代」と呼ばれる新しい時代への扉を開いたのも事実です。
中学生のみなさんがこの物語を通じて、「応仁の乱」が単なる年号や武将名の暗記だけでなく、当時を生きた人々にとっては生死をかけた大事件だったこと、そして歴史の“流れ”がどのように変わっていったのかを感じ取っていただければ幸いです。
ポイント
これにて、本作は幕を閉じますが、応仁の乱の先に訪れる「戦国時代」や、織田・豊臣・徳川の物語もまた波瀾万丈です。興味があれば、ぜひそちらも学んでみてください。
――以上で小説は完結です。長い物語を最後までお読みくださり、ありがとうございました。――