「100日後に死ぬワニ」について個人的に思ったこと

2020年3月20日、Twitterで一匹のワニが死んだ。

私はリアルタイムでワニの行く末を見守ってはいなかったし、正直興味もなかったから、TwitterでRTされたものがTLに流れてきた時に見かける程度だった。

ただ今になって思えば、「100日目に死ぬワニ」は「100日経過したら死ぬことが運命づけられているワニの日常を見守るリアルタイムコンテンツ」であったので、多分毎日見守るのが「ワニコンテンツ」を楽しむ唯一の方法だったのだ。

「100日目に死ぬワニ」は、タイトルの勝利だと思う。

このタイトルを見た人は確実に「このワニは100日たったら死んでしまう」という結論を先に見せつけられた上で、その日一日を生きるワニの様子を見守っていくことを与儀なくされる。

それは「ワニくん、死なないで!」かもしれないし「こんな風に普通に生きているのにあと〇日で死んじゃうんだ・・・」かもしれないし「どんな風に死ぬんだろう」かもしれない。

それでも、ワニコンテンツを見ていた多くの人々は「決定されたワニの死」を待ち望んでいたことは事実だと思った。私はそれがちょっと嫌だった。

書籍化しても映画化しても、それが炎上しても悪くは思わないし、クリエイターが努力に対しての金銭を得てもそれは当然だと思う。

本来リアルタイムであるコンテンツを、終わったと同時にマネタイズして提供っていうのは、見ている側からしたら感動や、毎日追い続けた情動を利用されたような気がしてしまうのも当然かなと思った。

今回はタイトルの勝利だったのだ。それだけ。

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