見出し画像

[2021-14] ポストトゥルース

読了。すらすら読める。ポストトゥルース(トランプ)問題とその手法についての本。認知科学(認知バイアス)の利用、ポストモダニズム的手法とその権威性を利用した解釈の拡張正当性。

読んで思いついたのは、塩野七生が引用するところの”人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない”という紀元前に言われていることを現代的な人心操作的アプローチをとると”ポストトゥルース”って話じゃないかと思われた。

紀元前に比べると現代は、この問題を様々な角度で人間の理解・思いに関する脆弱性について指摘ができるのだけれども、その指摘自体が、”みたいと欲する現実しかみていない”状態の情動環境では、無意味化する。さらに言えば、バックファイヤーする。そーゆー意味で手がつけにくい課題感が根底にあるなぁと。

これは、誰かに気がついてもらうのは難しい話であり、自分も気がついているようで、気がついて修正できているようで、逃れられないのではないかというふうに思う。けれども、そのある事柄について気がついて、一旦の脱構築からさらなる脱構築の繰り返しの中で、「もうええかぁ~」と思えた時点に到着するときには、その前とは何かが違っていても良い気がする。

自然科学も信仰的だとすると、そこにはパターンを見出し、実証(エビデンス)を重ねるというアプローチにあるとは思う。というか、そのアプローチに安定感を感じる人達の逆流が、ポストトゥルースであるようにも思うので、自然科学は、それが科学的真実の実証に一ミリの役に立たないことであっても、それを知らしめ、進めるための認知科学的、現代思想的連携が必要になっているのではないかと感じた。※それはマッドサイエンティストだよねっていう気もするけれど・・・

いいなと思ったら応援しよう!