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看護と業務ってなんだ?

「あなたのやってることは看護じゃないよ」

なんてのは看護師やってりゃ誰ぞに一度は、ドヤさドヤさと言われたことはあると思う。

じゃあ、あなたの言うその看護ってのはなんナンダ?というのが私のここ数年の疑問。

私には私が思うところの「看護」ってやつがある。それを議論し、否定までされるような関係をあなたとは築いておりませんよね?と、心の中で毒づいてみる。

口に出すまでもないので、そんなこと言ってやらないぞぉ!(ガクガク)

毎年1年生が入社する度にお題目のように唱えられる一文がある。

「業務より優先して看護を行えるよう指導する」

ナルホド、大切なことだ。当然のことだ。では、その「看護」ってのはどこに(最初に戻る)

看護業界ってのは不思議なところで、「看護」と「業務」という考え方がある。一つの仕事の中で、この二つに分けられているのだ。

レストランで例えるなら、シェフが料理を心を込めて作ってお客様に提供する、これが「看護」で、皿洗いや掃除は業務、って書けば伝わりやすいだろうか。

「シェフは掃除なんてしねーよ」っていう人もいるだろうけど、そこは門外漢のエグザクトリィ。ここは看護レストランです。シェフ(ナース)がポテトの皮むきも、トイレ掃除も、テーブルセッティングも、ワインのテイスティングもするのです。

人にはよっては業務は必要悪という人すらいる。患者さんに直接ケアを提供する看護が善で、記録等の業務は悪と、言い切る人は少ないが、そこはかとなく、なんとなくそういう空気が流れている気がする。

ここからは私の個人的な考え。賛同してくれる人も、違うと違和感を感じる人もいると思う。その意見は全て、医療や看護を彩り、形成するためのファクターだと思うので、是非私の意見も否定せず「そういう考えもあるんだな」くらいに思って流し読んでもらいたい。(無理して最後まで読めとは言ってない)

私たちはプロだ。だからこそ有限の時間の中で、最高のパフォーマンスを提供する必要があると考えている。ただただ「理想の看護」を行いたいのなら、業務が関わってこない看護学生こそが、最高の看護を行える存在だろう。

看護を行うために業務がある。

点滴のミキシングが終わらなきゃ点滴はかけられない、タオルや洗面器を用意しなきゃケアだってできないのだ。その点滴だって、何のために行っているのか分からなければ、今後の方向性だって見通せないし、何より患者さんに説明を求められた時にしどろもどろになるしかないだろう。

さっきのレストランで例えるなら、心を込めて時間無制限でゆっくりと満足いくまで料理を作り、自分が考える最高の笑顔で料理を提供するが厨房は使い終わった鍋が積み上げられた状態、その状態で次の料理を作り始めるレッツゴーとかなんとか言えば、なんとなく雰囲気は伝わるだろうか。

「看護を優先して」なんてのは聞こえはいいけど、実際のところ業務が終わらなきゃ看護なんてのはできないのだ。ということに、何人の新人さんが気づいているだろう。

でも言葉の持つ力は強い。「看護」が何か分からない新人ちゃんに「業務より看護を!」なんて指導したら、「私がやりたかったのはこんなことじゃなかったのに」ループ確定だろう。(だからこそ毎年このループに多くの新人がハマるのだと思う)

私の考えの結論を書こう。

優先するべきは看護でも業務でもなく、それら全てをひっくるめたタイムマネジメントであると。

優先するべきこと、後回しにして良いことの判断の早さ、精度をあげ、観察眼を磨き、ついでに安心感を与えられるような対人スキルも磨く、それこそがプロとして行えることだと思う。

そこには看護も業務も明確に分けられていない。全部が一つの仕事であり、必要なのは何を優先するべきか、どこまで早く正確な手技で行えるか、その中でどれだけ安心感を与えることができるか、のみだ。

看護なんていうのは、長く続けてさえいけばぶっちゃけ誰にでもできるのだ。ただ、目の前に積みあがった段ボールをだらだらと片づけてるような時間の使い方をする人には、それが見えない。

見えないからこそ、自分のレーゾンデートルを確立させるために「あなたのやってるのは看護じゃないよドヤさ」としてみたいのかなと妄想して、そのワードを聞く度にニンマリしている。

最期に「あなたのやってるのは業務だよ、看護じゃないよ」なんて実は非常によく聞く言葉なんだけど、こういうのは言い回し一つだと思ってる。だからこれを言われた新人ちゃんたちは、あまり気に病む必要はない。

「記録も終わってないのに足浴してるの?それで終われるの?」

「記録ばっかしてないで足浴くらいしてあげなよ。ちゃんと観察したの?」

日本語こわい。看護業界こわい。



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