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初期衝動

バンドの初作には名盤が多い
中には初作はイマイチだが後の作品で化けるバンドも存在する。初作から一貫して名盤を出し続ける、そんなバンドも存在する。あくまでも割合の話
初作は音も演奏も荒削りな場合が多い。活動を続け新譜を出すほど音も演奏も洗練され良質になるのは間違いないハズなのだが、自分が聴く作品は圧倒的に初作が多い気がする。それは一体なぜなのか?
そう考えた時に川久保さんが正解を言っていた
なるほど、"えげつないパワー"
初作にはギラギラとした魂を感じる。別に後の作品に魂を感じない、というワケではない。音や演奏の粗さが良い方向に作用し「逆にいい」みたいな
熱量や迫力が粗さと相まって余計に伝わってくる
アーティストがやりたいことが全て詰まっている
蓄えた音楽的な知識や良い機材を使う後の作品には存在しない、失われし衝動がそこにある
先日kornのファーストを聴いたけど、これが物凄く良かった。最近メタルを聴いていなかったのだが、やはり自分の人生においてメタルは必要不可欠な物であると改めて思った

それに伴って自分がバンドを初めたキッカケは一体なんだったのだろうかと考えた。やはり根源は怒りだった。今まで自分を馬鹿にしてきた奴らを音楽という手段を使って見返してやりたいという思い。今こうして振り返ると若かったなーと思うのだが案外キッカケなんてそんなものだろう。当時の自分にはそのポテンシャルが備わっていると信じていた。謎の自信があった。前に後輩と初期衝動をテーマに曲を作ったのを思い出した。そのリリックがコチラ

曲名「Stay Gold」

久々に聴いたのだが、フローが完全にOZROSAURUSのパクリで笑ってしまった。リリックにもある通りメタル過疎地域でスクリーム特化型のボーカリストに人権などない。それを体感してしまったらとてもじゃないが「実力に環境は関係ない」と言えない。
(また苦労話と自分語りをしてしまっているのだが、ある一定の閉鎖空間であるnoteだから許してくれ)
少し前から「俺らがシーンを盛り上げます」という趣旨のポストが散見されるのだが、わざわざポストするほどのことか?と思う。意思表示、ポストすることで退路を断つという考えなのだろうか。勝手にやることやっていれば自ずとシーンに貢献することになるだろうがボケナスと思う。そういったバンドマンやその全てを肯定する盲目的なクソ女ファンに対して持病のアレルギーが反応してしまうのでSNSは自分にとって劇薬。自然療法が効果的だ

三秋縋の小説にこんな文章がある

どう足掻いたところで、失われた青春を取り戻すなんて不可能だってことを。結局のところ、15歳ですべき経験は15歳でしかできないし、もしその年齢でそれを経験できなかったら、後にどれだけ豊かな経験をしたところで、15歳の俺の魂は永久に救われないんだ。(江森先輩)

三秋縋 - 君の話

これを読んだ時、心に深く突き刺さった
なんとも暗い名言ではあるが共感してしまった

救われることのない過去の魂よ
どうか安らかであれ

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