2.5次元舞台にハマったら「憧れのオタク」になっていた話
私はアニメや漫画が好きな自称オタクである。
しかし、キャラクターやジャニーズグループ等に本気で夢中になっている人々の存在は、ずっと「憧れのオタク」として私の手の届かないところに在り続けていた。
【非オタとオタクの狭間の人間】
オタクの定義。『ある事に過度に熱中し、詳しい知識をもっていること。また、そのような人。』
物心ついた時から、私の好きなものはアニメや漫画などのいわゆるオタクコンテンツである。
有名なジャンプ・マガジンの作品から「ひぐらしのなく頃に」「ヘタリア」「Free!」など本当に幅広く履修していたが、本気で熱中しているかと言われたら言葉に詰まってしまっていた。
キャラクターのグッズを集めているわけではないし、コラボカフェにも行ったことがなかった。(これはオタク世界から隔絶されていた田舎に住んでいたのが原因でもあるのだが、それについては別の記事に書いたのでここでは置いておく。)
好きなキャラクターはいるけれど、誕生日を祝ったり推しの好きな食べ物を食べたり…あまり想像ができなかった。
中学生にあがれば周りにもそういったオタクコンテンツを好む同級生も現れたが、私自身が全力で語り合うほどの熱量を持ち合わせていないので、当然オタクの友達は出来なかった。
部活の友達とみじんも興味の無い恋愛ドラマの話をし、思ってもない感想を述べながら、アニメの話で盛り上がる集団を横目に「私もオタクだったらあの中にいるのに」と羨ましく思った。
高校にあがってもそれは変わらなかった。流行りのアニメをみて、放送終了したら次の作品の録画予約をする。
高校3年生の時、友人に「本気で夢中になれるものが無い」と話したことがある。友人は「私も」と答えたが、そもそもオタク的コンテンツを好まないインスタ女子の友人に、好きになるのに熱が続かない私の深刻さを理解してもらうのは困難なことだった。
インスタ映えやSNSを嫌っていた私が、なぜメイクとファッションといいね稼ぎを趣味とするような同級生と友人なのかというと、オタク友達を作るのを諦めて非オタとして生活していたからである。
こうして私は、何をしていてもそこそこ楽しいが本気で心が動くこともない、平坦な18年間を過ごした。
【何かに夢中になるということ】
「イナゴオタク」という言葉をご存知だろうか。
人気のジャンルに飛びつき、一通り騒いだ後に次の流行ジャンルに流れていく人々のことである。畑を食い荒らして去る虫に例えて、皮肉を込めてミーハーオタクを総称する時の言葉である。
私は「イナゴオタク」なのだろうか?
一つのジャンルにハマれない、放送が終わると熱が冷めていく。
嗜好はオタクだが、オタクと言うには愛が、火力が、盲目さが、圧倒的に足りていない。
非オタとオタクの狭間でどっちつかずだった私は、近年「ライトオタク」と呼ぶような部類だったのかもしれない。
つくづく、何かに夢中になれるのは一種の才能だと思った。
【初めての2.5次元舞台】
平坦な私の人生は、勢いでとった一枚の舞台のチケットによって激変する。
Twitterを始めた大学1年生の春。好きなジャンルの2.5次元舞台の再演が決まったことをTLに流れてきたツイートで知った。
当時の私は、失敗例に多く触れすぎたこともあり、かなりの実写化反対派であった。
しかし、あまりにもTLが賑わっているので興味本位で過去作品の動画を見たところ
「え?面白そうじゃん」
光の速度で掌を返した。
チケットの販売期間が終わっていたため譲渡でチケットを確保し、大学生になって最初のテスト期間中にも関わらず劇場に向かった。
勉強至上主義だった私の価値観の天秤が、初めて趣味の方に傾いた瞬間でもあった。
物販と入場の列の見分けもつかないまま、なんとか池袋サンシャイン劇場8列目に着席した。暗転。音楽が流れる。
目の前の舞台に好きなキャラクターが現れる。
私は気づくと泣いていた。実在。
どうやって帰ったかはあまり記憶にないが、一番素敵だと思ったキャラクターの好きな食べ物を買って帰ったことだけ覚えている。
「(中略)…推しの好きな食べ物を食べたり…あまり想像ができなかった」はずだった私の人生のターニングポイントである。
その作品の次回公演は10月だったので、”円盤”というものを人生で初めて購入し、過去作品を鑑賞して間を繋いだ。
