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社員インタビュー番外編|代表 岡田行正

こんにちは!パズル広報担当の竹村です。
今回はインタビュー特別企画として、改めて代表の岡田にこれまでのパズルや、会社に対する想いを聞いてみようと思います!


【PROFILE】
岡田 行正(おかだ ぎょうせい)
広島生まれ、東京・茨城育ち 
大手CM制作会社にてPM、プロデューサーを務め、
2006年 株式会社パズルを設立

ーまずは、行正さん自身についてお伺いできたらと思います。行正さんといえばカメラ好きな印象なのですが、いつから撮影されているんですか?

親戚の叔父さんが天文マニアで、小学生の時に、天文写真を教えてもらったことがきっかけです。サイエンス好きのきっかけはドラえもんの影響かなと思っています。恐竜や、宇宙もそうです。
とにかく小学生の時に星を好きになって、皆既月食を撮影するために天体望遠鏡を買ってもらいました。それまでは一眼レフカメラだけで天体写真を撮っていたんですけど、小学6年生の頃から望遠鏡にカメラをくっつけて月を撮るようになりました。

ーパズルでも「自分のスキなことを大事にしよう」という話をよくしていますが、行正さんにとっては天文なんですね!

天文について、小学生の頃から色々知りたくなって図鑑や子供向けの星に関する本、解説書を読み漁っていました。ちょっと背伸びして大人向けの天文ガイドを読んでみたり。そんな天文少年として中学校に入って、理科で天文の分野が出てきたら全部知ってたんです。学校で勉強することが全部知ってることでした。

恐らく、今の若い子たちにはよくあることかと思うのですが。
特にテクノロジー系のプログラミングは誰でもやろうと思えばできますが、独学でプログラムを学んだ中学生が、ハッカーの真似事をして問題になっていたり。
自分の好きでやっていたことが、学校の勉強だったことが驚きでした。
勉強と思わずに学ぶ楽しさがあることを知ったのは、天文(学)のおかげかなと思っています。


ーそんな天文大好きな、行正さんがCMプロデューサーを志したきっかけはなんですか?

小・中学生は当然、天文学者になりたいと思っていましたね。
そんな中、ガチの天文マニアに出会うことがあり、コンピューターを使って彗星の軌道計算をしていたり、望遠鏡を自作していて、そのための反射鏡を磨く機械から作っていて。すごく楽しそうで、本当に好きってこういうことなんだなと思い知りました。
そういったマニアの先に天文学者がいるのかと思っていたら、実際はそうでもなく、プロ(学者)は論文を書くことや後進の育成が仕事だと知り、自分の天文好きは"アマチュアの好き”だと気づいて進路変更しました。


就職活動をする中で、(生意気にも)普通の就職だとつまらないと思っていて。子供の頃から特撮の番組が好きで、スターウォーズも好きで、メイキングとかもみて、みたこともないような映像を人力で作っているのがすごいと思って、映像を作る仕事も楽しそうだと思いました。
趣味とも違う何かを作れないかと考えて、映像といえば、テレビ・映画・テレビコマーシャルなんですけど、別に趣味でやるわけでもないし、商売として・仕事としてやるなら、ビジネスっぽい映像制作が良いなと。それで商業映像といえばコマーシャルだなと、広告業界に辿り着きました。
広告代理店や制作会社の説明会を探して行って、だんだんCM制作会社のプロデューサーになりたいと思うようになりました。
当時ネットもない時代だったので、業界雑誌で企業を探して電話かけまくって応募して面接を受けました。

ープロデューサーという役職にこだわりはあったんですか?

こだわりはありましたね。チームをまとめ上げるポジションというのが自分にあっていると思ってました。
CMを作るのに、いろんな職種の人を集めて、チームとしてまとめ上げて、就活している頃はそこまで明確な役割はわかっていなかったですけど、まとめたり、仕切ったり、リーダー役なんだなと思って、そのイメージと自分の将来像が合致していました。


ー大学時代も何かリーダーをやっていたんですか?

飲み会の幹事を任されることが多かったんです。
飲むのは好きだし、幹事も進んでやっていましたね。
なので、飲み会幹事タイプはこの仕事に向いてると思っています!
幹事としてまとめ上げるためには、必要なスキルがいくつかあって、「ホスピタリティ」であったり、「気遣い・先回り思考」など、制作にも活きると思っています。
電話で予約するか、お店に直接行って交渉したりしてましたね。「これぐらいの人数で、これぐらいの予算で、こんな感じの料理を…」と決めていました。そうすると「行正が幹事してくれると、安く済むから良いね」と言って喜んでもらったりしていました。
プロデューサーってお金のこともそうですし、スケジュール、仕切り段取りもそうだし、スタッフの選出だったり、普段からやっていたんだなと思います。面接でも幹事エピソードは話していました。
あと、面接受けてて思ったのは、たくさん受けることが大事だなと。マニュアルもありますけど、やっぱり場数をこなすことで上手くなっていくなと思いました。

ーそれで、大手CMプロダクションに入るんですね。そこで会社を決めた決め手はなんですか?

