39 車に乗るときのルール
私は運転免許を持っていません。都会に住んでいるので、電車はたくさんあるし、買い物や病院も近所ですべて用事を済ませることができます。だから車が無くても全く支障はありません。しかし元夫にとっては、そんなことは関係ありませんでした。ただ、車が欲しい。みんな持っているのに俺だけまだ持っていない、何度聞いたことでしょう。車を所有することが夢、というのも理解できなくはありません。しかし、我が家にとっては不必要な贅沢品にすぎませんでした。車のローンを支払うために、再び生活は苦しくなっていきました。しかし元夫はご機嫌です。大きなおもちゃを手に入れたのに、モラハラは酷くなっていきました。携帯の待ち受け画面も、わが子の写真から、愛車の写真へ変わってしまいました。
念願の新車を買うことに決めた理由
私が仕事に復帰してから、以前のように生活費を切り詰めなくてもよくなりました。「お金がない」「小遣いが少ない」という夫の愚痴はなくなりませんし、夫は相変わらず、財布のお金はすべて使ってしまいます。お金がないのは私のやりくりが下手だから、と言われるのが恐怖でした。
「車を買うお金もないなら、スタバ行ったりお菓子を買ったり外食したり服を買うのを辞めれば?もっと切り詰めればいいやん」と私の小遣いの使い道を制限したり、自炊を強要したりするのです。自分は一切家事をしないのに、です。そして小言が始まるたびに、私自身も「私のやりくりが下手だからだ」と無意識に自分を責めるようになりました。
車に全く興味のない私は、お金は出すけれど、どんな車がいいのかは夫に任せることにしました。車を所有しているということは夫の一種のステータスなのだろうし、そういう気持ちもわからなくはありませんでした。
私の貯金をはたいて頭金を捻出したにも関わらず「あと100万出せない?」と夫は簡単に言ってきました。お金が湧いてくると思っているのでしょうか。さすがに、子どもたちの将来の貯金がゼロになるのは怖いので断りましたが、内心ハラハラしてしまいました。
納車の日、夫は心底嬉しそうで何枚も写真を撮っていました。携帯の待ち受けも愛車の画像になり、夫はずっと上機嫌でした。このまま機嫌よく暮らしてくれるのなら、無理して買った400万円の新車も間違いではなかったかもしれない、と思いました。
家を買った時に私に言い放った「保育園の送り迎えは絶対にしないから」という言葉を忘れたのか、ごくたまに、お迎えに行ってくれる時が出てきました。疲れて夕飯が作れない時も、快く運転して外食に連れて行ってくれたりしました。
やっと家族らしくなってきた。これで夫の役割もできたし、これからも仲良くできるかもしれん。とホッとしている自分がいました。
車に乗るときのルール1 小さな異変
我が家は車のドアの開閉にルールがありました。バタン、と音がしてはいけないのです。初日は、コツがわからず、開閉の際に力を入れすぎて、夫に怒られました。ドアの開閉にコツがあるのは初めて知りましたし、今までの人生でドアの開閉が下手だと怒られたことは一度もありませんでした。
モラ夫「なんでそんなに強く閉めるん」
私「え?どういうこと?このくらい?」
ドアをもう一度開閉しました。
モラ夫「違う。何でわからへんの。」まったくわかりません。
私「じゃ、こう?」
もう一度やり直しましたが、今度は力が弱すぎて閉まりません。
モラ夫「何でわからんの、ちゃんとやりーや!」
私「ちゃんとやってるよ!わからないよ!見本見せてよどういう閉め方ならいいの」
モラ夫「はぁー」と元夫はため息をつきました。心底呆れたというような顔をしました。「・・・普通はできるのに何でドアの開け閉めもちゃんとできひんの?」と嫌そうな顔をしました。私は心臓がドキっとします。また機嫌を損ねてしまった・・・と。
しかし夫の説明では全く理解できなかったので、見本を見せてもらい練習することになりました。ショッピングセンターの駐車場で。合格がでるまで何度も。異常だと思いました。
モラ夫「オッケー!今の感じ」やっと言われた通りにでき、機嫌は直ったようでした。
私「…わかった。覚えとく」
ばかばかしい。まったく楽しくない。今日のことは、私がトロくて理解能力がないことの証拠として夫の頭に記憶されるのは目に見えていました。そのうち夫の気に入らないことが起こったときに、絶対に今日のことを引き合いに出すでしょう。トロイから注意してあげているのだ、理解が足りないからこっちも大変なのだ、と。
これは本当に恐ろしい洗脳で、この2年後、本当に私は病む事になります。
