アポトーシス


最近あるドラマと続編の映画を見た。それを見てからというものの、感情とはなにか、死とはなにか、この世界は果たして本物なのかと考えることが多くなった。厨二病ゾーンだ。


そしてあれこれ考えている間にMrs. GREEN APPLEのパブリックという曲を思い出した。


えっ、アポトーシスっていうタイトルなのにミセスについて語るの!?

「人は純白に輝く生き物だ」
それはどうかな ほら またあちこちで
諍いが止まぬ変わらない世の中だ
「人が作り上げた」 皮肉なもんだ


生き物は意識や感情を持ち、コミュニケーションを図る。

しかし人間は他の生き物とは異なる。
上記に加えてさらに道具を使って文明を築き、発展を続けているのだ。


しかしながら、そんな社会の中で人間同士は衝突も止まらない。

“人間だけが他者を残酷に傷つけ、その喜びに溺れる。
そこに起因するのは、人の良心に他ならない。
良心によって、悪は存在しうるのだ。”
(著マークトウェイン 「不思議な少年』より)

知らぬ間に誰かを傷つけて
人は誰かの為に光となる
この丸い地球に群がって
人はなにかの為に闇にもなる

闇があるから光がある。という名言がある。

また、上記のマークトウェインの別の言葉に、
人間は誰でも月である。誰にも見せない暗い面を持っている。という言葉もある。

「人は優しさを育む生き物だ」
「嬉しさ・悲しさ」全部抱き「寄せてる」


嬉しいという感情があるからこそ、悲しいという感情が際立つ。

ではなぜ感情が存在するのか。感情は意識の先にあるものだと考える。

そもそも意識というものは生きるために備わった性能だ。生きるために必要なエネルギーを外部から摂取するために、意識というものが誕生した。

そしてその意識が進んだものが感情。つまり感情の目的も生きるためだ。自分の体にとって有益なことがあったときに嬉しいと感じ、損が生じるときに悲しいと感じるのがデフォルトなのだと思う。

憎いその可愛さと憂うその瞳の
愛が実ればいいなと
神様が定めたこの世界に
何を残して逝ければいいだろう


では、愛情は何か。

本能+感情が愛情だと私は考える。

魚も親が子供を守る。鳥も親が子供を守る。子供を育てる。それは種を保存し、遺伝子を残していくための本能。その本能に感情が付随し進んでいったものが愛なのではないか。

だからこそ、家族や大切な人が死んでしまったときにより悲しいという感情を抱くのではないか。


そんなことを考えている中で、ある曲のことを思い出した。それが、アポトーシスという曲だ。やっとタイトルを回収できた。つぎはこの曲から派生した考えをまとめていきたい。



まず、アポトーシスはOfficial髭男dismが先日発売したアルバム"Editional"の表題曲。



まず、アポトーシスとは

アポトーシスとは、あらかじめ予定されている細胞の死。
例えばオタマジャクシからカエルに変態する際に尻尾がなくなるのも、人の指が形成される過程(はじめは指の間が埋まった状態で形成し、それから指の間の細胞がなくなり手指が作られる)も、すべてアポトーシスによるもの。 (引用:研究.net)


この歌詞で出てくる”訪れるべき時が来た”は死を表すのだろう。


"さよならはいつしか 確実に近づく
落ち葉も空と向き合う蝉も 私達と同じ世界を同じ様に生きたの"



アポトーシスはギリシャ語で落ち葉という意味らしい。
落ち葉もまた細胞の自然死だ。身の回りには意外と死が溢れている。


いつの間にやらどこかが 絶えず痛み出しうんざりしてしまうね
ロウソクの増えたケーキも 食べ切れる量は減り続けるし

吹き消した後で包まれた この幸せがいつか終わってしまうなんて
あんまりだって誰彼に 泣き縋りそうになるけど


人間誰しも死が怖い。死にたくないからこそ、恐怖という感情があってお化け屋敷やホラー映画が怖いと感じるのだと思う。


しかしながらこの曲は死を肯定的に受け止めている。
なかなかこの境地にたつのは難しい。

別れの時まで ひと時だって愛しそびれないように そう言い聞かすように


また、パブリックの最後も

人は自分の為に傷を負わす
醜いなりに心に宿る
優しさを精一杯に愛そうと
醜さも精一杯に愛そうと


自分の優しさ、醜さ、嬉しみ、悲しみ、怖さを否定するのではなくそれを全て含めて生きていくこと。
終わらせないために生きるのではなく、いつ終わってもいいように今を懸命に生きるという考えもあるのではないか。




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