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隣の春は青くみえる

家に帰ったら母が『君に届け』を読んでいた。
なんで今?と思ったけれど、傍らに積まれていたものを一冊拾って試しに読み始めたら私も止まらなくなった。小学生の時によく読んでいた、その頃はまだ10巻くらいだったと思うが、いつの間にか30巻目で完結していたらしい。アニメも見たことがあるし、映画も母と見に行った。なんとなく、我が家の一部としてずっとあった作品だった。

爽子も風早も、ちづもやのちんも、他のみんなも、みんな一生懸命に恋愛をしていて、つまんない感想だけど「すごいな」と思った。これが青春か、なんて思ったりした。爽子が風早を自宅に連れて帰って爽子の両親が風早をもてなしているシーンを読んで、「こんな経験をさせてあげられなくてごめん」と隣の母に謝ったら、「興味無い」と返された。それはそれで、なんか。……そうですか。

少女漫画自体とても久しぶりに読んだ気がする。普段はエッセイ漫画や少年漫画を読むことが多いから。恋愛小説や映画もあまり摂取しないもので、なんというか。『君に届け』を読み返して、そうだよな恋愛って当たり前に発生するライフイベントなんだよなと妙な納得感を得た。

「いつのまにか好きになってた」とか、「友だちから好きな人に変わってた」とか。私はそれを理解できない人間だということは一旦置いておいて、なんというか、教わってもないのにそれが恋だってなんで分かるんだ君たちは。……なんてことをいつも考える。その人をもっと知りたい、近くにいたい、その人のいちばんになりたい…そう悩む人に対して、みな一言「それは恋だよ」と返す。いやいや、なんで貴方が知っているの?といつも思う。しかも断言?家族に対して同じことを思ってたらそれも恋愛に含むのか?それともそれは別ってご都合主義なのか?わからん!そっちの人たちの考え方は。

こういうことを言うと「拗らせている」とか「僻んでいる」とか言われるということを知っている。だからこういう場か、分かってくれると知っている相手にしか言わない。「拗らせてんね」って揶揄いの言葉が好きじゃない。自分が言われるのも、誰かが言われているのも見るのも。「拗らせ」ていない側が絶対にまっすぐで正しいと信じて疑われないの、ちょっと、ムッとしてしまうから。…こころがせまい。


違うんだなぁ。
たぶん羨ましかったんだなぁ。
だってすごく楽しそうだったんだもん。漫画の中のみんな。全力で恋愛してるみんなが、楽しそうで羨ましくて。同じように恋とか愛とかを感じ取れない、好きを一種類しか持ってない私には、それが届かなくて。でも、ああなりたいのかって言われたら、それも違くて。でも、やっぱり羨ましくて。なりものねだりなんだな、結局。


何故か18巻が見つからなくて17巻までしか読めていないので、明日起きたら納戸の中を探しに行こう。続きが気になる。

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