感覚を通じて気持ちをほぐす時間
ある日のこと。
夫から妻へ、「研修の仕事に一緒に入ってくれないか?」と相談が。
その瞬間、「日程的にはお受けできるけれど、その間、幼稚園への送迎含めて子どものことはどうしよう・・・?」と頭をよぎります。
それを感じ取ったのか、親が仕事で2人ともいなくなる日がありそうだと察知した子どもは「○○のことはどうするねん…」とつぶやきます(幼稚園で関西弁を話す人がいるのか、時々エセ関西弁が出る今日この頃)。
そしてその後、涙を流しはじめました。
仕事の調整は一旦横に置いて、今目の前で涙を流している子どもに向き合おう。そう決めて子どもと会話を始めることにしました。
子どもを膝に乗せて…
そう言いながら、膝に乗せた子どもと自分の間で、両腕をぐるっと回して大きく円を描いてみせました。
さっき腕で描いた大きな円を子どもと私で一緒に抱きしめるように、ぎゅーっと子どもごとハグをして、しばらくそのままハグを味わってみました。
じっくりじっくり味わって…
今度は子どもを抱っこして立ち上がり、「ふわふわ、ふわふわ、ふわふわ・・・」と言いながら上に下にやさしく揺らし、ふわふわの感覚を一緒に体感として味わってみることに。
さて、感覚はどうなったかな?
しばらくふわふわを味わった後、また印象を聞いてみると、
「父も母もいない」というのはただの事象ですが、それをどう捉えるのか、どう解釈するのかというのは人によって異なります。「いないことは悲しいこと」かもしれないし、「いないことは自由だー!」と思う人もいるはず。
いずれにしても、人はその出来事や事象に対して自分なりに意味づけしようとします。
今回は「父も母もいない」ことが、「地球のように大きいことであり、いろんな色が混ざるような複雑さを秘めた、悲しみとつながっていた」のが、感覚を十分味わったり、感じている感覚を増幅していく(程度を大きくして感じてみる)うちに、「ふわふわした軽い印象で、それは嬉しさともつながる」ものへと変化していきました。
きっと子どもの中では過去に「父も母もいない」状態を経験した時に「悲しい」という気持ちと紐づいていて、今回の出来事では最初はその記憶が呼び起こされたのだと思いますが、出てきた感覚を捉え、変化させて想起しなおすことで、その事に対する印象や感じ方を少しほぐすことができた時間でした。
さて、両親不在の間のことはこれから考えなくては・・・