自分が影響を受けたCMを作っている会社だったので入社しました。
CMっていいなと思ったのが、ビールのCMを見て実際に飲みたくなったことがきっかけでした。ダイレクトに人に訴えかけることができる映像だなと魅力的に感じました。

ーCMプロデューサーを目指して入社した後、いつパズルを作ろうと思ったんですか?

入社7年目でプロデューサーになって、さらに5年が経った頃ですね。
元々プロデューサーになりたくてPMはその通過点と思っていたんですけど、やっていたらPMが最高に楽しくて(笑)
プロデューサーになったらなったで、その途端、目標を見失ってしまって。肩書きはプロデューサーですけど、思い描いていたプロデューサーになれている感じがしなくて。
周りにすごいプロデューサーもたくさんいたので、余計にそう思っていたんですけど。
そんな目標を見失っていた時に、たまたまデジタル放送の仕事をやる同期がいて、雑誌のNewtonを番組にするという企画がありました。天文好きだったこともあり、「俺にやらせてよ」と声をかけたんです。1998年頃なんですが、番組制作自体が初めてで、衛星放送のすごく野心的な仕事でした。
その制作をしている最中、自分が現役の間にアナログ放送からデジタル放送になると知って、とにかく驚きましたね。ブラウン管のテレビは無くなって、今納品しているCMは映らなくなるの?と。
デジタル化と同時にインタラクティブに作用するものになると予想し、時代がそうなっていく中でみんながデジタル化へ向けて制作するようになるなら、それを今からやればもしかしたら一番になれるかもしれないと思いました。

その頃インターネットも普及していて、Webサイトでは衛星放送で想定していたインタラクティブなことが既にできていると思って、テレビのデータ放送のためにWebサイトの制作を勉強しようと考えました。
そこから日中はCMの仕事をしながら、夜や空いた時間でデジタルの仕事と勉強を5年間程しました。あまりにも忙しくしてたので、周りは何やってるんだろうと思っていたようですが(笑)
今でいう本業と副業だったのかもしれないけど、本業はCM制作で裁量持たせてもらってたので昼に仕事して、夜はデジタルのことをやって、すごく面白かったですね。
CMを作る中で、「人はテレビを見たらWebで検索するよな」とか言い始めた頃で、広告でCM流すなら、Webサイトで詳しく調べられるべきと思いました。そういう連動する仕組みを作った方が良いなと考えていました。
当時、お付き合いがあったクライアントにCMとWebサイトが連動した企画の自主提案をしたいと上司に頼み込みました。
CMのビデオコンテを作って、それと連動するWebサイトを作って、こんなことをやりましょう!と提案したのですが、「そのうちこういう世の中になるんだろうね」と言われて終わってしまいました。
その後一年ほどで「続きはWebで」というCMが出始め、自分でも作るようになりました。
Webは確かに予算はつかなかったですけど、仕切りが一番大きいCMと一緒にやるとうまくいくなという手応えを感じ、CMと共に、グラフィックや、SP(セールスプロモーション広告)もまとめて制作するようになっていきました。

なので、自分のチームの撮影香盤表(タイムスケジュール)は、CM撮影だけでなくWebやグラフィックなども一つにまとめていました。一つの仕切りで全メディアの撮影をして、パラレルに制作することで、CMの編集チェックのタイミングで、グラフィックもWebも確認してもらったり、効率よく全ての進行をするようにしていました。
そういった制作を進めていくうちに、全てをまとめて作って納品するプロダクションがあっても良いのではないか?と思い始めました。自分のいる会社がそうなればと思い社内でも地道に話していたのですが、デジタルは儲からない、効率が悪いと思われてしまい、そもそもCM制作に特化した体制になっていたり、バックオフィスのシステムもCM制作を中心にできているので、Webサイトの決済スピードや小回り効かないのが難しいと感じていました。
テクノロジーがすごいスピードで進化する中で、このスピードではダメだと思って独立を考え始めました。


ープロデューサーだった行正さんは、経営についてどこで学ばれたんですか?

