見出し画像

小さな奇跡(大きいのもあり)

周囲で起こった小さな奇跡


はじめに

カバー写真は、スペインに操体のセミナーに行った際、師匠とトレド在住のD君と小高い山(トレドは城塞都市です)に登った時に撮った写真です。
彩雲(さいうん)というものですね。
実物は虹色でした(写真だと分かりにくいですね)。

ここでは、私が今までに体験した小さな(大きいのもあり)奇跡や、願いが叶ったことを思い出し、なおかつ書き加え、その時に何をやったのか、ということを記録するというのが目的です。

私のバックグラウンドですが、かいつまんでお話しますと、私は東京生まれですが、両親は宮城県生まれです。両親は故郷が一緒なので、昔から何となくお互いを知っていたみたいです。二人とも別々に上京して働いていて、一緒になったみたいです。当時は、品川に住んでいました。私が二歳の時、千葉市内の団地に引っ越しました。『団地の二人』とかみると何だか懐かしいです。
近所の家で祖父母と一緒という子供は殆どおらず、典型的な「東京郊外の団地に住む核家族」で、家には仏壇も神棚もありませんでした。
なお、夏休みに両親の実家に行ったりすると、仏壇はありましたし、特に母方は庄屋みたいなポジションだったようで、巨大な仏間がありました。
まあ、若い夫婦だし、三男と末娘だし、当時鬼籍に入っていたのは、母方の祖父だけでしたし、仏壇という選択肢はなかったのだと思います。そういえば、他の子のところも仏壇はなかったような記憶があります。

また、何だか雰囲気的に「無宗教」感がありました。今思うと、おそらく父が当時流行っていた新興宗教が嫌いだったからでは、と思います。

その団地で覚えているのが、お風呂場です。
トイレに行くには、風呂場とその向かい側にある洗面所を通って行きます。距離的には数メートルです。風呂場は使っていない時は扉を開けていました。換気のためです。
夜、トイレに行くときは、扉が開いていてなおかつ真っ暗な風呂場の前を通らないと、トイレの電気にたどりつきません。
暗い風呂場はやっぱり怖いですよね。
ただ、怖いけど見ちゃう、ってありますよね。
そうしていると、風呂場の天井の上の方、暗い中でも更に暗い、言わばブラックホールのようなものが見えるようになりました。
ブラックホールっぽいのは20歳くらいまではたまに見えました。
その、ブラックホールの中に、なんというか、成長してから思うに、大きな目玉というか「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくるバックベアード(何故か西洋妖怪)か、何だか「目玉」系だったものが見えたのです。

そして、私は本能的に「これはお母さんには言わない方がいい」と感じ、ずっと黙っていました。

そして4歳の時、父方の祖母が亡くなりました。昔の人だったので、入院先のベッドで、紫のハチマキをしていたのを思い出します。
母は妹が生まれたばかりだったので、父は私を連れて宮城の実家に戻り、割と近所の母の実家に預けられました。
母の実家というのが、これまた江戸時代は庄屋だったそうで、今は建て替えてもうありませんが、当時は巨大なわらぶき屋根の家でした。
つまり、多分江戸時代かその前からあるような家です。
幼いながらも「妖怪が出そうだ」(既にゲゲゲは知っている)と思いました。
なお、その時「おばあちゃんが亡くなった」「お父さんが私を置いてどこかに行ってしまった」「お通夜お葬式に参列した」というように、四歳児の身にしてみれば、なかなかショッキングなことが起きました。
「死ぬってどういうこと?」問題にも遭遇しました。

この辺りからなのかどうかわかりませんが、お寺とか仏像が何だか好きになったのでした。

さらに本が好きな子供だったので、本が好きな父が誕生日によく本を買ってくれました。
今でも覚えているのは、就学前に「一休禅師」の分厚い本を買ってもらったことです。
アニメの「一休さん」より前の話です。
また、割と詳しい伝記だったので、アニメでは寺で「一休」と呼ばれていましたが、本当は小坊主時代は「周健」だったとか、「宗純」になって琵琶湖に身投げしたとか、正月にしゃれこうべを竹の棒にさして歩き回ったとか(なので、園児のくせに「正月は冥土の旅への一里塚」とか知っていた)、何度も何度も読んだ記憶があります。
なお、この本、さすがに「地獄太夫」のエピソードは載っていなかった記憶があります(あれ、好きなんですけど、子供向けだったからでしょうね)。
この辺りから、日本史が好きになります。
更に私の日本史好きに拍車をかけたのは、やはり父が8歳の誕生日に買ってくれた「義経記」です。「うしわかまる」とかじゃないですよ。確か日本古典文学全集の1冊だったかと思いますが、カラーの口絵がこれでした。
まあ、宮城の気仙沼あたりは源氏が多いらしいのと、母方は「うちは源氏らしい」とも言っていましたし、平泉はかなり近かったりもしますので、土地的にも「判官贔屓」だったのかも。

なお「ハタケヤマ」って、畠山重忠系ですか?と聞かれますが、畠山って、いくつか系統があります。畠山重忠(鎌倉殿では、中川大志が素敵でしたねえ)は元々平氏で源氏に転じましたが、東北系の畠山氏もあります。
伊達政宗に一家断絶された畠山家もありますが、私は伊達政宗贔屓です。

数年前、大規模は安田靫彦(やすだゆきひこ)展がありまして、私はこれのホンモノを見て、感激し、展示期間内に3回くらい見に行きました。現物はかなり大きく、義経が本当に素敵です。贔屓になりますきっと。

と、話が逸れましたが、義経も鞍馬山の寺で修行とか平泉には黄金の寺があるとか、仙台には伊達政宗ありとか、日本史マニアのアタマが作られていくわけですね。

そして小3あたりから洋楽(クイーンとかKISSとか)を聞いていたもので、勿論日本史も好きだけど、西洋史にも興味を持ちました。
そんな子は、多分「ムー」とか読んじゃうわけですよ。ね?

