見返りを求めない・他人に期待しない

”無条件の愛”とは存在しうるものなのだろうか。


長らく不思議で仕方がなかった。

見返りを求めない愛情が本当の意味で存在することはあるのか。

ここで言う「本当の意味」とは、「建前なしの」という意味である。建前だけなら誰だって言えるのだ。自分が与えている愛情や利に、見返りなんていらないよ、と。



私は昔から、誰かに何かを与えてもらった際に「早く何かお返ししなきゃ」「きっとこの人は口には出さずとも見返りを求めているに違いない」と考えてしまう癖があった。そのため、人に奢られたり至れり尽くせりしてもらったり、いわゆる自分優位な環境というものは苦手だった。

それはまるで鎌倉幕府で言うところの御恩と奉公のように、与えられたものにそぐう形でしっかりと恩を返すことが求められているかのような感覚であり、何かを与えられると決まって荷の重さや焦燥感を感じてしまうのである。

このようなことを考えてしまう自分はひどく冷めきっているように思えた。

自分は、損得勘定でしか物事を計れない人間なのではないか。

そんな自分が卑しく思えた。見返りを求めず愛や希望や夢をばらまける人間の存在は輝いて見えた。私は”見返りを求めない人間”に劣等感すら抱いた。


フラッと家に立ち寄って「お菓子焼いたの、よかったら食べて」とシフォンケーキを持ってきてくれる友達。会うたび笑顔でお小遣いをくれる親戚の人。そして、インフルエンサー活動を始めてからは、応援してくれる方という存在もできた。

落ち込んでいるとDMでこっそりギフトを贈ってくださる方や、丁寧な文章で励ましてくださる方。お手紙を贈ってくれる方。イベントに来てくれる方。私の喜ぶ顔を想像して、とプレゼントを贈ってくれる方。


誰も「見返りちょうだい」「代わりに何かして」なんて言わない。

世界は恋に落ちている、ではないけれど、この世界は愛に満ち溢れている。そう思った。嫉妬や憎悪も多く存在するこの世界には、それと同じくらいの愛や思い遣りが存在している。


自分の趣向の話になってしまうが、私は結論のない文章というものはあまり好まない。文章にオチというものがほしい。

ただこの話、どうにもオチがない。

なぜなら私の中でこの議題はまだまだ未完結であり、片がついていないからだ。


見返りを求めないことの意味が、未熟な私にはまだわからない。

見返りを求めまいとしても、私はきっと心のどこかでは何かしらの見返りを求めている。


いろんなものや人に無条件に何かを与えられるようになりたい。

そんな気持ちすらも実は自分のエゴなのではないか。見返りを求めてしまう卑しい自分とお別れしたいというただのエゴ。そして、何かを与えてもらった時にも、この人は見返りなんて求めちゃいないと自分の気を楽にさせるためのエゴ。


私の中でこの”無条件の愛”論はこれからも続いていくことに違いないが、ここ最近で一つ身についた考えがあるのでそちらを論じておく。


「いい意味で他人に期待しない」ということだ。

これは見返りを求めないということも含まれるが、それだけではない。

もっともわかりやすいのは友達関係だろう。友達との距離感は本当に難しい。友達とは気づいたら友達になっているものであって、どこからが友達とかどこまでが友達とか、明確な判断基準が存在しない。

おそらく人によって”友達にはこうであって欲しい”という像が無数に存在している。私の友達なのだから、これはしないでほしいとか、あれは好きでいて欲しいとか、そういう友達への曖昧な希望をみんな心のどこかで抱えているはずだ。


私にだってそれはあって、そしてつい最近私の”友達にはこうであって欲しい”というラインを友達が飛び越えてしまったことがあった。

私はひどく失望した。友達だからこそ、やめてほしかった。自分は比較的友達に理想を求めすぎない人間だと思っていたけれど、やはり大好きな友達を想うあまり、エゴと言われても仕方のないような感情を抱いてしまったのである。


好きだからこそ、期待をしすぎてしまう。何事にもこれは言える。

家族にも恋人にも、推しのグループにも、スポーツ選手にも。


自分以外の人間に期待をしてしまうのは、愛あってこそのことだ。でも、そればかりで生きてしまっては、身も蓋もないな、と思った。期待が外れた時に疲弊しすぎてしまう。自分の中にどす黒い感情さえ芽生えてしまう。

あくまでも他人にはドライでいた方が、楽なのだ。

ドライでいて、でも愛に溢れていたい。それも、見返りを求めない。


それはとても難しいことであり、到底不可能に思える。

他人に干渉しすぎずに、愛に溢れた人間になることはできるのだろうか。

そこに関しては模索中だが、兎にも角にもいい意味で他人に期待しないことは自分を守る盾になると思った。



さっぱり結論のわからない話になってしまったが、ここ最近の私がもやもやと答えの行き場もなく考えていることを、書き記したまでである。

今日もたくさんの愛を受け取って感謝して、自分には何ができるのか考えてみる。

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