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【SF小説】ぷるぷるパンク - 第1話❸ 羽田空港襲撃事件


5,011文字10分

●2036 /06 /05 /22:31 /大船

「はあ。」
 どこかから漂って来る靴下みたいな豚骨ラーメンの匂いに鼻を塞ぎ、どんよりと薄暗い雑居ビルの狭くて急な階段を降りると外はもう夜。

 大船は、夜になって、さらに下品な雰囲気を纏い始める。
 姉ちゃんみたいな女にお金を落とす物好きの年寄りたちが、目の色を変えている。タチの悪いことに、客引きだってみんな年寄りなのだ。

 昔は大船に、若い人や家族連れなんかもいたらしい。ほぼ廃墟と化しているルミネなんかはその名残りなのだろう。
 去年までは本物の廃墟だった東海道線沿いの巨大ハイテク研究棟に、新しい製薬会社かなんかが入ったらしく、研究者みたいな国際色豊かな人たちが多くなったと言えばそれはそう。観光やア軍の外国人客もいると言えばそれもそう。
 だけど、結局ここは日本人高齢者が溢れる街で、ぼくなんかは歩いているだけでありがたがられてしまう。
『あら、荒鹿くん、元気ねぇ、若い人がいるといいねぇ』みたいな感じで。
 姉ちゃんは今頃入れ食い状態で、年寄りたちから金を巻き上げていることだろう。
 そんなどうしようもない事を考えて、まあまあ現実寄りの現実逃避をしてみたのは、結局カジノでスってしまったからだった。

「はあ。」
 最近できた観光客向けのカジノ店だ。ルーレットで200ドルになった時にやめるべきだった。いや、でもね、ぼく、いけそうな気がしたんだよ。
 まあ、元々なかったお金だ。実際はプラマイゼロのはずなのに、210ドル分損した気分になる。

 さて・・・。どうしたものか。
 これから家に真っ直ぐ帰ってアニメなんかを見る気分でもないし、遠回りでもしながら、徐々に家に近づこうか。でも、おっさんがまだ家にいたら嫌だなとも思う。
 
 姉ちゃんはまだバイト中かな。

 カジノでずっと垂れ流されていた災チャは、ずっと空港のテロの件だったから、家に帰ってもきっと同じだ。
 そして、ほとんどの話題はサマージの件に移ろっていた。報道は、すでに集団ヒステリー然としていて、先生公認のクラスのいじめみたいになっているから、聞いているだけでもうんざりする。無駄にどっと疲れてしまう。
 ぼくはTシャツの裾でレンズを拭って眼鏡の掛け直す。
「はあ。」ため息が湿った大船の夜の空気に混じって消える。
 煙草とアンモニアと胃液の匂いが染み付いた商店街を抜け、駅の改札の前を通って住宅街側に出る。

 ライトアップされた観音様越しに地球環が天の川みたいに輝いている。ぼくらの観音様に、後光が差しているようで神々しい。彼女が今日も、こんな大船を見守っている。
 ああ、ありがたいことですな、なんて考えながら歩道橋を歩いていると、視界の左端に一瞬、白い閃光のようなものが走った。

 歩道橋の上で光が見えた方向に駆け寄ると、既に光は消えていた。

 急ブレーキがタイヤを焦がす物凄い音がして、猛スピードで走っていた一台の車が川沿いのガードレールにぶつかった。ガラスやなんかを大破させながら、結局その車はガードレールを突き破って川に落ちた。

 川の底の方で2度目の白い閃光が走り、水が10メートルくらい噴水のように吹き上がった。

 一瞬すぎて何があったのか分からなかった。ぼくの体は好奇心と緊張で硬直していた。

 噴き上げられた水の塊が、ゲリラ豪雨のように地面を叩く大きな音が響くと、すぐに空気を裂くサイレンの音が聞こえ、パトカーがタイヤ跡を残しながら破れたガードレールの手前に急停止、二人の警官が降りてきた。
 一人は肩口の無線に何かを伝え、もう一人は柵越しに川を覗いた後、集まり始めた数人の野次馬を追い払おうとしている。続いて2台のパトカーが到着し、一人の警官が黄色い規制テープを貼り始めた。

 3度目の閃光はガードレールの近くにいた警官の何人かを巻き込んで光った。よく見ていると、どうやら爆発とは違うようで、閃光そのものに音は無かったが、川べりのコンクリート壁が破裂する派手な音が辺りに響いた。
 その光は一瞬で消え、巻き込まれた警官たちの姿は見えなくなってしまった。
 暗いし遠いし、ここからはよく見えないが、あのコンクリートのように警官たちも破裂したのだろうか。

