私のがんのルートを辿る
私はいくつかの気付きを経て、がんになった理由を理解した。それは一つではなく、小さい時からの色々な事象が重なってがんという樹に育っていったと捉えている。
全てを書けるかはわからない。
振り返って書けるほどにほぼ消化しているとはいえ、結構しんどい作業ではある。
思いつくままに記すつもりなので、時系列がバラバラになるとも思う。
事実のアウトプットであり、小説ではないゆえ、読みにくい部分もあることをご了承願いたい。
そして、本題へ移る前に、、
今から書くことは私とその周囲の人たちとの間で起こったことの中でも、がんという疾病、また治癒へ影響した(と認識している)ことである。当然、色々な面でショックや傷ついたことである故、読んでゆくと、まるで「良い人/悪い人」という見方もできてしまうように推察している。
ここを見る多くの人は、がんという病に感受性を持っているが故に、私の立場に感情移入して読んでくださる方も多いと思うのだ。
理解しようと思うが故の優しさであることは十分承知しているし、本当にありがたいと思う。しかし、私がここで記す意図は、同情したり理解してほしいからではない。
私はいま、全てに感謝している。
過去に傷ついたことも含めて、全て、である。
傷ついた、傷つけられたからこそ、悩み、苦しみ、考え、、
今の私が在るのである。
今から書くことは、私がここへ来るまでに必要であったことの記録、と捉えてほしい。
どうかここに出てくる人々を私を含め「良い・悪い」「ひどい」「可哀そう」などと判断せずに「これに気づくために、この事象があったのだな」とまるっと俯瞰で認識し、地球に生まれ物質体を持つものの宿命としての陰陽の理(ことわり)を感じ取ってほしい。
何もないところには何も生まれない。
私はあまりに未熟であった故に、これまでの道程でこれだけの刺激(ショック)が事象として必要であったのだ。
今だからこそ言える、私はこの人生を選択してきた。
可能な限り当時を思い返し、言語化しようと思う。傷ついた時、苦しい時に、その状態をどう抜けるか、ご自分の人生を俯瞰する参考にしていただけたら、と思う。
以上を前書きとする。
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