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初心者向け軍事:戦争への正義

この記事は以前製作した動画をテキストにかき出したものです
動画を視聴済みの皆さんはスルーしてどうぞ

さて、今回は正しい戦争の話をしましょう
基本的には大抵の戦争は何かしら正しいと思って始められるわけだけども
じゃあ、正しい戦争があるなら間違ってる戦争があるのかな?

そもそも、なぜ基本的に戦争が間違っていると言われるのか?
それは、一つには戦争というものが残酷だからですよね

しかしながら
たとえば政府も何もない北斗の拳の世界で殺人は法律的には違法じゃない
(法律が存在しないので法に反するということもできない)
所謂ホッブズが言うところの自然状態(万人の万人との闘争)
皆が自分の利益のために好き勝手に他人を傷つけることができる状態ですね

もちろん現代では人々はその地域の政府の法秩序にしたがってます
だけど国と国との間において、世界政府は完全な形では存在してない
それなのに、なぜ国と国の間でも戦争に正しいか正しくないとか言えるのか
今回は歴史を軽く触る程度のお話をしたいと思います

太古の昔から戦争は行われてきました
で、昔から戦争は命のやり取りをする残酷な行いだったわけで
だから戦争は少ないに越したことはないという素朴な感覚もありました

しかし、それが素朴な感覚を超えて存在しうるのは時間がかかります
現在の国際法の理論に直接つながる理屈は中世ヨーロッパで生まれました
つまり戦争をするには戦争への正義(jus ad bellum)が必要
そして戦争のなるべく残酷でないやり方としての戦争における正義(jus in bello)も考える必要がある


戦争そのものをしていい、いけない。
戦争でこういうことをしていい/いけないみたいな話
正しい戦争が正しく行われない
正義の残虐な戦争みたいなことも考えられるわけね

そして前者が満たされるための第一条件には正当な理由(justa causa)が必要
当たり前に聞こえるって?
でも、戦争の正当な理由なんて何とでも言えちゃうとは思いませんか?


突然に宗教の話をします
中世半ばから末期の西ヨーロッパで法律的な秩序ってのはカソリックがかなり大きな部分担ってました
この正しい戦争というのもカソリックの影響が強かった


そもそもなんでカソリックが西ヨーロッパで強力だったかといえば
古代ローマにおいてローマ人が団結するための根拠としての市民権というもへの信頼が失われてしまった影響があります
だから、ローマの人もゲルマン人もギリシア人にも広く広がったキリスト教というものが市民権に代わる結束の源と期待されたわけ
ヨーロッパの人々にとっての普遍的な価値観としてのキリスト教ですね
このローマ・カトリックの価値観を共有する地域をキリスト教世界(christendom)というわけだけれども


あの十字軍をイスラム世界へ派遣して暴れまわったことだって
普遍的権威としての教皇が主導してる
しかも聖なる戦いは当然に正しい戦争・・・という話になってくる
(正統な政治的権威(教皇)による戦闘な目的(聖地奪還)な戦争)

戦争をする主体としての国家を超える権威があるからこそ
この戦争は悪い戦争、この戦争は良い戦争だといいやすいわけ
だけど中世が終わって近世が進むにつれて
カトリックはそういう役目から降ろされちゃった

それぞれの国家がそれぞれにとって最大の権威かつ最大の権力
国家以上の何かというものが存在しない秩序
いわゆる主権国家体制というものが近世には確立したんだけれども
それぞれが最大の権威だから、それぞれが勝手に自分が正しいと主張できる
ある意味で国家間の無政府状態になったしまったわけ
(いつの時代も大なり小なりそうなんですが)

だから正しい戦争だ間違った戦争だということを考えるために
神に代わる国家間の秩序みたいなものが必要になってくる

そこで、グロティウスが自然法を基にした国際法というものを主張しました
自然法ってのは万人に元から存在する普遍的なルール
国とか権力者が法律を作らなくたって、人間はそういうルールを無政府状態だったしても持ってる(という風に考える)
自然法が本当に存在するかどうかは置いておいて
そう考えることで神なしでも国家間の法が存在する基盤を作ったのね
その無政府状態であっても存在する自然法を基にね
国家間の無政府状態であっても国際法みたいなものを作っていけますよと
これが今の国々が使ってる国際法の原型となっているわけ
だからグロティウスが近代国際法の始祖と言われるわけだ

どういう戦争が正しいのかのjus ad bellum
せめて戦争がなるべく悲惨にならないようにしようとjus in bello
さっき言った両者を実現するために国際法の整備が少しづつ進んでいく

とスムーズにいけばよかったんだけれども、ただやっぱり問題もあった
現実問題としてやっぱり主権国家以上の力みたいなものはない
それぞれがそれぞれ自分の戦争を法的にも正しいと主張できてしまった
だってどんな主張をしたって
それを認める認めないとか決める誰かがいないわけですからね

すると、それはもう戦争をするのは国家にとっての権利みたいなもの
こういうすべての戦争は合法みたいな考え方を無差別戦争観っていうらしい
戦争は残酷だけど国家は時に自己判断で戦争をすることが当然できる
こういった考え方が19世紀には流行った