10月公演は2回行った。映画すら同じ作品を2度観に行ったことはなかったので、「2回も行くなんて私って本当にこの作品が好きだよな」と夢中になれるものを見つけて浮かれていた。
【テニミュで学ぶ演劇の面白さ】
そして2019年3月、テニミュと出会う。
配信で見た2ndテニミュがあまりにも好みの作品だったため、原作を履修した後に7月公演のチケットを申し込んだ。
〈ミュージカル『テニスの王子様』3rdシーズン 全国大会 青学vs立海 前編〉である。
私はこの作品で、好きなジャンルの舞台化という要素を抜きにした演劇という芸術の面白さに気づくことになる。
7月から9月のロングラン公演だったため、7月に複数回観劇し9月の大千秋楽をライブビューイングでみたのだが、7月と9月では良い意味で全く別物になっていた。
セリフの間の取り方、抑揚、表情、アドリブ、日替わり、何もかもがブラッシュアップされ、本番期間ですら進化する舞台作品というものに熱烈に魅せられた。
一番衝撃を受けたのは、日替わりで立海(今作品で敵となる学校)の先輩として出てくる名前不明のオリジナルキャラクター。
「ヒアウィーゴー!」という決めゼリフがある謎のキャラクターで、当時のテニミュファンたちの話題をさらったのだが、大千秋楽で名前が判明する。
驚いたのは、謎の先輩に対する客席の反応が良かったため、積極的にこのキャラクターで笑わせていこうという算段になったらしいということ。この先輩、アンコール曲にもちゃっかり登場している。
あらかじめ演出を決めてあるのではなく、客側の反応を反映し、私達も間接的にだが一緒に作り上げていくことができる舞台というコンテンツは心底面白いと思った。
初観劇のあの舞台が沼への道を案内してくれた作品だとしたら、テニミュは舞台の沼底へと私を引っ張っていってくれた作品である。
常に新しいものが巡り巡っていて、非常に居心地が良い沼である。当分は上がれそうにない。
【舞台にハマって得たものとは】
2.5次元舞台に出会って一年半ほどで、私は気づくと「憧れのオタク」になっていた。愛があって、熱量があって、盲目で、何かに全力で夢中なオタクである。
また、副産物的に、舞台と舞台役者に出会ったことで傲慢だった私の性格も矯正されたことは人生にとって間違いなくプラスである。
舞台は、自分と同じ人間が考え作り上げている。
脚本や演出、音楽、照明、衣装はもちろんだが、舞台上で声を張り板を踏みしめるキャストたちの熱が、劇場を覆って客席ごと一つの空間のようにすら感じさせる臨場感と迫力に敬服した。
新鮮な感情だった。不遜で世間知らずだった私は、あまり他人に「尊敬」という念を抱いたことがなかった。
自分自身が何に対しても死ぬ気で努力してきたので、何もせず適当に生きている周りの人間を軽蔑してすらいた。
しかし、世の中にはこんなに素晴らしい人間がたくさんいるのだ。人から学ぶこと、得る力は多いことに、齢20にしてようやく気付かされた。視野の狭さを思い知った。
もっと自分の周りの人にも目を向け、他者を尊敬できる人間になり、自分も他者の模範となるような言動を心がけようと誓った。
【私にとっての「憧れのオタク」】
「オタクってなりたくてなるものじゃない」
「無理して推しを作ることないよ」
オタクの人は口揃えてこう言うけれど、本当にぐうの音も出ないし全くその通り。でも、何かに夢中になっているあなたたちは本当に楽しそうで輝いていたから、私はとても憧れていました。
気付いたら私も熱狂するほど夢中になるものと出会っていたので、人生って予測できないものだ。
どっちつかずで狭間にいた頃の自分へ。
私は今日も元気に大好きなものを追いかけ回して大騒ぎしています。今人生で一番楽しいから安心して歳を重ねてください。
今夢中になれるものがあるオタク達へ。
そんな風に夢中にさせてくれる存在に出会えたのは本当に素敵で、そうして何かを大好きと思えている自分自身の豊かさをずっと誇りに思っていて欲しいと思います。
最後に、舞台制作に関わった全ての方々へ。
これからも誰かの人生を変えるような素敵な作品を生み出していくと思うので、願わくば私もそれを側で見届けていきたい次第です。
敬意と愛を込めて、舞台オタクの私より。