19歳が中年男性と付き合って初めて正しい自己認識を得た話
不穏なタイトルから伺える通り、私の価値観はちょっとズレているのかもしれない。
noteははじめましての5しゃいです。どうかお手柔らかに。5しゃいで19歳なんて圧倒的撞着だけれど、許してね。
さて、私が37歳のおじさんと付き合ったのは去年の冬のことである。
いわゆるおじさんというものがどの年齢層のことを指すのかは読み手によって変わるだろうから、どうかクソリプをよこしてくるようなおじさんよ、「37はまだ若いだろ」だなんて言わないでね。なにせ私は当時19だ。
若さそのものが価値だとはさらさら思わない。若いだけで尊いだとか言っている同世代を見ると疑念を抱きすらする。50代を迎えた母の返り咲きを目の当たりにして、尊さや魅力は人間の内側から滲み出るもので、それは幾つになろうが色褪せることはないし何度でも再興するものだと感じたので。
そしてこの話を逆手に取れば、私が付き合ったというおじさん(37)だって、若くないから魅力がないとか年の差があり過ぎるから付き合うべきじゃない、とは言えないはずなのだ。
このnoteで私が伝えたいのはそういう類の話ではない。
この記事の読者の中にもことごとくダメな恋愛をしている、またはしていたという人間はある程度いるだろう。
相手を縛りすぎるあまり重過ぎてフラれた、ホストと付き合って金銭の要求ばかりされ自分自身への価値が見出せない、ろくな相手と付き合えず浮気ばかりされている、いつも結局セフレ止まりになってしまう、本当に好きな人には振り向いてもらえずどうでもいい人間ばかり寄ってくる、etc・・・
恋愛のカタチに正しいも間違いもないとは思う。
ただ、確実に恋愛のせいで不幸を感じているというあなたへ、単刀直入に言うとしよう。
不幸な恋愛をしてしまうのは、正しい自己認識、自分の価値に対する正当な評価ができていないからだ。
自分の価値を高く見積もれだとか高嶺の花子さんになれだとか理想を高く設定しろなんて言いたいわけでも、プライドは高過ぎない方がいいだとか自分の程度を知れだとか言いたいわけでもない。
私が言いたいのは至ってシンプルな話。
自分自身の価値なんて自分が分かっていればいい話なのだから、周りと比べて低く見積ったり高く見積もったりする必要はないのだ、と言いたい。
要は「自分は自分」というわけだ。
さてこれを読んだ何人の人が「そんなの分かってるしそれができてたらこっちも苦労してないわ!!!」とぼやいただろうか。
そう、自分の価値を自分で決めて、自分の価値を正当に評価することはそう簡単な話じゃない。容姿至上主義、学歴主義、スクールカースト、日本にはまだまだ自己評価に際して行く手をはばむ思想がはびこっている。これに加えて親から褒めてもらえないまま育ってしまえばますます自己評価は低まる。
低すぎる自己評価も高すぎる自己評価も不幸な恋愛をうむことになる。
タイトルに戻るが、私はおじさんと付き合ったことで、その自己評価とやらが随分と低いものであり、正しい自己認識がままなっていなかったという気づきに至ることができた。まさしく失敗して初めて自分の価値を正当に見積もることができたのである。
ここからようやくおじさんとの恋愛を詳しく話してみようと思う。
当時容姿至上主義の波に飲まれていた私は、極端に自己肯定感が低かった。
おかげさまで先述したようないわゆる「ダメな恋愛」を何度もしてはますます自己嫌悪に陥り自分の価値なんてゴミクズ程度だと本気で思い込んでいた。
冷静な自己認識のもと当時を振り返れば、私は大学にも通いながらバイトもしてそこそこ友達はいて、なにぶんそこまで自己評価が低かったのか、おそらく負のループにでも嵌っていたのだろう。
そんな折におじさんと出会った。
おじさんとの出会いに関して詳しくは話さないが、一つ言うとロクな場所で出会っていない(笑)
はじめ、おじさんはおじさんには到底見えなかった。とても若くて端正な顔立ちのおじさんだったのだ。またおじさんは夜職のスタッフをやっているため(おじさんで夜職のスタッフという時点でお察しだが)いつもスーツでピシッと決めていて、同年代の男子からは香らないダンディーな香りがしていた。
aikoで言うところの甘い匂いに誘われたカブトムシのごとく、私はおじさんに惹かれていった。おじさんの素性も年齢も知らぬまま。
おじさんの本性を知ったのは付き合った後の事になる。
20代半ばだと思っていたがどうやら37歳で、貯金は一銭もないのに実家で暮らしていた。健康を損ねているというわけではない。実家暮らしの男性にとやかく言いたいわけではない、人には人のライフスタイルがあることは理解している。ただ、40手前の夜職スタッフ(貯金なし実家暮らし)というのはかなりパワーワード的響きだ。