そして小6の時、私のお師匠のお師匠である、橋本敬三先生(医師)と親交があった、沖政弘先生(ヨガ)のお弟子さんで、日本のヨガ女性指導者のさきがけである内藤景代先生の「こんにちわ、私のヨガ」とかに出会っちゃいました。

この本には「般若心経」が載っていました。
簡単に言えば、般若心経は、Let It Be(なすがままに)である、という話です。般若心経全文も載っていたので、なんだかうろ覚えでしたが、その後「般若心経丸暗記」の際にはとっても役にたちました。

で、私は中学から大学まで、同じ学校に通っていました。女子大の付属中高です。女子校だったので、いわゆる「オトコの目を気にする」こともなく、好きなことや趣味に没頭していました。
それは、社会に出てからイヤという程気にするので、中高くらいはのびのびしてもいいんじゃないかと思います。

中学の修学旅行は、定番の「奈良京都」でした。
私はすでに中一くらいで梅原猛先生の「隠された十字架」(法隆寺と聖徳太子のナゾに迫る)を読んでいたのと、お寺マニアだったので、もうウハウハでした。「寺なんてつまんね~」と言ってる子もいたし、私が寺好きということを知っていてマウントかけてくるのもいましたが(ババ臭いとか)、全く気になりませんでした。

むしろ
「好きなことをやっているのでオマエには関係ない。私は私の道を行く」
という心持ちでした。

というのは、寺と仏像好きな割にはロック好きだったので、多分、ポール・スタンレーかKISSの誰かが言ったのだと思いますが
"Stick to your Guns." (反撃や反対に遭っても自分の立場や信念を守る)
という強力なスローガンがインプットされていたのです。
こんなのが小学生の時からインプットされていたお陰で、私は自分を貫けたわけですね。ありがとうロックンロール!

さて、前置きが長くなりましたが、私の周囲で起こった小さな奇跡について思い出しながら書いて行きたいと思います。

本を出したいという夢

これは、1999年に「ふわ、くにゃ、ストン!操体法」という本を商業出版しています。
当時はヨメに行っていたので、名字が違いますが、これが私が最初に出したものです。まだ「快」の本質を掴んでいないので、後に改定や注意書きをサイトにアップしました。今読むと「お!ここ間違ってる。はずかし」というところがたくさんあります。

なお、これも驚いたのですが、曹洞宗の月刊小冊子で「禅の友」というのがあります。そこで、この「ふわくにゃ」でイラストを描いてくださったしおたまこさんがイラストを描いており、数十年ぶりにコンタクトをとることができました。これはやっぱり御仏縁?


師匠と共著を書きたいという夢

これはかなり荒唐無稽な夢だったのですが、叶いました。
当時まだ私は師匠(三浦寛先生)には師事していなかったのですが、漠然と、この先生に師事していつか一緒に本を書きたい、と思いました。そう思ったのは、この本も共著なんです。
1章が今昭宏先生、2章以降が三浦先生です。1章もかなり面白いのですが(読んだ人が「ホントにこんなに変わるの?」と言ったりします。今先生節炸裂)、2章以降の三浦先生のパートは、私にとってかなりの衝撃でした。

なにが衝撃だったかというと、繊細な「感覚」に関与するのが操体である、ということがわかったからです。
操体における「感覚」の概念を私が理解したのは、実際に三浦先生に師事してからのことですが、この本を読んで「操体をやろう」と決意したと思ったわけです。

そして「月刊手技療法」という手技系の月刊誌に10年以上連載していたのが「シリーズ操体」。三浦先生、今先生、私、東京操体フォーラム実行委員で連載を執筆していました。最初は三浦先生、今先生、私の三人がメインで書いており、三人の原稿をまとめたのがこの本です。
表紙の橋本敬三先生の絵は、三浦寛先生が描いたもの。三浦先生は絵を描くんです。ふざけて誰かのサングラスをかけて、写真を見ているのだそうです。

これ、夢が叶ったことの一つです。
友人には「初恋が叶ったようなもんだね!」と言われ
「ほんとだ!」と自分でも驚きました。

「奇跡だ!」

ちなみにわたくし、長年色々願望達成とか右脳左脳とか研究してきました。
そして、かなり「願望達成」はしていると思うんですよ。
別枠で書きますが「海外で操体のセミナーやりたいな」と思ったら来ました。

本当にたくさんの方がこの辺りは書いていらっしゃいますが、私は「あ、この人は机上の理論だけじゃなくて、実際に自分で試しているな」と思っているのがJegさんです。

なお、私のブログ(後半で書籍を紹介)でも書いていますが、願望達成のプロセスを、
①考え方の土台
②テクニック
という二段構えで考えていらっしゃるということです。

これ、シンプルですが、とっても大事なことです。


ちなみに改めてここに気づいたら、あらゆるところで「テクニックだけでは発動しない」「基本の考え方、基本のからだの使い方をすっ飛ばしてテクニックだけではうまく行かない」というような話がバンバン入って来ました。

私はメンバーシップにも参加しているのですが、参加して良かったなと思うのは「一人じゃなかなか続けられないけれど、仲間がいると続く」ということと、やはり毎日のモチベーションがあがる、ということなんです。

そして、大きな出来事だけでなく、小さな日常的な「奇跡」にも気づけるようになってきたなあ、と思います。

小さな奇跡、は今後も追加していきます。

と書いてるところに来た!

いいなと思ったら応援しよう!