劣等感、無力感、無価値観、自殺願望。私は人と違ってトロイ。勉強はできるけれど、常識がない、世の中を知らない、人と違う、ちょっと考え方がおかしい、神経質、一回で理解できない、私がいいと思うことは歪んでいるかもしれない、私の考えは独特で間違っている、自信がない時は夫に聞こう。
夫は勉強ができないけれど常識がある、夫は物事の飲み込みがよい、正しいことを言っている、私の間違いを夫は正してくれる、と。
ルールその2
目視確認はダメ、すべて口頭で報告し、ドアの開閉の許可を得ること。
ある日、夫の車で駅まで送ってもらうことがありました。
助手席の窓から外を見て、近くにポールがないことを目視で確認してからいつものように慎重にドアを開けました。力加減はまだ慣れませんが、気を付けて、慎重に開けました。
モラ夫「おい!!!なんで開けるんや!」
私「え?ご、ごめん」
夫は激怒していました。ものすごく私を睨んでいます。怖くて体が硬直しました。
モラ夫「ポールがあったらどうするん!ドアに傷がつくやろ!!」 ああ、そういうことか。それなら、事前にちゃんと確認したので何の問題もありません。私は自信たっぷりに言いました。車内で怒鳴ることが暴力であり、おかしいことに、もうこの時は気づくことすらできませんでした。
私「ああ、それならちゃんと確認してから開けたよ、心配せんでいいよ」
モラ夫「嘘つけ!確認するために見たなら、顔の角度が全く変わってなかった!俺に文句言われるから嘘ついてるだけやんか」
私「そんなにのぞき込まなくても、わかるよ。それにいつもの道路やん」
モラ夫「…!!!」
夫は私をものすごく睨んでいました。あの顔は忘れないかもしれません。ポールを気にして、目視したのは本当です。それに夫の不機嫌と文句を最も恐れているので、車への乗り降り、ドアの開閉の力加減まで絶対に失敗できないことは誰よりもわかっています。なのに今日は夫に誤解をさせ、気分を害してしまいました。せっかく平穏に過ごすために今までの努力してきたのに、それが一瞬で無駄になったことにがっかりしました。誤解させてしまった自分の不注意を責めました。また何日も無視される日が始まる危険性がいつだってあるのです。そんなの耐えられません。
モラ夫「次やったら、もう知らんからな!」
夫は私の言い分は一切信じずに、決めつけて暴言を吐きました。
次もなにも、ちゃんと確認もして、ドアの開閉の力加減も練習して、言われるとおりにしていたのです。それでも信じてもらえないし怒られるなら、どうすればいいかもうわかりません。
私「・・・わかった。ごめん」こうやって謝るのは何度目でしょうか。しかし終わらせるためにはこの言葉しか効かないのです。話し合いも、理解してもらうことも、誤解を謝ってもらうことも、私は一生望んではいけないのです。
ルールその3 死を覚悟して車に乗る
チャイルドシートをはずしてでも子どもをおとなしくさせる
夫は子どもが騒いだら運転が荒くなります。「うるさい!」と怒鳴り、車間距離がギリギリなのにスピードを上げて車線変更を繰り返すのです。だから私は子どもが騒がないように神経を使います。
この危険な運転の仕方は、モラハラによくあることだと、後で知りました。
私「パパを怒らせたらダメよ、車の中ではおとなしくしなさい。運転は集中せないかんのよ」
私は車内でいつもハラハラしていました。そして車内で会話が盛り上がらないように、助手席では一言も話さずおとなしく乗ることにしていました。子どもを楽しい気分にさせたら、すぐ騒ぐからです。
車間距離を詰めすぎると、ピピピピとブザーが鳴る車ですが、夫の運転はいつもその音が鳴りっぱなしでした。優しく忠告しても治らないので、夫の運転する車にはできるだけ乗りたくない、が本音でした。それに全く楽しくありません。
そして2年経つ頃には、「車に乗るときは死んでも仕方ない」と覚悟をし、事故にあった時のシミュレーションを頭の中でしてから乗るようになっていました。都会の真ん中で車線変更を繰り返し、他の車をどんどん抜かしていき、後部座席に子どもが乗っていようが関係ありません。この人に何を言ってももう無駄だ。そうだ、死にたくない、と思うから怖いのだ。どうせなら死んでしまった方がちょうどいいと思ってみよう。運転席と助手席が即死でも、子どもたちは助かる可能性がある。どうせ死にたかったしちょうどいい。死因も夫のせいにできる。毎日気を使って楽しくないし、どうせなら即死した方がマシ。例え死んだとしてもそれも運命だ。と。