オシャレに興味もなく、いつもサバゲーでもするのかというような腰巻の巾着にボロボロの財布を入れていた。あれほどダンディーで頼り甲斐のあるように見えたのはスーツのおかげ。スーツマジックってすごーい(棒読み)
それでも私はおじさんの外ヅラに惚れたわけではなく、私を大事にしようとしてくれる内面がすきなのだ、と本気で思い込んでいた。いや、思い込ませていた。
なにせ自信がないと、優しくしてくれる存在というだけで尻尾を振って付いていってしまうのだ。
しかしおじさんの内面も、そのうち化けの皮が剥がれてくることとなる。
まずものすごいネトゲ廃人だった。うん。廃人だった。
デートをしていてもこちらになりふり構わずネトゲ。二人が1日暇な日でもお出かけしようとねだってもネトゲ。しかも実家暮らしなもんだから、私の一人暮らしの家に転がり込んできて私のパソコンでネトゲ。これじゃ友達を呼ぼうにも呼べない。寝ても覚めてもマウスをクリックする音だけが聞こえてくる。
これには流石に私もイラついたが、趣味というものがない私にとってはここまで何かに熱くのめりこめる人間が正直羨ましくもなった。
エピソードはこれだけに尽きない。
デートでネトゲばかりしてこっちの顔も見てくれやしないのに、とんでもなく重たいのだ。
友達とファミレスで駄弁っているだけなのに浮気を疑われたので、位置情報と友達とのツーショット(もちろん女の子)、それに加えてフードの写真まで送ったのに、「ジョナサンにそんなパフェ売ってない、本当はどこにいるの?」と言われたことまである。のちに私はこの話を「ジョナサンパフェ事件」と題し友達に語るまでになった。
まぁつまるところ、おじさんも自分に自信がないので私を縛ることでなんとか離れていかないようにしたかったのだとは思う。
付き合った人のことを悪く言いたくはない。
それにおじさんだっておじさんなりに私のことを愛してくれていたのは十分に伝わってきていた。
だが、19歳で未来もまだあって、友達づきあいや数多の人間関係からまだまだいろんなことを吸収できる私が、このおじさんに時間を吸い取られているという状況がある日突然バカバカしくなってしまった。
それはジョナサンパフェ事件が起こった翌日の話だ。
おじさんがバラの花を一輪持ってうちへやって来たのである。
そして涙を浮かべてこう言った。
「一輪のバラの花言葉って知ってる?永遠の愛だよ」
私は引きつり笑いしかできなかった。おじさんは浮気を疑ったことを謝るためにこの行為に至ったらしいのだが、なんか、なんだろう、違う。これは違う。私が求めてるのはこんな形のロマンティークではない。おじさん、なんかズレてる。何してんだろう私。
狭いワンルームに、泣きながら一輪のバラを持って少女漫画の登場人物が言ってもギリ臭いぐらいのセリフを突然放ったおじさんと、パジャマ姿で佇む10代の若い私の図が俯瞰で頭をよぎり、天井あたりから第三者視点でこの光景を眺めてなんだかバカらしくて笑えてしまった。
こんなんやめよう、と思った。
私に優しくしてくれるからなんなの?
恋人が優しくしてくれるなんて当たり前じゃん。私に優しくしてくれる人がいることくらい当たり前じゃん。好きになってくれる人くらい他にいくらだっているよ。
それなのに自己評価ができていなかったせいで、ずいぶん気づくのに時間がかかってしまった。時間を無駄にしたとは思わないけれど、あの数ヶ月でもっと楽しい恋愛はいくらでもできたなぁ。
バラの花は受け取ったけれど、その日のうちに私はおじさんとお別れした。
私はおじさんと付き合ったことが間違いだったとも思わない。
同年代じゃ知らないこともいくつか教わったし、そもそもかなり年上の人とお付き合いしたことは自分の価値観を広げる上でも為にはなった。
でも改めて再認識した。冒頭に書いた通り若さそのものが価値でもなければ若いから凄いわけでもないが、若いうちの時間には価値がある。若い人間に価値があるというより、若いうちに過ごす時間というものはその過ごし方によってとんでもない財産に化ける。
私はまだまだ友達ともたくさん遊びたいし、恋愛を通してたくさん学びたいし、やりたいことも挑戦したい。
時間は有限なのだから、自分の価値を自分で決める為にも毎日邁進しなくてはならない。おじさんには悪いけど、おじさんに割く時間はもうなかった。どうせおじさんと付き合うならもっといろんな景色見せてくれるおじさんがいいしね(もし見てたらごめんね、あの時間もあれはあれで楽しかったのよ笑)
というわけで、若干失敗して今の自分に対して、というか自分が過ごしている時間の価値に対して、正しい自己認識に至ったよ、というお話でした。
p.s.今は同世代の彼とお付き合いしていますが、海外旅行に行ったり、行ったことのないようなご飯屋さんにチャレンジしてみたり、今の年齢なりに楽しく恋愛できていると思っています(笑)恋人を年齢で決める必要はないと思うけど、今の私には同年代の恋人がとてもあっている気がします。日々学びだね〜