サラダと恋のレシピ
静かな夜更け、キッチンに響く包丁のリズムだけが、マリコの心を落ち着かせていた。レストランのシェフとして働く日々は充実しているはずなのに、どこか物足りなさを感じていた。恋愛に疲れ果てた彼女にとって、唯一の癒しは、自分の手で美しく作り上げるサラダだった。野菜を丁寧に切り分け、色彩と形を工夫しながら皿に並べる瞬間だけが、彼女を解放してくれる。
そんなある日、マリコは突然、奇抜なアイデアを思いついた。「どうせなら、自分の気持ちを料理にしてみよう。」そう呟きながら、冷蔵庫からチョコレートといちごを取り出した。さらに、スパイスを効かせた特製のドレッシングを思いつき、完成したのは前代未聞の一品。その名も「ふしだらなサラダ」。
最初はスタッフも戸惑い、彼女自身も半ば冗談のつもりでメニューに追加した。しかし、このサラダが思いのほか評判を呼び、瞬く間にSNSで話題となる。好奇心旺盛な客たちが次々とレストランに訪れ、店は連日満席状態となった。特に、ある男性客が頻繁にこのサラダを注文するようになった。彼の名は藤原健太。落ち着いた雰囲気と穏やかな笑顔が印象的な常連客だった。
ある夜、閉店間際の静かな店内で、健太がふとマリコに話しかけた。「このサラダ、なんだか君の心を映しているみたいだね。甘さも、ほろ苦さも、ちょっとしたスパイスも全部ある。」
その言葉に、マリコの胸が一瞬ざわめいた。彼の目はまっすぐで、冗談とも真剣とも取れる穏やかな表情をしていた。「私の…心ですか?」そう答えたマリコの声は少し震えていた。
「うん。なんていうか…無防備なところと、頑張って隠そうとしてるところが共存してる気がする。それが魅力的だと思う。」
それは、彼女がずっと見ないふりをしていた自分自身に気づかせてくれる言葉だった。大胆なサラダを作ったことで、ずっと押し込めていた感情が少しずつ顔を出し始めていたのだ。
それからというもの、健太は頻繁にマリコのもとを訪れた。二人の間には、ゆっくりとしたが確実な絆が芽生え始める。料理を通して再び自分を取り戻したマリコは、彼との時間の中で少しずつ心を開き、恋愛への新たな希望を見出していく。
最後に健太が言った。「マリコさん、次は僕と一緒にサラダを作らないか?きっと、僕らだけの特別な一皿ができると思う。」
彼女はそっと微笑みながら答えた。「…いいですね。それ、素敵かもしれません。」
その夜、キッチンの奥からは、二人の笑い声が響いていた。ふしだらなサラダがきっかけで、マリコの心には新しい風が吹き込まれていた。