 ぼくはようやく動くようになった足を引き擦り、閃光が見えた川べりとは反対方向に走り出した。正直に言うならば逃げ出した、とも言える。

 歩道橋を転げるように駆け降り、閃光から離れるように夢中で路地を走り抜ける。

 ぼくは咄嗟に路地脇の茂みに飛び込んだ。木々が生い茂げる緑の奥に隠れされた観音様の参道への秘密の入り口だ。そして地面を蹴り上げながら細い坂道を駆け上がり、その勢いのまま山門をくぐり抜けた。拝殿前の砂利に足を取られて横滑りをしながら、観音様の石段のその麓の東屋に身を隠す。

 無表情すぎる巨大な白い観音像が、ぼくの中の不安と安堵をぐちゃぐちゃに溶かして混ぜる。
 川沿いの大通りでは、鳴り続けるサイレンの数が増えている。おそらく警察や消防の車両が応援に駆けつけているのだろう。
 姉ちゃんの言う通り、暗くなる前に帰ればよかった。閃光に巻き込まれたら、もう姉ちゃんに会うこともできないだろう。
 ちゃんと学校に行って姉ちゃんを安心させていればよかった。おっさんと仲良くしてやればよかった。200ドル勝ったところでやめておけばよかった。後悔ばかりが頭をよぎる。
 子どもの頃だけど、友達の金魚にあんな名前をつけなければよかった。そのせいで金魚は死んでしまった。いや、そのせいでってこともないだろうけど。

 あ。
 そんなことより、姉ちゃんだって危ないかも知れない。もし、川の向こう側にこの閃光が移動したら、姉ちゃんだって危ない。姉ちゃん!

 立ち上がったその瞬間、四つ目の、そして最後の閃光が走る。

 ぼくは、その場に立ち尽くす。なんていうか、金縛りにあったみたいに動くことができなかった。息が止まるとか、凍りつくとか、そういった類の静止ではなく、体が硬直してしまっている。
 
 その閃光はさっきまで見ていたそれとは違って、一瞬で消えずに、石段の麓、ちょうど観音様の目線の先あたりに留まっていた。
 音も爆発もないどころか、体温に近いような熱が、白くて柔らかい光になってあたりに漂っている。閃光から生まれたその光は、石段のふもとにゆらゆらと揺れている。体は全く動かないのに、見つめているとなんていうかやさしい気分になれる気がする。

 遠くに聞こえるサイレンも、金魚も、姉の彼氏も、何もかも、どうでもいいことのように感じた。後悔やなんかのそういう類の感情が、さらさらと流れ去っていくような、不安や恐怖も流れ去っていくような。
 ぼくは暖かい光に照らされて、その光から目を離せない。

 不意に、宙に浮かぶ光の中から、ふわりと、金木犀きんもくせいのような微かに甘ったるい匂いがして、そして、ふわりと女の子が現れた。

 ふわり。

 その女の子は、まるで何年かぶりに暗い洞窟から出てきたとか、そんな顔で光を遮るように目を細め、ふわりと軽やかな一歩を踏み出してから、すっと立ち止まった。ぼくは、ただ彼女を見上げていることしかできなかった。
 黒くて細い髪の束が、揺れる空気にふわりと浮かんでさらさらと落ちたり、セーラー服のスカートの裾がぱたぱたと揺れたりする様子は、なんていうか、宗教画みたいに美しい。

 ああ、観音様。

 ぼくは悟った。ああ、これがあれか。死後の世界的なやつだ。女の子が出てきたこの光が輪廻の入り口なのだろうか。これって、なんて幸せな感じなのだろうか。死んでよかったかも知れない。

 いつからか、ずっと時間が進んでいないような、不思議な感覚を覚えていた。なんていうか、逆に、時間よ、止まれ。
 ずっとこのままでいたい。
 そんな妙で暖かい感覚の中で、ぼくは女の子を見上げていた。

 女の子は大きな黒い瞳をきょろきょろさせて、不思議そうに辺りを見回している。無理も無い。あなたがもし観音様では無いのだとしたら、ぼくらは今日、死んだのだ。

 しばらく辺りを見回していた彼女の瞳が、僕の両目を捉えて動きを止めた。優しさの中に隠された息が詰まるような力強さが、ぼくの心臓を止めた。

 女の子は、ゆっくりとはにかむような微笑みをぼくに向けた後、ふわりと悲しそうにして眉間に皺を寄せた。それから、喉のそこまででかかっている言葉を搾り出すようにして、その繊細に膨らんだ上下の唇を開いた。
「くず・・・」

