インターネット情報発信における匿名性について思ったこと

一番最初に申し上げておきますが、ここに綴る思いはあくまで私個人の意見であって、こうあるべきだとか、こうなればいいとか私の思った通りの世界になればいいという主旨の文章ではありません。

なので、誰かに否定されるべきものでもなくあくまで「私の意見であり、私はそう考え続ける」という意思表明のようなものだと思ってください。


2020年2月某日、新型コロナウイルスの情報交換において、ある有名医療アカウント同士で炎上がありました。

簡単にまとめれば

・匿名医療アカウントと実名医療アカウントが新型コロナウイルスに関する情報発信を、立ち位置の違いからいわゆるレスバになる

・有名医療アカウント側が匿名医療アカウント側に、医療者として匿名で発信するのは否として個人情報の開示を求める。または、その旨のツイートを引用RTすることでフォロワーへ意見の拡散を求める

・匿名医療アカウント側が個人名を記載し謝罪する

超ざっくりしていますが、雑にまとめるとこんな感じになります。

お互いの主張内容についてはここでは触れません。まがりなりにもネットの隅っこから情報を発信している側から感じたのは、「インターネットにおける情報発信の匿名性について」でした。

私自身、匿名で情報を発信している人間です。現在では医療書も含めて書籍も出している立場なので、この問題は直視するべきであると感じました。


インターネット黎明期からインターネットに触れていた私にとって、インターネットは、楽しいゲームや漫画からアンダーグラウンドなブログまで、様々な情報を匿名で共有し楽しむ「秘密の遊び場」でありました。

自称社長、自称プロ。自称女子高生、自称おっさん、自称女性。

そこで交わされる情報は玉石混合であり、自分で情報を取得しスクリーニングを行い、自分なりに解釈した上で理解をするという作業が必要でした。

そんな「秘密の遊び場」はSNSの普及で突然生活の根本に浸透し、(私の感覚では突然でした)いわゆる公式アカウントも登場するほどの「大人の社交場」と化し、すっかり様変わりします。

ネット上での情報の受け取り方も様々。

テレビに出ているような有名人は実名でSNSを行い、そこには数十万という巨大な数字のフォロワーがつき、更に拡散されます。

拡散された情報の中にはいわゆる炎上案件もあり、そういった中でよく目にするのが「〇〇さんのようなアカウントが言ってることを多くの人が信じたらどう責任を取るんですか」という一文です。

そう。言いっぱなしは大変まずい。多くの人が目にするような拡散力を持っていればなおさらです。私が一番恐ろしいと思うのは、拡散力のあるアカウントが万一間違った情報を発信した際、それが常識として徐々に浸透してしまうことです。

ですが、私個人としては「受け取る側にも情報精度を確認する責任がある」ということを感じています。

「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」

実名、匿名関わらず誰かが発信した情報のソースを確認もせず、鵜呑みにしてしまうのは、受動的に情報を受け取る新聞やテレビと違い、能動的に情報を取りにいくネットでは、結構致命的であるとも思っています。

「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」の名言通りです。ちなみにこれ2000年の発言だそうです。彼自身の人間性に言及はしませんが、先見の明があったことは確固たる事実だと今でも感じます。

上記に書いた通り、インターネットは基本的に高い匿名性を保ったまま生活に根付いてきました。

ですがここ数年で一気にその根を張ったことで、匿名性の意味を理解しないまま使いこなしてしまっている人が増えたことも事実だと思います。

ネットにおいては、誰しもが匿名のゼロスタート。実名公表はゼロスタートに1あるいは100の拡散力をプラスするための加速剤でしかないと思っています。

有名でも無名でも、実名を公表することで少なからず「私を知っている人」への拡散力は増します。

それを選択するかしないかは利用者がどのようにネットを使っていきたいかによるものだと思うのです。

職業記載も同じこと。「アカウント名@職業名」は良く見ますが、それを信じるか信じないかも、受け取り手が信じるか信じないかだけに頼るものだと思っています。

そういった状況の中で「実名発信の情報でないと信じられない。実名を公表しろ」といった発言は、個人的には不毛でしかないと感じるわけです。

そしてネット上では誰もが「匿名発信は卑怯だ」という誹りも受ける必要がないと考えています。

では、匿名の上で信頼できるアカウントはどう見極めるのかということですが、実際あるデータや文献を参照し、その方なりの考えを同時に発信しているアカウントはやはり信頼性が高いと思います。

ですが、そのデータだって誰かが作ったデータ。自分に都合良く解釈し、自分に都合良く発信することもやろうと思えば実に簡単なことなのです。

やっぱり人間、自分の信じるものを信じることしかできないのですから。

だから、誰かが何かを言っている。極端に言ってそれくらいじゃないとネットで生きていくのはつらかろう・・・と思います。


せめて願うのはインターネットがいつまでも、「楽しくて便利な遊び場」であることが変わりませんよう・・・一匿名発信者の願いでありました。



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