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まだまだ短すぎる自分史

  • なぜ今パラグアイにいるのか、何がしたいのか

  • 日本の一般レールを脱線して協力隊という進路を選んだ理由

  • 帰国後のプラン、逆算して今から何をすべきか

  • 農業・畜産業を学びたいと思ったときの感覚などなど


普段の活動や配属先とのコミュニケーションを取るうちに、

総じて「一体これからの人生何したいの???」
   「私って結局何が得意なの?何が苦手なの?」

と自分でも軽く迷走状態なので今一度整理します!!
(絶対に出国前にもしておくべきだった反省)


ということで、せっかくなので自己紹介も兼ねて、
生まれてからここまで振り返ってみよう~Vamos!!



もっと良い写真あった。日本帰ったら探す。


2002/02/03  宮崎県で生まれる
父 会社員 
母 専業主婦
ごくごく普通の一般家庭だと思う。下に弟妹いる長女です。
母に長期の海外経験があったことが私の感性に大きく影響してるはず
あと母方の祖父が獣医師(家畜)だったこともあって、幼い頃から動物や自然が大好きな子だった!

名前の由来は「女のように美しいを奏でる子になってほしい」
音楽の道に進むほどの熱量・実力はなかったけど、
私の人生に音楽はマスト! これからも何らかの形で奏でていくつもり

ちなみにスペイン語にはAmanecer(日の出)という単語が!
おかげで名前はほとんど一発で覚えてもらえてる
日本でもこっちでもステキな意味で両親には感謝してます



幼少期の私を端的に表すとすれば「生まれたころから反抗期」
家族も手を焼くほどやんちゃな幼少期を過ごしてきました(笑)
今振り返ると中学~高校受験ぐらいまでが一番しんどかった

喜怒哀楽激しすぎる、感情のコントロールが苦手
でも人と関わるのは好き、積極的に人のいる方へ行くタイプ笑
人前に出るのも好きでとにかく目立ちたがり屋だった
だから自分感覚の熱量で他人に接すると
高確率で誰かを傷つけたり一歩引かせてしまったり、、、

なんでみんなの言う「普通」が自分は出来ないんだろう

当時は常にこう感じてたし、
自他ともに認めるちょっと変わった子だったので
幼い頃から「自分はなにか人と違う部分がある」と感じてた
良い意味で3割、悪い意味で7割(笑)


でもこの苦い経験がのちに生きてくる!!!!



そんな感じで多感な時期を過ごし、なんとか高校進学。
でも高校受験失敗して、希望の学科には通らず普通科へ…(笑)

前述のとおり、母の影響もあって物心ついた時から海外への漠然とした憧れがありました。
でもうちは一般家庭の3人兄弟。海外旅行も行ったことないし、
もちろん留学費用なんて出してもらえるわけない。

でもなんとか海外にはいきたい、どうしたものかーーーと思っていた矢先、

地元の高校でも特進科の修学旅行で海外いけんじゃん!!

となり、今思えば単純すぎる動機で一般受験をしたものの
そんな軽い気持ちで受かるはずもなく(笑)
滑り止め受けなかったから普通科でも拾ってもらえてよかった。

そんなこんなで微妙な高校生活スタートを切った私



高校では何かチームスポーツをしたくて(中学までは個人競技だった)
思い切って激しめのハンドボール部に入部。
一方で小学校から細長く続けてきた「合唱」もやりたくて、
周囲や先生がたの反対を押し切って学内初(多分?)の兼部をすることに。

正直、自分でやりたくて始めたんだけど
ハチャメチャにきつかった!!!!!

練習時間被ってるから片方行くときはどっちかに穴開けることになるし、
両部の先生から「どっちをメインでやっていくか決めろ」宣告は日常だし、
どっちも大会時期が被ったときなんかは会場はしごしたりね…
もちろん母のサポートありきでした、感謝。

この経験があったから高校時代は割とハードにやりたいこと挑戦できた


高校3年の夏、トビタテ留学JAPANという文科省の制度を利用して
ついに初海外への切符を手にする。これが私の人生の分岐路。
目的地はなんと、アメリカ・ニューヨーク

今思うとヒヤッとするなぁ…
よく初海外単身ニューヨークのプランで行ったなと我ながら思う
当時は「海外行きたい」の一心で全て成り立ってたから
未知の環境へ飛び込む恐怖 < ワクワク だった(笑)

当時(5年前)はトビタテもまだ浸透してなくて、田舎の普通の高校になんでこれが貼ってあったか不思議でならない。多分貼ったであろう先生もナニコレ状態だった(笑)

トビタテに挑戦したきっかけは、
高校の多目的室の英語ゾーン?に貼ってたこんな1枚のポスターだった。
(※今は募集要項も変わってます)


「14日あれば別人になれます」


今でもこのフレーズに胸が高鳴ったのを覚えてる

当時の私(応募時は高2)は部活に学校に忙しい日々を過ごしながらも
ルーティン化した毎日に少し飽きていたり、
事情は理解しながらも(うちの家計状況)今後の進路が全て思い通りにならないことへのいら立ちを感じたり、
この平凡な日常の延長で現実的な卒業後をイメージしたら全然つまんなくてこの先の人生どうしようかと割と真剣に悩んだり、
とにかくなんか日常にスパイスを欲してた(笑)

そのころには他人との付き合い方も理解し、仲間もたくさんできた
一方で小さい頃のような自分への根拠のない自信?とか目立ちたがり屋な性格は少しづつ薄れていて(それが良いのか悪いのかはケースバイケース)、

正直このポスターを見た時惹かれはしたけど、
国の奨学金を借りるなんて自分に出来っこない
もっと優秀な人がたくさんいるし、夢見るだけ無駄かも
と思った自分もいた。

でもここで挑戦することを選んだのは挫折経験があったからだと思う。
自分の中であの負の時間、あの経験を払拭したい。
なんか一発かましてやりたい!
これが私に残された唯一の海外に行けるチャンスだ!
と思ってからはかなりスムーズに進んだ印象。
それもたくさんの人が理解、協力してくれたおかげです。ありがとう。

いったんここで切ろう

続きはニューヨーク編から!(どこまで書くんだろうか)




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