経営は、少しずつ勉強しましたね。
やはり興味の向くままいろんな経営者の本を読んだり、先輩たちに話を聞いたり。
就活中に前職の会社説明会で、PMの先輩がキャリアプランの話をしてくれて、
「君たちが入社したらまずはPA(プロダクション・アシスタント)になって、下っ端で雑用をとにかくなんでもやるんだ。そのうちPM(プロダクション・マネージャー)になる。PMは最高に楽しい!自分はそのうちプロデューサーになるんだけど、プロデューサーの次は社長しかないんだ。」と言っていたのが印象的でした。
「その会社の社長になるか、独立して社長になるか。プロデューサーになったその先は社長しかない。社長にならないならば、社長と一緒に会社で働いていくしかない」っていうのを聞いて。
"プロデューサーになったあとは社長になるんだな”とぼんやりとは思いながら働いていました。
一方で、社会人になった頃、業界が5,60年ぐらい経っていたので、「業界の中でキャリアを終えていく人たち」というのを見られたこともラッキーだったと思っています。
会社を勤め上げて定年退職というのもあるし、仕事がなくなったり、できなくなって今までやってきたことと違う仕事で食いつないでいく人がいたりして、いろんなキャリアの終え方をみることができました。
自分は将来プロデューサーになって、ずっとプロデューサーをやっていきたいと思っていたんですけど、その仕事もいつか終わるんだなということに気づきました。
どうやって終えていくのが良いだろうと、終え方も考えながらキャリアを積んでいく必要があることを、新入社員の時から考えていました。
「キャリアはいつか終わる。終わり方が大事」
当時は「勝ち組」「負け組」という言葉や、アーリーリタイアという考え方もなかったし、企業に勤めて55歳が定年だったのが、60歳に引き上げられて、更に引き上げられると言われていて。自分の頃は定年70歳ぐらいになるだろうと言われてましたね。
70歳まではサラリーマンができる。
ただ、うだつの上がらないサラリーマンをやるのか?
その時何やってるのが良いかな?というのは、よく考えてました。
そうした時に、組織運営や会社ってどういう仕組みで成り立ってるのか?ということが気になって、経営陣や部長たちによく話を聞いてましたね。
若い頃、何も知識がない時に「取締役になったら残業代ってつくんですか?」って聞いたら、「そんなもんないんだよ」と言われたこともありますね(笑)

それと、結構勉強になったのは経理の人に話を聞いたことです。組織を動かそうと思ったら、まずはお金のことを知らないと思って経理部長からキャッシュフローや会社を運営するために必要なお金の知識を教えてもらっていました。
あとは、経営者に必要なリーダーシップ論や帝王学は、会社の経営陣や先輩、当時の有名経営者から学ぶことがたくさんありましたね。

ー7月でパズルは18周年迎えたところですが、一番苦労した時期はいつですか?

東日本大震災の時ですね。
人がたくさん亡くなったこともありますし、生産が止まって、物流が止まって、漁業、農業も止まって、ぱたっと経済活動が止まって。
そんな時期でも忙しくしていた業界はあって、Yahoo!ジャパンが「今こそ日本のライフラインをYahoo!が支えましょう」と発信していたのを見て励まされました。
広告業界である我々の仕事は、企業やモノが動いて初めてあるので、本当に全ての仕事が止まってしまって、どうしようってなったんですけど。
3月からの仕事がまるまる無くなりそうになったり。直面したことが大きすぎて、どうしたら良いのかわからなかったですね。喪失感も大きすぎて。今、振り返ってみると経験がなかったから仕方ないなと思うんですけど。
その時に色々、知りましたね。
国とか自治体とかがこういうときは援助してくれる制度があったり、企業や市民の人は被災地に向かってどう支援していくかというのもみて勉強になりました。
この時の経験はコロナ禍の時に活きたなと思っています。

ーパズル18年の中で一番の成功体験はなんですか?

パズル経営者としての成功体験は、人が育ってくれていることですね。
そしてパズルが育てた人が稼ぎ始めていることです。
新卒採用は、会社のカルチャーを作っていきたいと思って始めたんですけど、その新卒で入ったメンバーが稼ぎ頭になり始めています。自分が始めたことが間違いないんだなと、育ってくれた社員たちが証明してくれています。
これは何よりの成功体験かなと思っています。


ー私自身、今までパズルと同じような規模のクリエイティブ系の会社に在籍してましたが、ここまで育てようという文化がある会社は初めてでした。そういった会社にしようと思ったきっかけはありますか?

