真の幸福論此処に有り
椎名林檎さんが好きだ。
父がよく車で聴いていたのでその影響もあるだろう。
中学生の時からウォークマンに曲を入れて(懐かしいですね笑)、塾の行き帰りのバスの中でずっと聴いていた。
椎名林檎さん、宇多田ヒカルさん、星野源さんのうたは受験や学校生活のことでボロボロになった心にいつも寄り添ってくれた。音楽のちからってすごいですね。
大人になって、当時聞いていた歌を聴いてみると、その時にはあまり分からなかった歌詞の意味がだんだんと自分の心に刺さるメッセージになった。
特にそう感じた一曲が椎名林檎さんの「ありあまる富」だ。
なかなかうまくいかないことがあった時に、友人がこの曲を送ってくれた。
その友人は、センスがバチバチによくて、思いやりに溢れていて、感謝しても感謝しきれない。
ボロボロでどうしようもない心身にこの曲を入れた時に、自然と涙が出てしまった。
その曲は「がんばれ」とか「大丈夫」とか直接的な応援の言葉は一言も入っていないが、どこかで、本当の意味で救われた気持ちがした。
すごく不思議だった。あの時はよくわからなかった歌詞のひとつひとつが心身にちゃんと入っていく感覚が確かにあった。
この曲は「彼ら」とか「富」という歌詞があるが、聞く人にとってその意味合いは様々だ。抽象的だからこそ万人を救うのだろう。
この「富」とは何なのか。
本当の意味での「富」はお金で買うことができるようなものではないし、歌詞にもあるように「彼らは奪えないし 壊すこともない」。
「富」について思考を巡らせていると、以前読んだ「星の王子様」のある一節を思い出した。
本当にたいせつなことは目には見えない。だから、誰も奪えないのだ。
自分の目に見えていることやものが必ずしも真実とは限らないし、歌詞にもあるように「言葉は嘘を孕んでる」。
現代に生きる我々は成果や数値に価値を見出しがちだ。それ故、本当に大切なものを見失っている可能性がある。幸せに、豊かになろうとして成果至上主義になることの恐ろしさを感じる。
もちろん、努力して成果を出すことは素晴らしいと思う。しかし、それだけではなく、私たちは自分にとっての幸せ、豊かさ、富とは何なのかを考えていく必要があると思うのだ。
そして、それらの幸せを感じるためには、幸せを受容するもの、つまり「私」の存在が必要だ。
自分の存在は誰にも否定されるものではない。絶対にだ。
「私」が存在しているだけで、生きているだけで富が、そして幸せが溢れている。
何のために生きるのかと聞かれれば答えは出せないが、生命がそこにあるだけで価値がある。
だからこそ「価値は生命に従って付いている」のだ、と自分なりに解釈した。
生きてて感じる喜びや楽しみは自分だけのもの。そしてそれが幸せにつながっていく。
どうせ最後には幸せになる運命なんだよ〜と自分に言い聞かせて生きています。笑
また自分を見失いそうになった時は、この歌のもとへ帰って行き、おかえりと言って頂こう。
ここまで読んでくださった方ありがとうございます。それでは。
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