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後悔、真実は故人の心の中に
あの時こんなふうにすればよかったー!
って誰にでもあると思います。そんな話です。
母方の祖父は、晩年を主に介護施設で過ごしました。
厳格な性格だった祖父。祖母に先立たれ喪失感が明らかだった祖父。孫への愛情表現も不器用だった祖父。怖いと思いながらも好きだった無口なじいちゃん。
祖父の生前に兄弟と従兄弟の全員で介護施設を訪ねた時、祖父は唐突にこのような発言をしました。
「俺なんて生まれてこなければよかった」
その発言に驚きながらも「じいちゃんがいなかったらここにいる全員が存在してないんだよ!」と慌てながら私は返しました。
やなせたかしさんの半生を舞台した春からの朝ドラのテーマの一つに「戦争」があるとラジオで知りました。
その瞬間、祖父のこの発言をふと思い出し、この時の私の返しを祖父はどのように受け止めたのだろうと無性に気になりました。
祖父は、長い施設暮らしで気が滅入っていたのかもしれません。時間があり過ぎて過去の戦争の記憶を思い出し過ぎたのかも知れません。それ故の発言だったのか、そうではなくて長年の鬱積した自責の念からくる懺悔のようなものだったのか。分かりません。
その真実は今は亡き祖父の心の中にしか存在せず、どれだけ思いを巡らせてもそれは私が後付けで生み出したストーリーに過ぎませんから。
年を重ねた今、私はこのように思いました。
祖父がその発言をした時、いま程度の知識や経験があったならな、とないものねだりの後悔の念があります。
そうであれば、あの時の祖父の発言の真意を、それなりに聞くことができたと思うからです。
まだ大学生だったその頃の私に不足していたのは、知識と経験だと思います。なので、思慮を持って受け止めることをせず、咄嗟に反応してしまったのでしょう。知識と経験が不足していたから、祖父の発言に踏み込む勇気が足りなかったのでしょう。
私の読書量を見た誰かより、「なぜそんなに本を読むのか?」と聞かれることがたまにありますが、その答えの一つがここにあるように思えます。
知識があれば勇気を持てる。勇気があれば真実を知れる。真実を知れば大切な人が必要としている範囲でその瞬間に寄り添うことができる。
大切な誰かに先立たれる時、最後にその誰かが苦しや葛藤を打ち明けたいと思った時、不動心で何時間でも耳を傾けられる人間でありたいと思います。
それが私にできる最後の親孝行にもなるのかもしれません。