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お世話になりました


 2020年9月30日に企業人を辞め、多摩地区でフリーランスとして働きます。
29年間勤めた複写機メーカー(営業職)を辞め、多摩でフリーランスとして独立いたします。

 肺ガンを宣告された母の通院補助(築地の国立がんセンターが意外と遠く)と、リモートワークを組み合わせ、何のコネもなく、コロナ禍での多様な働き方を自ら実践いたします。

 多様な働き方を自ら実践することで新しい働き方をデザインしていきます。
家族の助けをしつつ、社会の役に立つ仕事もする。人として当たり前のことではありますが、人生100年時代と言われ、自ら少なくとも75歳まで現役であることを目指し、健康に働き続けたいと思います。
 住田は1991年バブル入社しました。29年半いた企業を離れ、今の社会環境でいきなりフリーランスで仕事をすると、いったいどうなってしまうのか?。住田が実践して皆様にご報告いたします。

 両親は多摩ニュータウンに50年住んでいて、私は小田急永山駅から会社に通っていました。
 住田の幼少期は東永山小学校、市立永山中学、都立永山高校から、中央大学多摩キャンパスと、多摩ニュータウンで育ちました。
これから、多摩で歳を重ねた両親のフォローをしつつ、ここで仕事をします。

 多摩ニュータウンはいわゆる「ベッドタウン」と呼ばれるサラリーマンの街でありましたが、永山はそのまま50年経ち、特に高齢化が進んだ超高齢地区となっています。50年前に入居した世代がそのまま住み続けているためです。
いわゆる田舎とも違う、特殊な高齢状態になっています。

 目指すは、国連の持続的開発目標SDGs(2030年まで)を多摩地区で実践し、ビジネスを模索します。そして、子供や孫たちから高齢者まで、安心して暮らせる多摩を目指します。
 ここでゼロから始めるビジネスを住田が情報発信していきます。

29年間勤めた富士ゼロックスの皆様、大変お世話になりました!

読んでくださった皆様、ご支援のほどどうぞよろしくお願いいたします。


ありがとうございます。引き続き、情報発信をしてまいります。