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当時異国にいた人から見る3.11
10年前の今日、私は米国オレゴンで高校3年生を過ごしていた。
現地時間3月10日の夜、東京にいる友人と、Facebookのチャットで近況報告とかして楽しい夜を送っていた。
夜9時半を回った頃だろうか、
「そろそろ寝る準備するねーまた話そーおやすみー」
的な感じで会話を終えて、なんとなく日本のニュースを見ようとニュースサイトを見ていたところで飛び込んできた、地震速報。
友人との会話を終えて10分後とかの出来事だった。
揺れの範囲からするに、関東圏含むひろーい範囲で大きく揺れたようだ、ということは分かった。
すぐにさっき会話を終えた友人から安否情報が届く。
「今家で1人で留守番中でさー、めっちゃ怖かったー!」と、恐怖を共有してくれた。
彼女の安否にホッとすることもつかの間、次は東北圏そして揺れの影響を受けた全ての範囲にいる友人たちの無事が心配になった。
しばらく連絡をとっていない人も居たが、今ほど高校生のほとんどがSNSを使ってるような時代でもなかったので、メールで連絡を試みた。
幸いみんな無事で安堵した。
その後どんどんアップされるリアルタイムの写真や動画を見ていたら、言葉を失った。パソコンで見ていた生中継から目が離せなくなった。
当時はまだ民法各局がウェブでニュースの生配信とかやってなかったので、Twitter上でNHKの画面を生配信してくれてる方のを見てました。
(こういうのって普段は違法だけど、あの時のように緊急で、しかも情報が行き届いてない時だったから、この人は後々感謝状的なのもらってたね)
ステイ先にはテレビもなかったので、私が得られる情報源は完全にネットオンリー。
気づいたら早朝4時までパソコンの画面にかじりついていて、目に映るもの全てが信じがたすぎて、とりあえず心を落ち着かせようとやっとお布団に入ったのだった。お布団に入れることに申し訳無さを感じながら…
その4時間後(現地時間11日の朝8時)、
「今朝オレゴンにも日本からの津波が到達したって!!」とステイ先のホストママが慌てて起こしに来て目が冷めた。
オレゴンは米国本土西海岸に面する州。
調べると、本当に数メートルの津波が、オレゴン含む北米大陸西海岸に到達していて、改めて地震の規模に絶句した。
あっ、私の実家は佐賀県なので、実家はもとい親戚一同無事だったのだけど、米メディア各局は、「日本全体が放射能でやばいことなってる」みたいな報道しかしなかったから、どんだけ家族が「こっちは大丈夫よ!」と言おうとも、安心出来なかったなあ。
現実と受け入れがたい情報を一気に浴びすぎて、
ただ自分自身は被災地から遠くに居すぎて生活自体は何も変わらなくて、
でも母国で不安に怯えてる友人たちがいると思うと「何かしないと!」と思って、震災から2日後には学校の先生に「今週の全校集会で募金活動させてください!」とお願いのメッセージ送ってた。
キリスト教系の高校に通っていたので、毎週決まった曜日に全生徒集まって礼拝があってたのです。
私以外にも、日本人の後輩が数人在籍していたので、その子達とも協力して集会や各自が受講するクラスで募金を募りました。
学校外でも、ホストファミリーと行ってた教会でも募金を呼びかけた。
今日のこの投稿のカバーフォトは、その時募金で使った封筒です。
私自身はどの宗教も信仰していないけど、この時ばかりは、同じ祈りを一緒に捧げることへの大事さを、ひしひしと感じた。
結果、学校と教会で、1週間の期間で総額10万円ぐらいは集めることが出来て、赤十字経由で無事日本に送る事ができたのは、嬉しい成功体験。
震災直後から1人で情報を見てる間は生きた心地がしなかったけど、思いを他者と共有し、共感を得て、慰められ、祈りを捧げ、遠方から出来る支援を考えたこの1週間はとても貴重なものになった。
故郷九州では、時同じして九州新幹線が全線開通したのだけど、あの記念CMには心から癒やされた。
今日久しぶりにこのCM見たけど、やっぱり涙が止まらなくなるのはなぜだろ。
この5年後、熊本を地震が襲った時は、私はセブに居て、
「なんで祖国が大変な時に私は国外にいるんだろ… 」とあの時もやるせない気持ちになったなあ。
毎年3月11日は、Yahoo!の 3.11検索 を通しての募金と、この時期日本にいれば、スタバのハミングバードカードを使って被災地への支援をちょっとでもできればと、継続しています。
10年前の今日、被災地から遠く離れた異国の地で、リアルの分からない恐怖上に鬱になり沢山泣いて、寝れない日々が続き、食欲をなくし、日常を過ごすことに罪悪感を感た。
学校に行けば、放射能をネタにアメリカンジョークを言うクラスメイトが居て底知れぬ怒りを感じたのに何も言い返せずもどかしさでもやもやした。
でも母国への愛を呼びかければ応えてくれる人は周りに沢山居て嬉し涙が溢れた。
あんなに一気にいろんな感情に溺れた期間はあの時以来ないけども、あの時感じた日常や周りへの感謝や、「私なんて何も出来ない存在だ…」と諦めるんじゃなくて出来ることを探してみる1歩を、これからも大事にしようと思う、2021年3月11日なのでした。