それも前職の環境が大きかったのかなと思います。
前職は経営陣が代替わりする会社だったので、それを目指したいと思っているからです。
その会社の初代社長は不幸にも癌で亡くなってしまって、それで代替わりしたんですけど、次の経営を担える先輩たちがたくさんいて、独立して成功している会社もいっぱいあって。
そういう会社で育ったので、自分は代替わりするか、自分一代限りにするか、どちらかと思った時に、代替わりする会社にしたいと思ったんです。
次に経営を渡す人材を育てて、代替わりして長く続けていってほしいと思ってます。
多分、今と形は変わると思うけど。
パズルはその時代にあった人材を育てて、時代に求められるものを作る会社だし、そうあり続けたいと思っています。
人を育てるカルチャーができてると、先輩が後輩を育てて、右腕になって…という流れが生まれる。自分もそういう中で育ってきて、先輩の役に立って、組織の役に立って、評価を受けてきたので、パズルもそうしたいと思っています。
あとは、カルチャーを作ることが楽しいなと思っていて。
パズルの代表作であるPiKAPiKAプロジェクトもカルチャーをつくる仕事だったなと思っていましたし、企業文化を作るということが組織論としても面白いし、経営してて面白いと思う一つですね。

ー今のパズルは一言で言うとなんでしょう?

何年か前の「若いだけの会社」ではないなと思っています。
以前は若いだけで、若いから勢いを持っている反面、若いから何も知らない、若さゆえの過ちも多い会社だったと思っています。
今は若さだけじゃなくて、若さも利用できるし、若さをコントロールしながらちゃんと仕事ができる。世代の厚みができたからこそある良さだなと思っています。
稼ぎ頭世代が出てきたことで層の厚みもできて、その世代が会社の中核として経営を担っていく立場になっていくと思うんですけど。
そうなった時に世代の厚みがどうなっているか、今のように若手を入れ続けて層を重ねて育っているといいなと思っています。

コロナ禍が明けて経済が動き始めている中で、世の中のトレンドが変わっていることをきちんと掴んで、変化の最先端に立っていれるか、そういった意識をみんなが持てていると良いなと思っています。

ー領域を問わず仕事しているパズルで、何か気をつけてることはありますか?

とにかく面白いなと思ったことをやってみることが大事だなと思っています。
AI、ロボティクス、自動運転技術、VR、メタバースなどなど、色々ありますけど、自分がインターネットやWebを面白がっていたように、何か見つけてとことんやってみることがいいと思います。
面白がって作ることを一生懸命できたらそれで良いかなと思ってます。
それは手当たり次第で良いなと思います!
とにかくやってみる!面白がってみる!

あとは、元々CM制作会社にいたので、インターネット領域でも映像に強いチームになりたいと思っていました。
ストリーミングで画を綺麗に出せるとか、作るコンテンツはどんなものでも映像的であろうとは意識していますね。
2000年代に実験サイトを作ったときも、できるだけ映像にしようと思ってやっていましたね。
そういうこだわりを持って、人の心を動かすと言うことが大事ですね。

ー最後に就活生に一言お願いします

パズルは人を育てることに重きを持っている会社なので、成長したい!という意欲がある人に来てもらいたいです。
覚悟を持ってどこで成長するのが良いのか?、真剣に考えてみてください。
今は色々調べる方法があるので、たくさん調べてみて、どこが良いのか見極めて欲しいと思います。
就職して、社会人デビューする会社はとても大事です。
パズルでデビューできてよかったって思える環境づくりは心がけていて、それは時に厳しく、時に優しく、礼儀作法も外に出して恥ずかしくない人材を育てているつもりなので、よく見極めてください。
実際、社会に出ると消耗品みたいに使い倒されて終わる会社も多いので、どういう会社でデビューするのかを調べて、その調べ方もライバルと同じだとその程度の情報しか得られないことも考えて、自分なりの就活をしてほしいと思っています。調べる方法は色々あるので。
自分なりに時間を使ってほしいと思います。
みんな自分に合った仕事っていうのを探しがちですけど、仕事が先か自分が先かでいうと、完全に仕事が先。
この世に仕事があって、その仕事に自分を合わせられるか。仕事が合わせてくれることなんてないので、自分に合った仕事探しをしないように。
自分が合わせられる仕事って何かを考えて、調べて、探していけたらいいんじゃないかと思いますね。

就職活動中の学生に向けた記事ではありますが、社会人としてキャリアに悩む方にも、参考になる話がいくつもあったのではないかなと思います。
そんなパズルでは新卒採用、経験者採用を行なっています。
パズルの採用についてはこちらをご覧ください。

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