 刹那、光が瞬くように揺らいだ。

 すぐに、小さな拳ほどの闇の塊が女の子の胸の前辺りに現れた。それは、まるでブラックホールのように光を吸い込みながら膨れ上がり、光をあらかた飲み込んでしまうと女の子もろとも消えてしまった。

 闇の塊は全てを吸い込んでしまうと急激に収縮して、ぷるんと跳ねるようにして地面に落ちた。
 すぐにけたたましいサイレンの音が耳に飛び込み、脳をぐらぐらと揺らした。固まっていた全身の力がすっと抜けて、ぼくは尻餅をついてしまった。

●2036 /06 /05 /23:05 /大船

「・・・くずってなんだよ。」

 足元の砂利を蹴ると、転がった小石は、ぷるんとした闇の塊にぶつかって消えた。光を吸い込んで落ちたあの闇だ。

「え? 消えた?」

 目を凝らしてその闇の塊をよく見ると、ぬるぬるとした黒いそれは、釣りの擬似餌みたいな蛸状の何かだった。
 拳ほどの大きさのそれは、本当の蛸みたいに足が何本もあって、ぬらぬらと黒く光っていて、そしてやっぱりぬるぬるとしている。
 拾い上げて握ってみると、思ったよりも柔らかくて、人肌みたいに暖かい。引っ張ったり突ついたりしてみても傷つかないし、力を入れても千切れない。そして、やっぱり暖かい。

 試しに力を入れて思いっきりその蛸を握ってみた。指の間からぶにょんとはみ出しながら、その温度が急激に上がったので、ぼくは思わず手を開いてしまった。黒い蛸みたいな闇の塊が、ちょうどぼくの手のひらの表面で、手相に沿って沈み込んでいくように溶けて行くところだった。

 蛸がぼくの手のひらの中に消えてしまうと、その代わりにいくつもの砂粒のような白い光がぱらぱらと手のひらの上に現れては浮かんだ。さっきの閃光と似た光だ。
 光の粒々は、ゆっくりと回転しながら手のひらの中心あたりに集まりだして、じわじわと増えて広がり、瞬く間に小さな銀河のような光の塊になった。
 そしてその銀河は破裂するように音もなく弾けると、ぼくの体の表面を這うようにしてあっというまに全身に広がった。ぼくは息を飲む間に白くて暖かい光で覆われていた。

 全身が光で覆われてしまうと、うなじのあたりに電流が流れるようなびりっとした刺激を感じた。
 それと同時に背骨の一対一対から白く光る金属のようなプレートがシャキンシャキンと連続して現れて、骨格や筋肉に沿って背中側から腹側に向けて回り込むように体を覆い始めた。
 つま先から指先まで、顔を残して首から下が全てそれに覆われてしまうと、最後にうなじから顎にかけて回り込んだカーブ状のプレートから、頭部を覆うヘルメットが現れ、フェイスマスクが後頭部から顔の正面に向けてカシャンと下がってきた。少しぼんやりだけど、どうにか外側を見ることもできた。

 思うんだけど。

 やっぱりぼくは死んだのだ。これは、あれだ。棺桶的なやつだ。
 最後に姉ちゃんに会って安心させてやりたかった。ぼくは目を瞑って深呼吸をした。体を包む白い棺桶が暖かい。
 いや、人間って死んでも深呼吸とかする? 

 あれ? これは何? 変身? まさかの変身?

 ぼくは無我夢中で走り出した。身体を纏うプレート群の金属的な重厚な見た目とは裏腹に、身体が異常に軽い。ぼくはスピードを出しすぎて止まれずに、駐車場に止めてあった高級車に突っ込んでしまった。
「うへっ。痛ってええええ」衝撃が脳に響く。
 顔を上げると、その車のガラスは全て割れていて、左側がべっこりと潰れて無くなっていた。車の惨状に比べると、ぼくが受けた衝撃は軽いように思えた。

 これは・・・。
 おれは・・・。

「そう、おれはクズだ。クズの九頭竜くずりゅう荒鹿あらしかだ!」
 見てやがれ。認めやがれ。
 ぼくは白く光るプレート群で構成されるアーマーを纏った「何か」に変身した!

 つづく


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