愛情は義務じゃない【ボーはおそれている感想(ネタバレ注意)】
私の家族のこと
弱冠38歳にして映画ファンから新進気鋭の監督として注目されているアリ・アスターの長編第三作目。三作目でこれを撮るって本当に鬼才だな?!
「ヘレディタリー/継承」や「ミッドサマー」でも印象的に描かれてきた家族の恐ろしさ、その中でも特に母親について突き詰められた今作。個人的にぶっ刺さる作品だった。
なんでかというと、我が家でも母が強いことが当たり前で、それが私の脳内に刷り込まれているから。家庭内で母親が常に強い立場にいて、父親の存在感がなくても全く違和感を抱かない。
私の母親はとても自立していて、本当にアクティブで、キャリアウーマンで、なんでも自分の思い通りになると思っている頭の硬い人。
一方父は躁うつ病で、大人しくて、育児にもほとんど興味がなく、ずっと勉強ばかりしている人だ。母が父に怒っている声が今でも耳の奥にこびり付いている。
ここまで生きてこられたのは母がいたから、それはよく理解している。けれど心の中の幼い私は今も母の愛に飢えていて、それでもあんなふうにはなりたくないと必死に抵抗している。
ボーの望郷
産まれた頃からそんな風に生きてきたので、ボーの気持ちに凄く共感してしまう。最初のカウンセリングのシーンから、沈黙が苦しくて息が詰まる錯覚に陥った。
ボーが住んでいる街、幻覚を込みにしても治安が悪すぎる……。ありとあらゆることが最悪すぎて不安症の人が住むべき街じゃないよ!
アリアスター監督は一体どんな視点で世界を見てるんだろうか。被害妄想と母親からの無意識の逃避で、ボーは心だけまるで幼少期に戻っているようにも思える。
ボーの幻想的な旅の中には、象徴的でシンボル的な強い男性キャラクターが沢山出てくるけど、実際に強かなのは常に女性。途中で出てくる一家の女性陣にも底が見えない恐ろしさがある。この一家はある意味ボーの考える理想の父母関係だったりするんだろうか。
信頼していた一家に裏切られて、不安と孤独の中ボーが迷い込むのは母親の胎内のような森の中。ボーは常に女性に導かれて操られて生きてきたから、基本的には男は気味の悪いものとして描かれるんだろうな。ボー以外の男性は野性的で暴力的か、社会的地位が高くて懐の広いみたいないかにもな男性性イメージで描写されてる。
自由で何にも縛られなさそうな劇団員たちは命を宿したばかりの純粋な赤子のよう。舞台上と観客の境をぼやかす(所謂第四の壁を破る)なんて、ボーは余計に混乱しちゃうよ!と心配になる。
そしてその心配は的中する。いよいよ写実的な幻想すら壊れてアニメーションの世界へと。(ここのアニメーションパートを手がけているのはあの「オオカミの家」のクリストバル・レオンとホアキン・コシーニャ!)
温かみや懐かしさとともに寂しさのある独特な色彩センスが本当に美しい。ボーの寂寞とした心象風景を迫力ある動きや光の表現で彩っている。
ボーの望郷には常に母親の記憶が付き纏うのかと思うとうんざりした気分になる。母親の胎内のような場所で父親らしき人物が出てくるところも切なくて言葉を失う。
母親に立ち向かう
森から出て、ヒッチハイクを経てついに実家へと辿り着いたボー。元々好い仲だったエレインと再会してベッドイン、呪縛からようやく逃れられたと思いきや……エレインの方が死ぬんかーい!
そして明かされる真実が衝撃。母親は生きていた。というかこういうことって初めてじゃないんだ……仕組んでボーを家に来させる為に……怖すぎる……。だからボーも本当は知ってたんだ。この母親のやることは知り尽くしてるんだ。ボーの望郷はどうやってもこの母親のところに辿り着くんだ……。
思い通りにならないと全部相手のせいにして、正しいことを言ってもハナから嘘と決め付ける。そんな風に育ったからボーも何が正しいか自分で判断出来なくなる。負の連鎖だよ……。
一瞬B級テイストになるのは凄く面白かったけど、父親は屋根裏に監禁されてるの?って思うと途端に悲しくなるな。ここでついにボーは母親に立ち向かう。普通は首を絞めるなんてダメなことだけど、これは応援しちゃうね。
(残念ながら)母親は死に至らなかったっぽいけど、ボーは完全に燃え尽きる。そして海へと漕ぎ出していく。
海へ出るの、産まれ直したいのかなと思った。でも母なる海なんだきっと。自分の中の母親を倒しても結局母という巨大な概念からは逃げられないのか。
ボーの脳内で開かれる最後の審判、正しさを主張しても結局誰も取り合ってくれない。理解してくれる人が居ないのは本当に辛い。
ボーの中の生きたいって意思と死にたいって意思がせめぎ合った結果、生死不明のようなラストになったのだろうか。
ちょっと考察
ボーの母親は代理ミュンヒハウゼン症候群的なところがある?
ボーが信頼できない語り手だから、実は全部妄想かもしれないし、全部真実かもしれないってところが怖い。
ボーの母親のイニシャル、MWが作中の色々なところに散りばめられていた気がする。これ、MotherとWomanの頭文字かな?母としての自分と女としての自分を持っているみたいな。
第三者視点で話が進むけど、多分全部ボーの視点。だから余計に混乱するけど、変に共感や感情移入をせずに映画を見て欲しいという監督の意図を感じる。
あの母親にとって夫(ボーにとっての父親)は性欲の化身であって、愛を与えてくれる存在じゃないように見えた。だから切り捨てたのかな。
終わりに
ボーの母親が言っていた「すり減らしながら愛情を与えてた」みたいなセリフが最高に気持ち悪いと思いました。だって愛情は義務なんかじゃないから。あの母親が与えていたのはただの自分の願望や欲望であって、それは己の都合に過ぎない。愛情って本来、与えても与えても無限に湧き出してくるものだ。枯れることなんてない。
アリアスター監督はほんとに気持ち悪い映画撮るなぁ……。でもファーストインプレッションからしっかり噛み締めていくと色んな味がして学びが沢山ある作品だった。嫌な印象だけで終わらせるのは勿体ない一本。読んでくれた方はぜひ貴方の家族のことを考えてみて欲しい。
次回は「オオカミの家」をレビューしたい!今月中に12本は上げられない予感。まあマイペースに楽しんで書きます。