国際法の整備が全然進まなかったかというとそうではなくて
1868年のサンクトペテルブルク宣言などから始まる
今日で言う国際人道法が生まれました
ハーグ陸戦協定とかジュネーヴ条約が有名なあれですね
基本的には戦う意思のある兵士だけが直接戦争をする
それ以外は狙わない的なやつです
(降伏した兵士はもはや戦う意志がないのだから直接戦闘はしない)

ルルーシュの言う撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけだというのは国際法的にはある意味正しい
(民間人を狙う爆撃とか行われたりしたわけですがそれはそれとして)

まずjus in belloのほうの整備が先に進んでいきました
jus ad bellumの整備への流れも20世紀にはいるころには出る
あんまなんでも戦争に訴えたらいけないみたいな話ですね
(債務回収のための兵力使用を禁止するポーター条約(1907年)など)

国際法が整備される流れの中で
第一次世界大戦という一大イベントで人類はすごいショックを受ける
この4年あまりの戦いで協商国と同盟国は総人口の1.75%を死に至らしめた
人々は、自らの行為に恐怖した

すべての戦争を終わらせる戦争とかいうあだなつきましたからね一次大戦
あまりのショックで戦争は絶対よくないという方向に急速に進みました
そして世界の平和をみんなで維持しようっていう国際連盟が誕生します
その戦争は間違っていると言える主体が再び出現した
1928年のパリ不戦条約においてあらゆる戦争を違法としたのです

これで世界は平和になるやろなぁと楽観視する人々もいました
だけどこの時点での違法化には大きな穴があって
たとえば「これは戦争じゃない!事変だ!」とか言い出した国がありました
なるほど、事変だから戦争じゃないので違法ではない。なるほどな?

そしてもうひとつ、あらゆる戦争行為が違法です
なので、ひどいことする国への武力介入も違法
そうです武力的な強制力がない状態になってしまった
1国内で喩えると法律はある、それはおかしいといえる、けど逮捕とかできないみたいな状態
もっというとアメリカという最強勢力がいないので実行力にも疑問符が付く
そんな状態なわけだから満州事変で有名なリットン報告書は日本の侵略だとは言ったけど、経済制裁さえ求めなかった
侵略だと指摘されただけの日本は単に連盟から脱退するだけだったわけよね
イタリアのエチオピアへの侵略だって経済制裁を発動できたけどイタリアはそのまま普通にエチオピアを潰しちゃった
こんな有様だったから国際連盟になんか何の力もないとバレちゃった
一パリ不戦条約・国際連盟という平和維持システムは失敗したわけです

そんな穴だらけの状態の後で第二次世界大戦が起きてしまった
だから、もっと弱点は無くさなきゃということになる
そこで戦後の国際連合憲章は「あらゆる武力行使の禁止」はするけれども
「例外としての武力制裁」とあからさまな弱点ふさぎをしたわけです

国連憲章前文
「共同の利益の場合を除く外は」武力を用いないことを~

国連憲章第2条
すべての加盟国は、その国際関係において、
武力による威嚇又は武力の行使を(中略)慎まなければならない

国連憲章第42条
安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、
又は不充分なことが判明したと認めるときは、
国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる

国連憲章第51条
この憲章のいかなる規定も(中略)個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない


なので現時点において国連安保理が認める戦争以外の武力行使は違法です
だから誰かが侵略してきたので対抗して戦う(自衛権の行使)
もしくは侵略してきた誰かに対抗して侵略を止めさせることになってる
まぁ実際問題だからといってそれ以外の武力行使が起きないか?っていうとそういうわけじゃないけど
少なくとも理念上はそういうことになってます

だからこそ、戦争するときにはこれは自衛権の行使なんだとか
この武力行使は自衛権の発動に該当するのか?とか
といった自衛権について国際法上の大きな争点になりやすいわけ

ところが、それ以外の戦争を認めるべきという議論も強くなってます
基本的に戦争に関する国際法は国と国の関係について比重が重かった
戦争は国と国がすることが多いですからね
国の中での問題は内政不干渉の原則といってあまり関与しないわけ
だけれどもルワンダ内戦などでこれが国連の壁となりました
この内戦では1国内で多くの人々が死んでしまったわけですが
ある国が他の国を侵略したわけではないので大きな動きができなかった

戦争を違法化したりした理由の一つには
戦争で侵害される人権を守るためという側面は間違いなくある
国連の存在理由も人権を守るという目的に大きく拠っているわけだ

で、あるならば
たとえ1国の中で完結していたとしても、人権侵害があまりに酷すぎる場合
(たとえば虐殺が現在進行形で行われているとか)
国際社会には人々を「保護する責任」が発生するんじゃないのか
自衛以外の戦争で人権侵害をやめさせるのも認められるべきじゃないか?
そういう議論もあるにはあります

ここまでおおまかに説明したけれども
たぶん専門家の先生にはここ足りてないぞ変だぞみたいな点あるはずなので
読んで興味持ったらちゃんと調べるか
すでに知ってる人はここおかしいぞとかコメントください

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