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人はラクダとなりライオンとなり幼子となる_0007
近くの施設で七夕の笹飾りを目にして、幼子こそ純粋な創造主であることを改めて感じただけでなく、その可愛らしさにホッコリしたという話。
1.短冊にホッコリ
ある施設へフラリ立ち寄る。
ふと目をやると七夕の笹飾りコーナーがあり、来場者が短冊に願いを書けるようになっている。
都築響一さん著『夜露死苦現代詩』という本から、優れた現代詩はこのようなところにも多く存在することを知った私は、それ以降、意識してこれらを眺めるようになった。
今回はあまりにもホッコリしてしまう。
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七夕を迎える前に、一日でも早く新たなプリキュアが誕生し、授業が深い静寂に包まれることを私の願いとしたい。ホッコリをありがとう。
2.ニーチェやコリントの使徒への言葉
この短冊を見て、改めて子供の純粋な創造力に驚かされる。
ニーチェはツァラトゥストラの教説で精神の三段階の変化についてこのような考えを残している。
困難を乗り越えていく人間の精神は、まずは砂漠を進む「ラクダ」のように義務に価値を置く。実際に砂漠を進むと「ライオン」のように自由なる精神を求め何かを欲する。もし自由を得たとしても、それは権利を得ただけである。
なので、創造するにはさらに「遊ぶ幼子」にならねばならない。
簡単に言うと、ラクダとなりライオンとなり、その後は幼子のようになれ。
困難を乗り越えようとする人は、まずは義務を果たすことを優先し、次に自由(権利)を得るために闘う。でも、権利を勝ち取ってもクリエイティブでいたいなら幼子のようにならないといけないよ、という助言だろうか。
幼子による短冊の願いを目にして、真の創造主とは幼子であることを再認識する。純粋な創造である。
関連して、新約聖書のコリントの信徒への手紙 第13章では「愛」について記されているが、次の箇所をずっとよく理解できていなかった。
私は幼子であった時、幼子のよう語り、幼子のように感じ、また、幼子のように考えた。しかし、大人になった今、幼子らしいことを止めにした。
短冊からニーチェの精神の三段階の変化を考えた時、このことについてもふと理解を得た気になる。
愛とはひとつの創造であり、その創造を放棄するのは大人になった自分自身なのだと。
40歳である私は、老化に抗うため風呂上がりには化粧水、寝る前には乳液さえするが、心・思考のアンチエイジングもまた必要である。
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